第十七話 魔女の工房2

 翌日、俺は作業部屋でユリの作業をただ眺めていた。蝋燭の灯りだけが照らす中、ユリはずっと作業台に突っ伏して、薬を調合したり、道具の手入れをしたりとまるで休んでいる様子がない。

 アカネの装備を手入れし終わると、今度は襤褸布を濃い緑色の液に浸して乾かし始める。

「……今は何を作ってるんだ?」

「防魔布です。これを通して呼吸すると、瘴気の浸食を抑えることができます」

「アカネがつけてるやつか」

「ええ。薬草と炭を混ぜた汁に浸した布を通して呼吸すると、吸い込んだ瘴気を中和することができる。喉が乾燥して炎症する心配もなくなります。炭は焚火をすれば勝手に集まりますし、薬草は命の木の根元に勝手に生えてきます」

 アカネがつけている布はユリが作ってたのか。こんな世界でどうやって集落が成り立っているのか疑問だったけど、魔術師が徹底的な瘴気対策と感染対策を進めた結果、水面下で人間は生き延びてきたんだ。

「……聞いていますか?」

 ボーっとしてると、眉根を寄せたユリにたしなめられた。普段は落ち着いていても、ふとした時に見せる表情にはあどけなさがあって、背伸びしてる子供みたいだ。普段のすました顔よりこっちの方が親しみがある。

「失礼なこと考えてますね?」

「ああ、悪い」

「……まったく、調子が狂います」

 肯定されると思ってなかったのか、ユリは呆れたようにため息を吐いた。そのまま椅子に腰かけると、作った防魔布を何枚か取ると、麻紐で括って差し出した。

「アカネさんには頑張ってもらっているので、かなりの頻度で新しいものを作る必要があります。あなたの最初の仕事は、これをアカネさんの拠点まで届けることですね」

「そういえば、どうしてアカネはいつも一人で行ってるんだ?」

 見たところ、他の村人が外に出ている感じはしない。ドラゴンに乗って行けば幾分か早いだろうに。いくらアカネとはいえ、魔物と戦っている時に怪我したり、何か不測の事態があったりした時に一人だと大変だ。

「外の探索はアカネさんの仕事です。村長の子は、魔術師を手助けする仕事があるので」

「どうして?」

「外の世界を知るためです。私たちはいつかこの里を離れる必要があります。それまでに、次の居住区を探さなければなりません。そうやって命の花のある場所を転々としているのです」

 ユリは手元に集中しながらも、端的に答えてくれた。質問攻めになってしまうみたいで悪い気がするけど、わかりやすく教えてくれるからいろいろと質問してしまう。

 ただ、面倒くさがらずに教えてくれるってことはユリも人に何か教えるのは嫌いじゃないんだと思う。どことなく、島のシスターに似てるなと思った。連れて行ったら気が合いそうだ。

「どれくらいで移動しないといけないんだ?」

「あと二、三年と言ったところでしょうね。ただ、それまで村が存続していればいいのですが」

「というと?」

「この村は大きくなりすぎました。既に一本の木が維持できる生態系の規模を超えている。本来は一代で移動するはずなのに、もう百年以上この場所にとどまっていますから」

「次の木を探しに行かないといけないって言ってたもんな」

「木の寿命に関係なく、私たちはこの地を離れる必要があります。もともと、地上の人間は気候が変化するたびに過ごしやすい場所へと移動して生活していますから」

 クジラの上だと気候が変わることがほとんどないからずっと同じところに住んでも問題ないけど、地上はそうもいかないってことか。ここは空の上と根本的に違うんだと実感すると同時、ユリの知識に感心する。

「ユリはすごいな。そんなこと、学校でも教えてくれなかった」

 地上の事は、禁忌のように扱われてる節がある。存在自体が伏せられてたり、シスターの反応だったり。まあ、シスターも御伽噺を完全に信じてるわけじゃなさそうだったけど。

「……学校?」

 顔を上げると、不思議そうな顔を浮かべたユリと目が合った。

 そういえば、この村には学校がないんだったか。村全体がどことなく原始的だし、仕方ないか。ここでは勉強よりも日々を生きることの方が大事なんだ。ただ、いろいろなことを調べたり研究したりしているユリは学校に興味を持ったみたいだった。

「子供たちが集まって、勉強を教えてもらうんだ。読み書きとか、計算とかな」

「誰にも邪魔されず、学問ができるんですか?」

「ああ。みんな勉強に行くんだから邪魔する人なんていないさ」

 詳しく学校の事を話すと、ユリはすっかり調合の手を止めて俺の話に聞き入っていた。

 ユリは学校なんて行かなくても自分でいろいろ勉強してるから必要ないと思うけど、きっと自分と同じことを学ぼうとしてる人間がいるってだけで違うんだ。

「島の子供を集めて、計算や読み書きだけでなく自然や社会の仕組みを網羅的に教えているとは。集団で生きるための技術や知識を浸透させるためには極めて合理的な仕組みですね」

 面白そうだとか行ってみたいだなんて子供らしい反応を期待していたけど、返ってきたのはいかにもユリらしい言葉だった。

「あなたも学校に通っていたのですか?」

「俺はジェシーと飛び回る方が性に合ってるよ。いつか世界一のドラゴンライダーになるんだ」

「世界一の……」

 ユリは不思議そうな顔を浮かべていた。なんだか、見たことある光景だと思った。確か、シズクに話したときも似たような反応だったっけ。どこか幼げだからか、余計にあの頃のシズクと重なって見えた。

「何かおかしいこと言ったか?」

「いえ。ただ、羨ましいなと。そんな真っ直ぐに夢を語るなんて、私にはできませんでした」

「別にどんな夢を見たっていいだろ。可能性は無限だ」

「それが、どんなに馬鹿げた夢でも?」

「当たり前だ。夢は大きければ大きいほどいい。世界は広い方が面白いように」

「……ほんとにおかしな人ですね」

 いいこと言ったつもりなのに、相変わらずユリの反応は辛辣だった。だけど、不思議と悪い気はしない。きっと、ユリに悪気がないからだ。

 話は終わりかと思いきや、意外にもユリの方から話し始めた。

「……私には、ある夢がありました。荒唐無稽な夢で、誰かに聞かれたら笑われてしまいます」

「クジラの上に行きたいんだろ?」

「……っ!」

 俺が知っていると思わなかったのか、ユリは一瞬だけ作業を止めて、「アカネさんに聞きましたか」と意外そうに言った。相変わらず心を読んでるみたいな察しの良さだ。続く言葉を待っていると、ユリはそっぽを向いて机に突っ伏した。

「そんな興味深げな顔をしても、話すことはありませんよ。話しても意味のないことです」

「俺はユリのことを知りたいんだ」

「……なんですか一体。気持ち悪いですね」

 ユリは身を捩り汚物を見るような目で睨みつけてきた。これは難儀しそうだな。続く言葉を待っていると、ユリは面倒くさそうにため息を吐いた。

「言いふらされるのは嫌いなのですが、あなたならいいですよ」

「その心は?」

「どうせ、この村には言いふらす知り合いなんていないでしょう」

「それはそうだ。俺はよそ者だからな」

「それに、今後のためにもこの村の事情は話しておく必要がありますし」

 そう言うと、ユリは魔術師について簡単に説明し始める。この村には魔術や医学、歴史なんかの知識を受け継ぐ魔術師がいて、数年前まではユリの師匠が村の魔術師として病人の治療や村での儀式を取り仕切っていたらしい。

 それでも魔術師をやるのはやっぱり魔術が好きだからなんだろうか。そう尋ねると、ユリは小さく首を振る。

「魔術師になれば一人で生きて行けると思ったからです。誰と関わる必要もなく、ただ研究さえしていればいい。村の面倒事は師匠がしてくれると思っていましたからね。まあ、実際はそんなに甘い話なんてなかったんですが」

 当然だ。人は一人では生きていけない。一人で生きていると思っても、結局は誰かが作った場所で、誰かと共に過ごすことになる。この村にいる以上は、この村の人たちと関わっていかないといけない。それを柵と思うか縁と思うかは、関わって来た人によるってところか。

「……私は、昔から変な子供でした。小さい頃から本が好きで、よく村の魔術師の倉庫に忍び込んでは、中で本を読んでいました。村の子供はドラゴンに乗って空を飛んだり輪になって踊ったりしている中で、私は怪しげな道具や本が積まれている倉庫に入り浸っているんです。変でしょう?」

 変でしょうって言われても、俺だって変な子供だったからな。とはいえ、子供にまともであることを強いるのも不自然だ。俺だって、世界一のドラゴンライダーになるって言って笑われたことがあった。だけど、それは俺がドラゴンにも乗ったことがないガキだったからだ。実際、夢に向かって努力することを笑うやつはいなかった。

 俺の故郷にあってこの村にないのは、そういう暖かさみたいなものだと思う。日差しはこんなに照り付けてるのに不思議だけど。

 だからと言って、この村の人間が悪いとは思わない。こんな世界じゃ、誰もが今を生きるのに必死なんだ。

「両親のいない私が師匠の弟子として魔術を教わるようになるのは自然なことでした。魔法の国でも名の通った魔術師である師匠に教わったおかげで数年で半人前と認められるようになりました。同時に、師匠はこの村を見捨てて遠い国へ行ってしまいました」

 だから、子供ながらにこの村の魔術師っていう重要な役割を任されてるのか。誰にも認められないまま。何にせよ、そんな状況じゃこの村を出たいと思うのも無理はない。特に、外の世界の事を知ってるユリにとっては、まるで牢屋の中だろうな。

 ふと、ユリの頭から三角帽が零れ落ちる。上を向いたユリの瞳が片眼鏡越しに揺れていた。

「誰かが病気になれば悪魔の子に治療なんてさせるかと言われ、それで治療ができずに死なれればみんな口を揃えて悪魔の子に殺されたと言い始めます。もちろん、後始末をするのは私です。不思議ですよね。本物の悪魔なんか見たことがないのに、人の事は悪魔呼ばわりするんです。一体どっちが悪魔なんだか」

 三角帽を渡すと、ユリは深くかぶりなおす。次の瞬間には、いつもの芝居がかった無表情を浮かべて咳払いした。

「失礼、話し過ぎました。アカネさんがいたら、きっと怒られてしまうでしょうね」

「そんなことないと思うけどな。アカネはユリの事を気にかけてるみたいだったし」

「だからこそ、ですよ。アカネさんも苦労しているのは知っているので。私なんかのことは気にしなくていいんです。私は頭のおかしい魔術師ですから」

 ユリの話を聞いていると、自分からそう振舞っているように見える。他人を遠ざけることで、傷つくのを避けているような。怪しげな格好をして危険な実験を繰り返しているのも、関わったら怪我をするっていう警告なのかもしれない。だけど、自然の中で生きてきた俺は知っている。まるでバラに棘があるように、棘や毒を持った動物や植物ほど本質は繊細で臆病なことを。

 ユリの背中を見つめていると、ユリは居心地の悪そうに咳払いした。

「まったく、魔術師を怖がらない人間は初めてなので、つい余計なことまで話してしまいました。ほら、無駄話してないで、早くアカネさんのところへ行ってください」

 ユリはローブの埃を払って立ち上がり、俺は半ば追い出されるようにして作業部屋を出た。

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