ミルゴ

ナナシマイ

001 箱の怪物カタカタ(1)

 晴天のちカタカタ。午後にはカタカタ注意報が発令される可能性あり。


 本日の天気予報である。

 怪物の到来を気象現象といっしょくたにするのはどうなのかという意見もあるが、ここ浮遊都市ユキマツの上層部は箱の怪物カタカタを科学的な現象とみなす姿勢を崩さない。


 カタカタ。地上世界を跋扈する悪食の怪物。

 動くたびカタカタと忌まわしい音を鳴らすのが名前の由来だ。陳腐な名前とは裏腹に、大小さまざまな黒い立方体は見た目に重々しく、またカタカタとよく飛ぶ。つまり、雲の高さにある浮遊都市まで簡単にやってくる。

 そんなカタカタは、いま、がこんと派手な金属音を立ててへこんだ。


 電子回路のホログラムがむき出しになった少女の脚が、軽々と舗装された市道に着地し、次いで深緑のワンピースの裾が太もものあたりで揺れる。金のインナーカラーが入った短めな淡色の髪も、揺れる。


「おい馬鹿っ! 側面を蹴ったら隙間から触手フィルムが出てくるだろうが!」


 そう怒鳴るのは、同じ深緑のロングジャケットに身を包んだ、中年の男。


「大丈夫。四号のオウム頭はできる子」

「それとなく下心を差し込むな。んで蹴るなって!」

「四号うるさい」


 バランスを失って落下した立方体を、がすがすと蹴り続けている少女の腕を引っ張り、四号と呼ばれた黒髪の男はカタカタから距離をとった。


 二人とも手には鳥頭のついた杖を持ち、同じデザインの制帽を被っている。

 つば下から覗く瞳の色は、発光する電子の黄緑。二対のそれが、ひしゃげた箱の隙間からぬるりと出てきた黒いテープ――触手フィルムを捉える。


 次々と這い出てくる触手フィルムはなにかを探すようにあちこちを向き、それから一斉に二人のほうへテープを伸ばした。

 ――否。カタカタが狙いを定めたのは、二人の背後で尻もちをついている母娘だ。


 箱の怪物カタカタは、生物の記憶を喰らう。

 喰らった記憶は箱の中へ取り込まれ、また新たな触手フィルムとして生えてくる。テープに映された画はつまり、過去の犠牲者の記憶である。


「オウム、模倣だ」

「承知。カタ、カタカタカタ……――」


 四号の指示に応えたのは、杖についたオウム頭。

 渋い声色で短く返事をしたのち、カタカタの音を見事に再現する。同じ獲物を狙う仲間がやってきたかと、一瞬、カタカタの意識が母娘から逸れる。

 すかさず四号が電子コードを飛ばし、動けないでいる母娘の周囲にシールドを張った。

 オウム頭が反響を利用して声の聞こえる方向を調整し、同じ要領で車道を囲う大きなシールドも張られる。こちらはカタカタを逃さないためのものだ。


 そのようすを眺めていた少女が、うっとりと呟く。


「連携が上手なオウム頭、素敵」

「み、ミルゴさま! ワタクシめにもご指示を――」

「カラス頭は黙ってて」


 少女――ミルゴに一蹴され、彼女の杖についたカラス頭は「そんなァ」と情けない声をあげた。


 カタ、カタカタ。カタカタ。

 母娘を守るシールドに気づいたのだろう。今度こそ触手フィルムの狙いが四号へ定められた。


「オウム頭は狙わせないよ――〈くちばし硬化〉」

「ふむぐッ!?」


 ミルゴのコマンドによって、カラス頭のくちばしが硬い金属の質を帯びる。そのままぶんと振り回せば、ちょうど向かってきた触手フィルムをくちばしが切り裂いた。

 カラス頭から、声なき悲鳴があがる。

 ミルゴは当然のようにそれを無視し、杖を振り回した勢いのまま鋭い蹴りを繰り出した。すねに当たった部分の触手フィルムが分解される。


「あんまりバラバラにすると怒られるぞ」

「演算式は保存してる」

「で誰がそれを反転させんだ? 俺はやらねえからな」

「オウム頭、やってくれる?」

「承知」

「おい」

「さすが。うちの子になってくれてもいいよ」

「どさくさに紛れて勧誘するなって」


 呑気な会話を続けながらも、二人と二本の杖は着実に触手フィルムを退けていた。

 四号が演算で生み出す風で動きをとめ、ときには触手フィルムどうしを絡ませ。ミルゴが蹴りによって直接演算式を叩き込むことで分解し。

 箱から伸びてくる触手フィルムの数は少しずつ減っているが、どれも決定打とはならない。


 しかし、二人の表情に焦りはなかった。


「そろそろよさそうだな」

「〈クロスタイ硬化〉」


 首もとの黒いクロスタイを外しながら、ミルゴがコマンドを発した。


「コアを狙えよ」

「わかってる」


 弱々しい動きの触手フィルムは四号の電子コードによるシールドで遮られ、カタカタの本体である黒い箱への道が開かれる。

 そうしてカタカタに触れられる距離まで近づいたミルゴは。

 ナイフのようにまっすぐ硬化したクロスタイを、迷いなく振り下ろした。


 たった一閃。黒い立方体は、平面に展開された。

 カタカタ音はやみ、ころりと赤い宝石のようなコアが転がり出てくる。


「〈くちばし、クロスタイ硬化解除〉」


 物体の生成も硬化も、簡単そうに見えてその実、細かな演算処理を必要とするものだ。

 でありながら端末すら使わず、自らの体内で演算を行う彼らの正体は、浮遊都市ユキマツをあらゆる害から守る人型のシステム。


 その名を、「未来守るシステム」という。

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