コンビニエンスストアにいるメイド店員!

 海の見える街がある。


 山沿いの道を走るワンボックスカーの助手席で大きなあくびをした少女の目には暖かな景色が映っている。彼女は目にかかっている前髪を指でつまんだ。


「あー。そろそろ髪切りに行かないといけないねー」


 黄色味の薄い金髪をうっとおしそうに彼女は言った。運転している父親は何も言わずにちらりと彼女を見てうっすらとほほ笑む。


「あーあ。引っ越しかー」


 彼女の名前は波須 紀子(キコ)。 彼女に親しいものはキーコだとか、口さがのないものはキノコだとか言う。


 ワンボックスカーの後部座席には彼女の弟と母親が寝ている。紀子はそれを振り返って声もなく笑う。彼女にとってかわいい弟は中学生だが、母親に抱かれて眠っている。


「のんきそーでいいなー」


 紀子は高校生だった。複雑な年齢での引っ越しは思うところ深く、そして重い。だが、それでも彼女は明るい口調で言う。


「でも、編入先の高校はバイトOKらしいから。お父さん! 私はバイトするからね!」


 父親はちらりとみて頷く。アルバイトをさせるのは不安だが、この引っ越しに対してひけめもあるのだろう。紀子は彼の頷きで満足して背もたれに深く体を預ける。少し斜めに座ると青い空に白い雲が浮かんでいる。


「いい天気だー」


 車の進む先には『ここから追田市』という標識がある。


☆☆


 編入する高校での手続きを終えてから数日。紀子は街に出た。


 白いシャツに紅い胸元のリボンに紺のブレザー。深い緑のチェックのスカート。彼女の転校する前の高校の制服だった。髪はまだ切っていない。目元にかかった髪の間から彼女の愛らしい瞳が見える。


「バイトの面接かぁ。うわー。どきどきする」


 初めてのアルバイトの面接にしっかりとした服装で行くと決めた彼女だったが、学生の彼女には制服しかなかった。どきどきしている胸を押さえて、アルバイトの面接のある場所に急ぐ。


 角を曲がると少し広い駐車場を要するコンビニエンスストアがある。セブンスという全国チェーンのコンビニである。紀子はその前で立ち止まってうろうろしている。細い手首につけた腕時計をみると時間まであと5分もある。


「こ、こーいうのはぎりぎりに行ったほうがいいよね。履歴書も郵送したし、えっとあとは」


 ぐるぐると初のアルバイト面接で細かすぎる配慮が頭をめぐる。彼女はそれでも意を決した。


「大丈夫大丈夫、平常心平常心。なにがあっても平気」


 すーはーすーはーと深呼吸して彼女は「よし! もう何があっても驚かない!」となぜか小さくガッツポーズをしてコンビニに足を踏み入れる。


 そこにはメイドがいた。


「……!?」


 入口すぐにホウキを肩にかけた目つきの悪いメイドが立っていた。


 短く整えた艶のある黒髪。顔立ちは美しい女性だが、じろりと紀子をみる目は鋭い。


 黒いロングスカートのメイド服の上に白いエプロン。それにメイドキャップ。かつかつと音をたてて歩く足元にはブーツを履いている。


「……らっしゃいませー」


 全然歓迎してないような顔でメイドは言った。紀子はその場で固まってしまった。


(え? 店員? え? え?? え??)


 混乱している彼女の横をメイドが通り過ぎて、入り口を掃き始める。


「コンビニなのにメイド?????」


 紀子は見つからない答えの中に頭を抱えてしまった。



 店長は普通だった。見た目は紀子には若そうには見えたが少し目元にクマのある男性である。彼はバックヤードで紀子と向かい合って面接をした。


 狭いバックヤードでパイプ椅子に座った二人が対面する。形式だけと言っていいほど簡単な質問の後に「どれだけ入れそうか?」と言った。


「えっと。あの高校が終わった後しか無理なので夕方とか夜とか……」

「ふーん。部活やる予定ある?」

「い、いえ。とくには」

「そう。じゃあたぶん中ノ峯さんと一緒になることが多いと思うけど……まあ、あの子優しいから頑張って。おかしいけど」


 紀子はその言い回しに引っかかりつつも聞く。


「あ、あの質問してもいいですか?」

「いいよ。なに?」

「あの……メイドがいたんですけど……」

「あー。うん。大丈夫だよそのうち慣れるし」

「な、なれるって? どういうことですか!?」

「だってあの子が中ノ峯君だから」


 紀子はわけのわからないという顔をした。



 制服も普通だったが、メイドがいた。


 中ノ峯という女性はとにかく手際が良い、商品補充からレジを回すのもすべて無駄がなかった。ただ目つきが悪く、紀子はシフトが同じになることが多いのでびくびくしていた。


「キーコ。おい」


 呼び方も荒い。紀子は「は、はい!」と近寄るとだいたい仕事のことでミスをしていて注意される。中ノ峯は特に怒るということでもなく淡々と改善点だけを告げてから「もう、いい」と次の仕事にかかる。


(うう……つめたい)


 紀子ははあと息を吐いた。初めてのバイトで手際が悪いのは自覚している。


(やめちゃおっかな……あ)


 そう思った時にレジで客が読んでいるのが聞こえた。彼女はすぐに駆け寄る。初老の男性がいらいらした顔で待っている。その顔だけで紀子の心に一つ傷がつくが、彼女は笑顔を何とか作った。


「お、おまたせしましたー」

「いつもの」

「…………え?」


 男性はさらにいらいらいして「タバコだよたばこ」というが紀子は焦ってしまう。


「あ、あのそのば、番号を」

「いつもの、早く!!」

「は、はい!!」


 言って紀子は煙草のケースの前に立つ。なん十種類もある煙草の銘柄。情報は「いつもの」だけである。


 景色が、ゆがんで見える。


(……!……!!)


 混乱が深まっていく。怒られたくない。どうすればいいのかわからない。ただ立ち止まってしまう。


 泣き出してしまいそうになる。


「コレ」


 紀子の横から手が伸びる。その「メイドの手」は一つの銘柄を取った。紀子が振り向くと中ノ峯が初老の男性に話しかけている。


「誠司さん、番号いってくれ。こいつ、バイト自体初めてなんだから」

「……聞いてくれればいいのによ」

「聞けないもんなの。こういうのは。……はい、まいどあり」


 中ノ峯と初老の男性は話をしながら会計を済ませる。慣れた手つきと慣れた会話だった。男性が去った後に紀子が中ノ峯におずおずしながら言う。


「あ、ありがとう、ご、ございました」


 なんでかわからないが涙があふれてくる。自分でもこんな些細なことでなんでこうなるのかはわからない。中ノ峯はその鋭い目つきで紀子を見た。ともすればややさぐれているような表情である。


 ぽんぽんと頭をなでる。


「きにすんじゃねーよ。困ったら普通に呼べ」


 ぶっきらぼうに言うとそれだけで中ノ峯は仕事に戻っていった。


 紀子はその後ろ姿に思わず言った。


「中ノ峯さん!」


 中ノ峯は振り返る。その目は冷たい、いや「冷たく見える目」だった。それが紀子には少しだけわかった。


「……なんで……なんでメイド服を着てるんですか?」

「…………」


 メイドはくるりと向き直る。ふわりとスカートが揺れる。ただ両手を組んで顎を引くしぐさは偉そうだった。


「いわねぇ」


 にべもなかった。



 コンビニのいる謎のメイド。あの小さな一件を境に紀子は彼女を観察するようになった。


 仕事が早く、正確なのはずっと変わらないが。愛想がないくせに意外と客に人気がある。

 顔見知りとでもいうように様々な人が彼女を訪ねてくる。


 小学生の集団がなにかカードゲームのことを聞いてきたり、


 酔ったサラリーマンが来たら酔い覚ましに良いものに訪ねたり


 近くにある工場の人々が来たら弁当は何がおいしいのかを聞いてきたり、

 

 近所のいろんな人々に対してメイドはぶっきらぼうに答えるだけだった。


 コンビニのメイドというのはともすれば異常な状況だが、接客自体に問題があるわけでもない。紀子も中ノ峯のぞんざいな態度が怒っているのではなくて、そういうものだとわかると困ったときは聞くようになっていった。


「あーつかれたー」


 アルバイトも2週間程度が過ぎた。まだまだ慣れないことばかりで戸惑いの毎日ではあるが、紀子は少しだけ楽しさも覚えてきた。


 外は暗い。高校が終わったとに入るシフトはどうしても遅くなってしまう。


(帰るの結構怖いんだよね)


 自転車にまたがって帰る。それだけでも彼女にはそれなりに怖い。


(そういうえば中ノ峯さんってどこに住んでるんだろ。ていうか歳いくつなのかな)


 店内には客がいない。その中ノ峯もゴミ捨てに外に出ていた。そうしていると入口のドアが開いた。一人入ってくる。


「あ、いらっしゃいませー」


 紀子が見ると、それはバイク用のヘルメットをかぶった、おそらく男性だった。彼はずんずんと紀子の前に来ると包丁を見せた。


「……へ?」

「金を出せ」


 ぎらつく包丁。真っ黒なヘルメットの下からの低い、冷たい声。


「早くしろ! 殺すぞ」

「は、はい!」


 紀子は反射的にレジに飛びついた。


「えっと、えっと」

「早くしろって言ってんだ!」

「ご、ごめんなさい!」


 レジを開けて紀子は固まってしまう。どうすればいいのかわからない。彼女は震えながら「強盗」に言う。いや、言ってしまう。


「やめませんか?」

「ああ?」

「やめませんか!? こんなこと!?」


 必死に思ったことを言う。余計なことを言ったという悔恨とともに、彼女は叫んだ。


「どけ!」


 男は紀子を力任せに押した。後ろの棚に彼女は背中を打ち付けて、悲鳴を上げる。男はそれに見向きもせずにレジに手をいれて万札をむしるようにもつとポケットに詰め込む。そして走り出そうとした。


「なぁにやってんだ?」


 ブーツの音。怒りに満ちた声。紀子が入り口を見ると、モップを肩にかけて、目をギラギラと光らせたメイドが立っている。髪の毛を逆立てている。


「……中ノ峯……さん」


 痛い。紀子はうなる。


「なんだお前は! 頭おかしいのか!」


 メイドに対して強盗が言う。


「お前ほどじゃねぇよ」


 中ノ峯はモップを構えたままだ。男も荒い息で包丁を構えている。


(中ノ峯さん! 逃げて)


 紀子は声が出ない。怖くて出ないのか、背中を打ったから出ないのか自分でもわからない。ただ、彼女の目にはレジの下にある強盗対策用の「カラーボール」がはいった。彼女は体を起こしてそれをつかんだ。


「う、うああああああああ!」


 カラーボールを紀子は強盗に投げる。外れたそれがぱしゃっと後ろの棚ではじける。


「なんだてめぇ!――」


 強盗が紀子を見た一瞬。メイドが踏み込んだ。モップを遠心力で思いっきり振りかぶった。


 ――どこみてんだカス!


 バイクのヘルメットが割れる勢いでモップが叩き込まれる。ガシャーンと棚に突っ込んだ強盗。包丁が床を滑っていく。


「くそが!」


 強盗はヘルメットを脱いで投げ捨てた。彼も必死だった。中ノ峯はそれを避けた。そのすきに強盗が入り口まで走り出す。


「あ、逃げるよ。中ノ峯さん! ……け、警察に連絡しなきゃ!」

「……………」


 紀子が中ノ峯を見ると、彼女はスカートのポケットからスマートフォンを出した。モップは投げ捨てて床でからんと音を立てる。


(中ノ峯さん、警察に連絡を……し……て)


 紀子の目の前で中ノ峯はスマートフォンを右手に持ち。大きく振りかぶり、足を上げる。スカートの下の白い太ももが見えそうなほど。


 そして右手は深く沈み込む――マサカリ投法というそれを紀子は知らない。


「逃げてんじゃねぇよ」


 怒りを映した炎をともったような瞳。


 中ノ峯はスマートフォンを強盗に向けて投げつける。すさまじい速さで強盗の後頭部に直撃した時。男は、


「ぐげっ」


 という声を出して倒れこんだ。



 警察が来たときコンビニのバックヤードで紀子は震えた。今更とっていいだろう。彼女は体を押さえて鳴りそうになる歯を食いしばった。


「ほら。あんたも飲め」


 そんな彼女に中ノ峯がコーヒーを持ってくる。暖かいそれを紀子はもらう。


「これ、中ノ峯さん。お店の」

「細かい」

「はい……すみません」


 紀子はコーヒーを開けて飲む。暖かいが苦い。ブラックは初めて飲んだ。うっとその苦さが紀子を少し現実に引き戻した。


「今、警察があいつを連れて行っていたよ」

「そうですか……よかったです」


 中ノ峯はパイプ椅子に腰かけて足を組んだ。姿勢が悪い。


「…………中ノ峯さんはすごいですよね。あんなことができて」

「…………あんたさ」

「はい」

「前にあたしがなんでメイド服を着ているのかって聞いただろ」

「……? ききましたね」

「大した理由じゃない。バイトを始めたときお客さんが怖かった」

「え?」

「……………人と接するのが怖くて。失敗ばかりしたときに、アタシなんて何の価値もない人間って思いこんでた……その時になんとなしに開いた雑誌にメイド服が載ってて、これ着ていけばクビにしてくれるんじゃないかって思った」

「ええ……」

「普通にやめるっていえばいいのに頭おかしくなってたんだろうな。それで着て行ったらあのあほの店長がOKだして、客にも受けて、引っ込みがつかなくなった。そんだけ」

「……ほんとの話ですか?」

「こんなわけのわからない話をしてどうすんの?」


 中ノ峯はその場で立ち上がった。


 スカートのすそをつまんで少し恥ずかしそうに上げる。


「でも、この服着てたらあたしは無敵だ。こんな格好をしてたらこれ以上おかしいことなんてないし。怖くもない……あー、なんでこんなこと話しているんだ……」


 紀子は目の前の青い髪のメイドをみて、笑いが込み上げてきた。


「ふふ」


 中ノ峯も笑う。


「…ふふふ」


 二人はあははと合わせて笑う。


「そういえば警察が事情聴取みたいなことをするらしいけど、アタシも着替えるから待ってもらってる。店長も呼びつけたからそろそろ来るはず」

「中ノ峯さん……いつもメイド服になにか羽織って帰ってますもんね」

「めんどくさいから……一応着替えは持っている。


 中ノ峯はメイド服を脱いでロッカーから出したバックの中から畳まれた服を着る。白いシャツ。ネクタイにブレザー。そしてかわいらしいスカート。そして赤い縁の眼鏡を付ける。


 紀子は衝撃を受けた。彼女は立ち上がって指さす。


「そ、それ」

「あん?」


 それでも目つきの悪い中ノ峯が振り返る。


「私の高校の制服! 中ノ峯さん! こ、高校生だったの!?」

「……は? 最初から高校生だったし。あんた普通にうちの学校にいたじゃん。え? 気づいてなかった……いやまて」


 中ノ峯は紀子に含みのある笑顔を向ける。


「あんた。あたしをいくつくらいだと思ってたの?」


 どんといつの間にか壁際に追い込まれた紀子は目を泳がせた。


(ひ、ひえー。ご、ごうとうよりこ、こわい)


「へ、へへ」


 紀子は愛想笑いをした。

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