第十一話 赤髪の戦士

 どれだけの間気を失っていたかはわからない。数秒か、長くて数十秒。不時着した衝撃で一瞬だけ気を失っていたけど、ゆだるような暑さに無理やりたたき起こされたみたいだ。とにかく、状況を把握しないと。

「熱っ!」

 立ち上がろうと地面に手を付くと、焼けるような痛みが掌に走る。体中を纏うゆだるような暑さの原因に気が付いたのは、その直後だった。

「これは……砂?」

 どれだけ注意深く周りを見渡しても、広がっているのは砂、砂、砂。それも、黄金に光る砂金の山なんかじゃなく、青空の真ん中に浮かぶ太陽の光を反射して灼けるように熱くなっている灼熱の砂。

 聞いたことがある。砂でできた大地の話。昼間は陽の光が肌を焼き、夜はほとんどの生き物が耐えられない極寒の地になる。おとぎ話で誇張されてるだけだと思ってたけど、本当に存在したんだ。ジェシーの口ぶりから薄々は気づいていたけど、俺には命の花しか見えてなかった。

 陽炎の昇る広大な砂漠で、一人。茹だるような暑さ以上に孤独感が襲う。父さんもシズクもいない。足元を見ると、ジェシーが蹲っている。落ちるときにかばってくれたんだ。

「とにかく、日差しを遮れるところを探さないと」

 日差しに当たりっぱなしだと、水分と体力がすり減っていく。魔物から隠れるためにも、どこか休める場所を探す必要がある。足元の砂は火傷するほどの熱さになっていて、この中には隠れられそうにない。ジェシーを背負って逃げるしかないか。

 砂に足を取られながら歩き出すと、ふと、周囲の砂山に影が落ちる。

「おいおい、もう気づいたのかよ……!」

 段々と小さくなる影に上を向くと、魔物がすごい勢いで突っ込んでくるのが見える。相当怒らせたらしい。大型のドラゴンよりさらにでかい図体だ。人間一人食ってもしょうがないだろ。

 すぐ目の前に飛び降ると同時、立っていられないほどの強風が襲い掛かる。それが鳴き声だと気づいたのはその直後。あまりの大音声を脳が音だと認識しなかった。あれだけの爆発を食らったってのに、魔物には傷一つついていない。

 動物たちと森に住んでるから、こういう時にどうすればいいかは知っている。驚かせたら、獣は興奮して追ってくる。背中を見せるのは悪手だ。

「……冗談じゃない。怖すぎんだろ」

 遠くからだと真っ黒な鱗と翼のせいか影法師みたいな見た目だと思ってたけど、建物の柱の何倍も太い前足の先と人一人軽く一飲みにしそうな大口には刃物のように研ぎ澄まされた爪牙が生えそろっている。額からは淡い紫色の角が鉄の鱗を突き破って妖しく光っていて、この世の生き物とは思えないおぞましさだった。

 黒曜石みたいに黒々と光る眼を正面から睨み返しても、見逃してくれる様子はない。当然と言えば当然だ。驚かせたらダメなのは、あくまでばったり出くわした時。一発お見舞いした後じゃ意味がない。

 行き当たりばったりで行動するのは俺の悪い癖だ。こうなることを全く予想できてなかった。あの時に矢なんか撃たなければ。いや、違う。最初からジェシーの言うことを聞いておけばよかったんだ。

『……レイン』

 魔物に気づいたか、ジェシーは砂にまみれた状態で弱々しく起き上がろうとする。だけど、後ろ足を怪我してるみたいで、立ち上がれても逃げるのは無理だ。

『ボクは大丈夫だから、先に逃げてよ』

 大丈夫って、なんだよ。死んでも大丈夫ってことかよ。たとえジェシーが大丈夫でも、俺にはジェシーがいないとダメなんだ。それに。

「ドラゴンライダーは、ドラゴンを置いて逃げたりなんかしない!」

 そう虚勢を張ったところで、俺は一歩一歩と近づいてくる魔物の眼を睨み返すことしかできなかった。

 荒い鼻息が顔にかかるくらいまで近づいた直後、何かを踏み潰したような大きな音が砂山に響いた。

 思わず目を閉じても、痛みが襲ってくる気配はない。身体が動く感覚はある。

 もしかして、痛みを感じる間もなく踏み潰されたのか。なんて考えられてるうちは生きてるんだろうけど。

「な……」

 薄く目を開けると、人間なんておやつ感覚で飲み込みそうな大口を開けた魔物が悪趣味にも俺が怖がって背中を向けるのを待ってるのか? それにしては、俺が目を開けてるのにピクリとも動かない。

「死んでる……のか?」

 頭があり得ないと否定しても、現実は俺の眼にあり得ない光景を見せつける。さっきまでお元気に空を飛んで火を噴いていた魔物の頭と体が分断され、砂の山に埋もれていた。さっきの音は踏み潰された音じゃなく魔物の頭が砂に落ちた音だったのか。

 少し遅れて、制御を失った胴体が地響きと共に砂漠に倒れ、砂塵を巻き上げる。見たことないほどの量の血が黄色い砂を赤く染め上げ、嫌なにおいが立ち込める。

 何が起こっているのか全く分からない。ただ、助かったと言い切れないってことは分かる。一見、目の前の脅威は去った。だけど、この状況から考えると、今のバケモノを一瞬で倒すほどの何かが近くにいると考える方が自然だ。もし、もっと強い魔物が近くにいるとしたら、隠れる場所のない砂漠でジェシーを守れるだろうか。

「……大丈夫か、少年」

 ふと、唐突に響く凛とした声に心臓が跳ねる。まさか、この砂漠に人がいるのか。恐る恐る辺りを見渡すと、茶色い布で口元を隠した人影が魔物の足元で立っていた。

 砂漠に溶け込むような色をした外套に体を隠しているけど、その上からでも細身の少女だということが分かる。反面、右手にはナイフにしては大振りの物騒な得物が握られていて、鉈のような、剣のような鈍色に光る刀身からは鮮血が滴っていた。そして、一際目を引くのが、顔に巻いた布と外套の隙間から覗く血のように朱い前髪と、炎のように紅い瞳。その格好と雰囲気は、只者には見えなかった。

 助けてくれたということは理解できる。ただ、安心できる状況でもなさそうだ。あの魔物を一瞬で倒してしまう人間だ。仮に敵だと思われたら、たぶん殺される。

 どう答えたらいいか分からずに固まっていると、謎の少女はこっちを見てため息を吐いた。

「そう警戒しないでくれ。生憎私は魔物や鬼ではない。獲って食ったりはしないさ」

 同時に、周囲に充満していた殺気が霧散する。

 少女は得物に血ぶりをくれて懐にしまうと、そのまま太いロープを取り出して手慣れた手つきで魔物の尻尾を縛り上げてナイフで切り落とす。妙に手際がいいけど、地上の狩人みたいなものか。

「君は一体……?」

「私はアカネ。村一番の戦士だ」

 漠然とした問いかけに、アカネと名乗る少女はこっちを振り返らずに答えた。村ってことは、地上にも人間の集落があるってことか。こんな世界でも、人は生きていけるのか。

「君は? 見ない顔だが、他の集落から来たのか?」

 呆然としていると、アカネはこっちを向いて目だけで不審そうな顔を浮かべる。外套と同じ色の布で鼻から下を隠しているからか、どこか不気味な感じだ。ともかく、相手は武器を持ってる。怪しまれないようにしないと。

 とりあえず、まずは正直に……「俺はレイン。クジラの上から来たんだ」と言ったところで、しまったと口をつぐむ。

 クジラなんて言っても、地上の人間に通じるかどうかは分からない。もし知ってたとしても、そこから来たなんて自分は怪しい人間だと自己紹介してるようなものだ。

 突飛な発言にアカネは面食らったように赤い目を見開いたかと思えば、すぐに口元に手を当てて苦笑した。

「積乱雲の上に浮かぶという島のことか。そんなところから来たなんて、面白いことを言う」

 数秒前までは得体の知れない存在だったけど、話が通じるだけでどこか安心する。さっき言ってた通り、目の前の少女――アカネは魔物や鬼じゃなくて人間なんだ。

おかしなことを言っている自覚はある。俺だって、自分がクジラの上に住んでることを知ったのはつい最近だ。

「信じてくれるのか?」

「君は、そのドラゴンに乗って来たのだろう?」

「乗って来たってよりは、急にバケモノに襲われて落ちてきたって感じだ」

 アカネは俺の背後に視線を向ける。視線を向けられていることに気づいたジェシーは小さく尻尾の先を振って元気だと伝えようとしてるけど、それが弱々しい印象を大きくする。それを見たアカネは何か納得したように頷いた。

「ドラゴン……それも、滅多に人前に現れないと言われる飛竜の子供がなついている人間に悪人はいない。君がよければ、私たちの村に案内しよう」

「本当か! それなら助かる!」

 地上でも飛竜は伝説の生き物として知られてるのか。結果的に、ジェシーのおかげで命拾いしたわけだ。

「ああ。ドラゴンは動けるか?」

 怪我をしているみたいだけど、少しなら動けそうだ。ただ、空を見上げるとあんなに大きかったクジラが指先くらいの大きさになっている。戻るのは当分無理そうだな。

 アカネの言葉を聞いていたのか、ジェシーはさっきより少し元気そうに尻尾を振る。本当は休ませたいところだけど、ジェシーが気を遣わせたくないと思ってることくらいわかる。

「歩くだけなら大丈夫だと思う」

「そうか。なら、ついてきてくれ」

 アカネはそう言って頷くと、切り取った魔物の尻尾を担いで踵を返した。ひとまず、信用してもらえたみたいで助かった。ジェシーを肩でかばいながらアカネの足跡についていくと、アカネは背中越しに口を開く。

「魔物から逃げて消耗しただろう。近くに拠点があるから少し休んでいこう」

「ありがとう。助かるよ」

 やっぱり、こんな日差しの下で生活してるわけじゃないのか。見たところ周りには草木一本生えてないけど、どうやって日差しを防いでるんだろうか。

「……その前に、これをつけておけ」

「うわっ!」

 ゆだるような頭で考えていると、べっとりとした感触の布が思考と視界を遮った。

慌てて摘まみ上げると、アカネが口元に巻いているのと同じ薄灰色の布だった。

「これは?」

防魔布マスクだ。外の砂塵は人体に有害でな。あまり長く吸いすぎると肺が焼けただれてしまう」

「まじかよ」

 吸い込みすぎると、肺炎になるってことか。雨雲病と関係があるかもしれないな。防魔布を首の後ろで結ぶと、つんと鼻に来る臭いが砂の匂いをかき消した。薬草を煮詰めた汁で浸したような感じだ。身体には良さそうだけど、当分慣れなさそうだな。それよりも。

「ジェシーは大丈夫なのか?」

 外の砂が人間にとって毒なら、ジェシーにとっても良くないと思うのは自然だった。その上、怪我をしてるジェシーが汚染された空気や砂に触れるのも良くない気がする。

「ドラゴンの事なら心配は無用だ」

「……どういうことだ?」

「砂から発生する瘴気は、人間にだけ牙を剥く。ドラゴンなら野性でも生きていけるさ」

「なんでだよ」

「……」

 ふと、純粋な疑問にアカネは足を止め、背中越しにつぶやいた。

「人を殺すために撒かれたからさ。魔物や動物に害はない」

 砂漠の真ん中で、風が砂を巻き上げる音だけが響く。さっきまで歩いていたところの足跡は風で流されて、もう見えなくなっている。まるで、俺たちの存在を消そうとしてるように。

「それってどういう……」

 まさかとは思うけど、アカネの仲間が撒いたのか? そう口にしようとすると、アカネは速足で歩き始める。

「行くぞ。呼吸するときはなるべく布越しでな」

「おい、待ってくれよ」

 結局、まっすぐ歩いていくアカネについていくことしかできなかった。

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