第40話 生と死

 夢か幻ではないかと思った。精霊たちがそれぞれに光を放っているため、夜なのに妙な明るさだった。

 一方で暗いままなのがウルリヒとルーペルトのいる場所だ。背後に浮かぶ暗く黒い闇の精霊が、今にも彼らを飲み込んでしまいそうに見えた。

「世界秩序は崩壊した。もうじきこの土地も荒れて、人間たちは彷徨さまようことになるだろう」

「させません。私たちは話し合い、再び秩序を打ち立てることに決めました」

 光の精霊が強い口調で返すが、闇の精霊は首をかしげた。

「はて、我は同意した覚えがないぞ」

「あなたの同意などいりません。私たちは新たに世界を作り直します」

「世界、を……?」

 理解が追いつかなくて、思わずつぶやいてしまった。

 しかし、精霊たちは誰一人としてオレの方を見ることなく、話を続けた。

「そもそもこの世界に争いが生まれたのは、闇が自らの石版を破壊したからです」

「当然だ、我は光とともにいたい。そのためにあれは邪魔だったのだ」

「我慢なさいと言ったでしょう? わたしとあなたは対を成す存在、ともに在ることはできないのです」

「だが、賢い人間が光の石版を我の元へ運んでくれたではないか」

「聖地が失われるのをごまかすためです。あなたのためではありません」

 何だか痴話喧嘩っぽく聞こえるのは、オレの気のせいだろうか。

「そうだとしても嬉しかった。もっとも、光は一度も会いに来てくれなかったがな」

「ですから――っ」

「落ち着きなさい、光。ここはわたしに任せて」

 と、前へ出たのは土の精霊だろうか。さらさらとした砂のような衣装を身にまとっていた。

「わたしたちは闇をこの世界から追放し、新たな秩序を打ち立てるつもりよ。そして世界を作り直すの」

「ほう、我を追放するのか。であれば、そなたらが死ぬことは叶わなくなってしまうな」

 闇の精霊が見下ろしたのはルーペルトとウルリヒだ。

「そんな……」

「だったら、今ここで――!」

 魔猫が少年の首へ勢いよく噛みついた。力なく少年が倒れ、血しぶきを浴びて赤黒くなった猫がそのそばへ寄り添う。

「坊ちゃま、すぐに私も参ります」

 前脚を自らの首へ当て、爪を立てた。

「っ……」

 ――誰かが死ぬところを初めて見た。

 オレはただ見ていることしかできなかった。血溜まりに埋もれていく一人と一匹の最期を、何もできずに見届けるしかなかった。

 精霊たちは「なんてこと」と、ざわつくばかりだ。

 闇の精霊はにんまりと笑った。

「それで、話の続きは?」

 水の精霊が片手を後ろにやって、ぐっと握ってから開いた。何かと思ったら先生の傷が癒えていくではないか。ヘルマンさんやアロイスさん、ジークさんとベルナルトさんの傷もだ!

「光よ、我はお前に心から憧れ、敬愛している」

「いいえ、あなたのそれは執着です。新しい世界に死はいらない」

「本当にそう思うか? 死がなければ人間たちは増え続ける。石版の効力が及ぶ範囲などすぐに越えて、人間たちは争い始めるに違いない」

 精霊たちが押されているのが分かった。闇の精霊の言うことは正しい。

「それに生は死があるからこそ美しい。我はそう思うのだが、お前たちはどうだ?」

 言葉を返せる者はいなかった。

「ふむ、それが答えだな。さあ、崩壊していく世界をながめているがいい」

「お前……っ」

 火の精霊が耐えかねたように前へ出ようとすると、光の精霊が手を出して制止した。

「喧嘩をするよりも世界をどうにかするのが先です」

 そして光は闇の方へ、おもむろに寄って行った。

「闇よ、わたしはあなたを受け入れましょう」

 火が、土が、風が、水が驚いてそれぞれに声を上げた。

「何を考えているんだ!?」

「話が違うわよ!」

「おやめなさい、光!」

「そんなことをしたら――っ」

 光はしかし冷静だった。

「わたしはあなたと一つになる。生と死が表裏一体となるのです」

 闇へと両腕を伸ばし、光は微笑む。

「どうですか、闇よ」

「ああ……ああ、なんと素晴らしい! 我のそばにずっといてくれるということか!?」

「ええ、そうです。ただし、条件があります。それはこの世界に再び秩序を打ち立て、元通りにすること」

 闇の表情がけわしくなる。

「あとは終わりが来るのを待つだけだというのに?」

「今ならまだ間に合います」

「そうか。我の可愛い子どもたちが頑張ってくれたと言うのにな」

 闇の精霊が視線をやるのは一人と一匹だったモノ。

「彼らの努力を無駄にしようとは、実にむごい連中だ」

「酷いのはあなたでしょう? 彼らをそそのかして自害させたではないですか」

「何を言う? 彼らは元々死にたがっていたのだ。理不尽と不公平にまみれた世界に嫌気が差してな」

「そんなことになったのは、元々あなたが――っ」

 と、光が声を荒らげるのをオレは魔法でさえぎった。

「ヴェルフェン・ヴァッサー」

 激しい水流が精霊たちの間をすり抜けていき、こちらに注目が集まる。

「いい加減にしてくれよ! 元通りにできるんだったら、早くそうしてくれ!!」

 オレはリーゼルを抱いたまま立ち上がった。

「ウルリヒとルーペルトはもう戻らない。でも、それならせめてこれからは、彼らみたいな人が出ないように、オレたちが頑張るからさ。早く世界を戻してよ……!」

 もうオレは疲れてくたくただった。世界が終わりつつあるのを肌で感じながらも、早く家に帰ってベッドに入りたかった。いつものようにお気に入りのテディベアを抱いて、朝まで眠りたかった。

 精霊たちは顔を見合わせ、土の精霊が大きな石版を空中に作り出す。

「子どもにあんなこと言われたら、従うしかないわよね。闇、今度は石版を壊さないでよ」

「約束通り、光がそばにいてくれるならな」

 光は少し苦い顔をしながらもうなずき、他の精霊たちとともに石版を囲んだ。

 世界の秩序ルールを一つずつ掘っていくと、さっきまで降っていた雨が徐々にやんでいった。

 上から下まで文字で埋め、石版を六つに分ける。

「母なる光よ、父なる闇よ。この石版をもって、この世界ディミ・ス・テリオを再生します」

 精霊たちが声をそろえて唱えると、世界は元通り夜の闇に包まれた――。

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