第十三話 オアシスの村

 無限に広がる砂漠の中央で、アカネの足跡と魔物の死骸を引きずる跡だけが歩いた軌跡を刻んでいる。風が砂を巻き上げる音。防魔布が放つ、薬草の苦いところだけを抽出したような嫌な臭い。手足を焼く陽光。人間の適応力ってのは案外侮れないもので、そんな劣悪な環境にもすでに慣れ始めている気がした。

 そうしてアカネに引きづられて一時間近く歩かされたところで、砂だらけの世界が徐々に色を変える。ぽつぽつと緑が増え、草原とはいかないまでも、さっきまでの砂漠と比べて過ごしやすい気候になってきた。

 緑が濃い方へ歩いていくと、天を貫くような一本の影が陽炎に揺らめいているのが見えてくる。まるで、空を支える柱みたいだ。

「あれは……?」

「命の木だ。私たちの集落は、一本の大木を囲むように作られている。そろそろ見えてくるぞ」

 アカネは、相変わらずこっちに背を向けたまま応えた。

 一定の歩幅で歩き続けるアカネに引かれて命の木に近づいていくと、だんだんと集落の全貌が見えてくる。

 命の木の麓には故郷の森が丸々収まりそうなくらい大きな湖が広がっていて、その上にはいくつかの浮島が浮かんでいる。建物のある浮島同士を結ぶ橋には槍を持った見張りが佇んでいて、原始的で排他的な感じだ。真ん中の一際大きい浮島には小さな森が広がっていて、そこだけはまるで砂漠の真ん中とは思えなかった。

 俺が見とれてる間にもアカネは同じような格好をした門番の男と問答し始める。

「アカネか。遅かったな。ずいぶんな獲物を持ってるところを見るに、襲われたか」

「そんなところだ。尾は途中で少し毒味した。残りは預かってくれるか?」

「水脈はあったか?」

「いや。今日は人と会ったのでな。連れてきた」

「他の集落の人間か」

「魔物に襲われて冷静さを失っていたため、拘束することにした。後ほど詳しい話を聞こうと思う」

「ご苦労だな。問題ない。通れ」

 何度か問答を繰り返した後、丸太の柵が重々しい音を立てて開き始める。

「ここが私たちの里だ」

「なんだか、寂しげだな」

「長らく雨が降っていないからな。皆、限界なんだ。見てみろ」

 アカネの指す方を見ると、ところどころに見覚えのある斑点が浮かんだ人が集まっていた。雨雲のような形の黒い痣。シズクと同じ雨雲病の症状だ。島ではシズク以外に斑点がある人間を見たことなかったけど、この集落では珍しくないのか?

「あれは何をしてるんだ?」

「雨雲病が一定以上まで進行すると、他の人間も重症化しやすくなる。だから、湖の外れの島に用意した建物に住んでもらうんだ」

「そんな、だからってのけ者にするようなこと……」

 そこまで言ったところで、アカネは俯いて立ち止る。血が出そうなほど強く縄を握りしめていた。

「私だってわかっているさ。人の道に反したやり方だ。しかし、これ以上感染が広がればこの村は本当に死んでしまう」

 繋がれた縄から、アカネの手の震えが伝わってくるようだった。続く言葉を待っていると、アカネはため息を吐いた。

「悪鬼が巣食うこの世界では、同じように悪鬼の心を持たなければ生きていけないんだ」

 その表情は、とても悪鬼とは程遠かった。悪鬼というには、あまりにか細い。村の中心を歩く姿もどこか寂しげで、出会った時みたいな勇敢さは感じられなかった。

 実際、俺だってシズクを狭い家の中に閉じ込めてるんだ。普段はそんなそぶり見せないけど、本当はシズクだって外に出たいはずなのに。そんな決断を、アカネたちは何度も繰り返してきたんだ。ただ、村を死なせたくない一心で。そんなアカネを悪鬼だなんて思えるわけがない。

 少しの沈黙の後、アカネは縄を引っ張って歩き始める。どこか冷たい視線を感じながら集落を抜けると、アカネは一際大きな建物の前で足を止めた。村の建物は基本的に木造りだったけど、この建物だけは石垣になっていて頑丈そうだ。

 アカネは懐から鍵を取り出し、太い角材でできた閂と鍵を外して扉を開けた。

薄暗い室内に吸い込まれるようにしてアカネについていくと、石壁と鉄格子に囲まれた部屋、というより、空間に案内された。

「ここが君の部屋だ」

「なんか、狭いな。それに薄暗い」

「地下牢だからな。見るのは初めてか?」

 俺の街には、牢屋なんか必要なかった。街の人たちはみんな楽しく過ごしてて、誰も不満なんかない。当たり前だと思ってたけど、この世界ではそれが当たり前じゃないんだ。

 牢の扉が閉まり、錠が掛けられる。理不尽な状況だと思う。だからこそ、実感がわかなかった。俺が何かしたっていうなら、説明してほしい。そう思う反面、さっきみたいに質問攻めしてアカネに迷惑を掛けたくないという気持ちがあった。

 アカネは冷たい眼で見降ろしたかと思えば、すぐに踵を返す。

「一日に二回、食事が運ばれてくる。おとなしくしていれば一週間ほどで出られるだろう」

「待ってくれ! 妹を待たせてるんだ。そんな長い間じっとしていられない!」

「君の事情なんて知らん」

 アカネはこっちを振り返らずに応えた。それが顔を見られたくないときの仕草だってことはもうわかってる。本当は、アカネだってこんなことしたくないんだ。

「私は行く。せいぜいおとなしくしていろ」

「待ってくれ!」

 再三呼び止めると、アカネはめんどくさそうに振り返る。

「今度はなんだ。言っておくが、君の要望には……」

「ジェシーは甘いものしか食べないんだ」

 アカネは一瞬驚いたような顔を浮かべたかと思えば、次の瞬間にはあきれたようにため息を吐いた。さっきまでの冷たい瞳はもう鳴りを潜めていた。

「まったく……呆れた奴だ。本来、我慢しろという立場なんだがな」

「俺の食事は用意しなくていい。だから……頼む」

「そういうわけにはいかないんだが……」

 アカネは困ったような顔を浮かべて頭を掻いた。

「ドラゴンの食事には果物を出すように言っておく。それ以上は期待するな」

「ありがとう」

 こんな砂漠で果物がどれだけ貴重かは想像できた。心から礼を言うと、アカネは不機嫌そうに踵を返す。入って来た時は冷たいほどの無表情だったのに、出ていく動作は荒っぽくて、苛立ちを隠しきれてないように見えた。

 アカネがいなくなると、人の気配がぱったりと消える。見張りなんていらないってことか。どっちにしろ俺にはここから出る力なんてない。パチンコと短弓、それにいつも持ち歩いている小道具も没収済みで絶体絶命だ。

 俺は島一番のドラゴンライダーだ。ジェシーが居ればなんだってできる。でも、いつもジェシーと一緒だったから気づかなかった。俺は、一人じゃ何もできないんだ。

 シスターの言った通りだった。愚かで自己中心的な人間は、周りを不幸にする。シズクはもう長くない。その間、シズクといるべきだったのか?

「……夢は、夢のままじゃ終われないだろ」

 いつか、シズクに世界中の景色を見せてやるんだ。こんなところで立ち止っていられない。シズクに外の景色を見せてやれるのは俺だけなんだ。俺があきらめてどうする。夢は、現実をひっくり返して実現させるんだ。

 それに、ここで折れてしまったら、夢を掴むための右腕まで折れてしまうような気がした。

§

 牢に放り込まれてからどれだけ経っただろうか。結局、何時間考えてもここから脱出する方法は思い浮かばなかった。金属の格子をこじ開ける腕力は無いし、石の壁を掘って進む道具もない。そもそも、脱出してどうすればいいか分からなかった。牢の外に出たところで、ジェシーは怪我をしていて島には戻れない。当然、ジェシーの怪我を治す力もない。村の外に逃げても、干からびて死ぬのがオチだ。

 ああでもないこうでもないと考えていると、誰かが建物の扉を開いた。

「……大人しくしていたようだな。安心したぞ」

「アカネ」

 地下牢に続く扉が開かれると、さっきとはうって変わって、どこかほっとした顔のアカネと目が合った。

「食事は良いって言っただろ」

「食事ではない。君の相棒を連れてきたんだ」

 アカネが後ろに視線を向けると、その先に見覚えのある白い影があった。純白の翼に純白の身体。見間違えるはずがない。十年もの時間を共にした相棒の姿がそこにはあった。

「ジェシー!」

 勢いあまって牢屋に激突すると、俺に気づいたジェシーは弱々しく尻尾を振って見せた。ずいぶんと元気がなさそうだけど、落ちた時にできた傷は少し良くなってるみたいだ。誰かが治療してくれたのか。ジェシーが無事なことに安心していると、アカネは牢の扉を開けた。

「竜舎の方で休ませようと思ったんだが、勝手に連れ出そうとする者がいてな。ここにいた方が安全だろう」

 首に掛けられていた縄を解かれると、ジェシーは牢の隅っこの方で丸くなる。よっぽど無理をさせたから、今は何があったか聞くよりも休ませるほうが先決だ。ジェシーの事だから、一晩寝ればすぐに甘いもの食べたいとか調子のいいこと言いだすに違いない。

「ありがとう」

 思わずそう言うと、アカネはいやそうな顔で手を振った。

「礼なんて二度とするな。君のような善人をこんなところに放り込んでいるんだからな」

「善人?」

「その様子だと、自分の事よりジェシーの事を心配していたのだろう。とんだお人よしだ」

 お人好しなんて、そんなわけない。俺の身勝手でこんなことになったんだ。

 そう口に出そうとした時には、アカネはすでに牢に鍵をかけて出ていった。

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