2-5

 ミツネたちは町の外にある山の中にやってきていた。

「ここか」

 目の前に現れたのは、旧現代に使われていた巨大なトンネルだった。山をくりぬいて掘られたそのトンネルは、当然今は打ち捨てられて、真っ暗で先の見えない洞窟と化していた。

「何だか気味が悪い」

 トンネルの中から吹いてくる冷たい風が、どことなく不気味な雰囲気を感じさせる。

「これで中は化け物の巣窟になってるんだから、そりゃ誰も近寄ろうとしないわな」

 彼らがここにやってきたのは、平岡から紹介された「手っ取り早く稼げる仕事」のためだった。このトンネルを抜けた先にある薬草を取ってくるというのが依頼の内容なのだが、中にはヒトデナシが巣食っていて、普通の人間は到底入れない状況になっていた。

 町では鱗粉病とは別のある病が流行していて、その治療のために早急にその薬草が必要だった。そんな中で、このトンネルに入って薬草を取ってくるという命知らずな依頼を引き受ける人間を探しており、彼らに白羽の矢が立ったというわけだった。

「さっさと行って依頼を済ませちゃおうぜ」

「いや、でも案内をしてくれる町の人が来るはずだから……」

 実働部隊はミツネたちの仕事だったが、案内人として町の人間が一緒についてくる予定になっていた。そろそろ約束の時間になるので周囲に目をやると、ちょうど森の中から熊のような大男が現れた。

「なんだ、お前らが平岡のおっさんの推薦か? ずいぶんひょろくて頼りないガキだな」

 男は品定めするように、順番に三人を見分していく。

「ん? もしかしてお前……」

 最後にフードを被って顔を背けていた莉葉を覗き込むと、何やら怪訝な顔を浮かべる。

「おいおい。てっきり全員部外者かと思えば、一人は魔女の娘じゃねえか!」

 その言葉に一瞬莉葉の身体が強張る。しかし、あくまでも彼女は何も答えようとしなかった。

「全くあのおっさんももうちっとマシな奴らを紹介して欲しいもんだね」

「まあ図体だけでかい馬鹿よりは使い物になると思うけどな」

 高圧的な男に対し、ニシナがやり返すように皮肉めいたことを口にする。

「ああ!? なんだと!?」

 安い挑発に腹を立てた男は、額に血管を浮かび上がらせながら、今にも殴りかかりそうな様子でニシナに顔を近付ける。

「と、とりあえず早く出発しましょう! 日が暮れる前には済ませないと!」

 見かねたミツネが慌てて二人の間に割って入り、何とかなだめて仲裁する。苛立った表情で先にトンネルの方へと向かっていく男の背中を見て、これは大変そうだと思わず溜め息を吐いた。

「あの人は誰なの? 莉葉のことを知ってるみたいだったけど……」

「確か、過激派組織のメンバーだった篠原という男。あの日の拉致には加わっていなかったけれど、彼らはその前から私たちの生活を監視していたから、それで私の顔も知っているんだと思う」

 思わぬところで会いたくない人間と邂逅し、莉葉は少し動揺しているようだった。

「莉葉だけ先に町に戻ったらどう? 依頼は僕らだけでも何とかなると思うし」

「そこまでしてもらうわけにはいかない。本来なら私一人で行くべきなくらいなんだから」

 そんな姿を心配したミツネの提案を莉葉は断固として受け入れようとしなかった。それ以上説得することもできず、結局予定通り、四人で依頼に臨むことになった。

 先頭にミツネ、次に莉葉、篠原と続き、一番後ろにニシナという順番で並んでトンネルへと入った。中はヒトデナシどころか生き物の気配すらなく、彼らの足音と天井から落ちる雫の音だけが幾重にも反響する。

「何も見えないな……」

 そのまましばらく進むと、入口の光も届かなくなり、完全な暗闇に包まれていった。各々が持った松明の明かりだけを頼りに、少し湿ったコンクリートを一歩ずつ踏みしめて慎重に歩いていく。

「それにしても魔女の娘が生きてたとは驚きだな。母親が死んで、てっきりどっかで野垂れ死んでるもんだと思ってたよ」

 篠原は歩くのに飽きたのか、そんな風に一人で喋り始める。

「やっぱ化け物の子どもだからしぶといってことか。こんな小遣い稼ぎするのはいいけど、用が済んだらさっさと町から出てってくれよ。また住人皆殺しにされたんじゃ、たまったもんじゃないからな」

「てめえ……!」

 軽口を叩くようにすらすらと雑言を浴びせる篠原に、ニシナは耐えかねて彼の胸ぐらを掴みかかる。

「いいの!」

 すると、莉葉がそれを制するように大きな声を上げた。

「私はあの町にいるべきじゃない。それは事実だから」

 彼女は不器用に笑いながら、どこか寂しそうに言う。その言葉に気圧されて、ニシナはばつが悪そうな顔で篠原から手を離した。

「気持ち悪い笑顔だな。あの母親を思い出すぜ」

 篠原は捨て台詞のようにそう呟いたあと、不機嫌そうに顔をしかめたまま、それ以上何も喋らなかった。

 さらに奥へ進んでも、全く変わらない景色が続いていた。計算上そろそろ半分ほどの地点まで来ているはずだったが、依然として何かが潜んでいる気配もない。

「本当にヒトデナシがいるのか?」

「ああ。実際に調査に出た人間はほとんどが戻ってこないまま行方不明になってる。唯一生きて戻ってきた一人は、恐怖でおかしくなっちまったんだが、ずっと同じことを繰り返してるんだよ」

「同じこと?」

「『タコがいた』って、そう言ってるんだ」

 ちょうどそのタイミングで、先頭を歩いていたニシナが足を止める。

「タコって、もしかして……」

 松明を持ち上げてできるだけ広範囲を照らして目の前を確認する。そこにはまるで壁のようにトンネルを塞ぐ、大きな物体が鎮座していた。

「これかよ……」

 それは巨大なタコだった。あまりに巨大なために全貌は確認できなかったが、ぬめり気を帯びた茶色い体躯と吸盤のついた太い足が見える。高さ二十メートルほどはあるはずのトンネルがその身体で完全に覆い尽くされていて、ミツネたちが先へ進むことを阻んでいた。

「まずい! 気付かれた!」

 ちょうど天井の辺りにある目がぎょろりとミツネたちを見据えた。すぐさま各自武器を手に持ち、臨戦態勢を整える。大ダコは様子見しているのか動き出す気配はなく、しばし膠着状態が生まれた。

「上等じゃねえか。やってやるよ!」

 その均衡を押し崩すようにして、篠原が大声を上げながらタコの足元へと向かっていく。背負っていた大剣を勢いよく振り下ろすと、柔らかい足が押し潰れるような鈍い音が聞こえた。

「なんだよこれ!」

 大剣の重みで千切れかかった足がまるで生き物のようにうねりながら再び繋がる。この程度の傷では回復能力が追い付いてしまい、ほとんどダメージを与えられていないようだった。

 篠原はもう一度足を断ち切ろうと剣を振りかざすと、今後は大ダコがそれに気付き、隣の足を素早く動かして彼の身体を追い払うように突き飛ばした。

「……クソがッ」

 辛うじて足が当たる瞬間に剣で身体を守ったので、篠原は少し後ろに飛ばされただけで何とか耐える。舌打ちをしながら剣を地面に叩きつけ、苦々しい顔で大ダコの顔を見上げた。

「あーめんどくせえ。そもそも俺はただの案内役だってことを忘れてたぜ。あとはあんたたちに任せたよ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかねえが、魔女の娘とそのお仲間さんなら死んでも誰も悲しまねえしな」

 篠原は突然そう言って剣を鞘にしまうと、少し離れた場所に移動して腰を下ろした。

「つくづくムカつく野郎だな」

「いいよ。放っておこう。むしろ三人の方が連携を取りやすい」

 自分勝手な篠原に辟易としながらも、それどころではないとすぐに意識を目の前の大ダコの方に向ける。

「それにしてもこんなデカい奴どうする?」

「さっきの様子だと、ちまちま足とやり合っても埒が明かなそう……」

 あくまでも自分からは攻撃してこないようで、大ダコはミツネたちの方に視線を向けながら静観していた。

「……眉間だ」

 唐突にぽつりとミツネが呟く。

「確か、タコの弱点は目と目の間だったと思う。神経が通っているから、それを断ち切れば締まるって、昔拾った釣りの本に書いてあった」

「釣りの本って、相手は大ダコの化け物だぞ……」

 真面目な顔で語るミツネに、ニシナは少し呆れたように首をひねる。

「でもタコはタコだし、あながち悪くないかも。問題はその眉間がちょうど隠れてしまっているから、どうやってこっちを向かせるか、ね」

 しかし、莉葉はミツネの意見を受け入れたらしく、作戦の次の段階を考え始めた。

「こっち側に出てる足が四本だから、たぶん裏側にもう四本隠れてる。今出てる方を全部使えなくすれば、慌てて裏側にある足を使おうするはず。そのために身体を回転させるタイミングで、顔もこっちを向くんじゃないかな」

「私とミツネで足を抑えて、顔が見えたところでニシナが飛んで行ってトドメを刺す、といったところかしら。一人二本と考えると、さっきの再生速度からしてかなりギリギリね……」

「ニシナはどう? 行ける?」

 とんとん拍子で話が進んでいくのを見て、ニシナは諦めた様子で頭を掻きながら答える。

「あーもうわかったよ。最後は任せろ」

 こうしてタコ壺のようにすっぽりタコが挟まったトンネルの中で、その大ダコ退治が始まる。

「行くよ!」

 ミツネと莉葉が二手に分かれてそれぞれ足を切断にしに向かった。ニシナは少し後方に待機し松明で前方を照らしつつ、顔がこちらへ向いたときに備えて遠距離から二人の援護を行う。

「思ったより刃が通らない……!」

 表面のぬめりと柔らかさのせいで、刀が滑ってしまい上手く刃が通らなかった。それに加えて軌道の読みづらいしなるような足の動きに翻弄され、なかなか足に近付くことすらままならない。

「こっちは一本落とした!」

 注意がミツネの方へ向いている隙に、莉葉が足を一本落とすことに成功する。

「よし、このまま……!」

 そこから均衡が崩れるかに見えたが、自分の劣勢を察知した大ダコは突然バタバタと足を無暗に踏みまわし始め、ミツネたちを遠ざけようとする。そうして激しく動くことにより、トンネルに隙間なくはまっていた身体が天井や壁に圧力をかけて、ミシミシと悲鳴を上げるような音が聞こえた。

「このままだとトンネルが崩れる……」

 生き埋めになることを避けるため、ミツネたちは相手を刺激しないよう一旦距離を取る。しかし、理性を失ったように暴れる大ダコの動きは止まらない。

 振り下ろされた足が地面を砕いて瓦礫が飛び散る。あちこちにヒビが入り始め、いつどこから崩れ始めてもおかしくない状態だった。

「おい、上を見ろ!」

 二人の後ろにいたニシナが大きな声を上げる。

「もう限界だ! 崩れる! とにかく自分の身を守れ!」

 各自上を警戒しながら崩落の瞬間に備える。

「まずい! あの人が……!」

 すると莉葉が離れた位置で壁にもたれて座っている篠原の方に目をやる。彼はひどくつまらなそうにあくびをして、莉葉たちの方には見向きもしていなかった。そのせいでトンネルが崩落しかけていることにも気付いていない。

 しかし、天井のヒビは彼の頭上にも達していた。運の悪いことに、ちょうどその辺りが脆くなっている部分だったらしく、そのヒビはどんどん広がっていく。小さな破片がぽろぽろとはがれ始め、今にもその部分が落ちてしまいそうな状態だった。

「逃げろ!」

 ほとんど叫ぶような声に気付いて、篠原はようやく自分の置かれた状況に気付く。そしてそのときにはすでに手遅れになっていて、まさに砕け散った天井が雨のように彼の元へ降り注ぐ。

 もはやそれを防ぐ術はなく、彼は自分の死を悟って静かに目を瞑る。

 彼は昔から中途半端な男だった。忍耐力がなく、何事もすぐに飽きて途中で投げ出してしまう。

 小さい町で少ない選択肢の中から職を転々とし、いよいよやれる仕事がなくなったところで、唯一の取柄である身体の大きさを生かして今の傭兵のような仕事に就いた。行商人のボディガードなどを中心に生計を立てていたが、いつもやる気がなく横柄な態度で、顧客を置いて真っ先に逃げ出すこともあり、町での評判は最悪だった。

 そんな彼がミツネたちと行動を共にすることになったのは、彼自身の立候補によるものだった。

 彼には妻と小さい娘がいる。何事も中途半端な彼も、そんな大切な家族への愛情だけは人一倍持っていた。悪評に塗れながらも辛うじて今の仕事を投げ出さなかったのも、その家族を養うためだった。

 ところが、ある日彼が仕事から帰ってくると、妻がリビングで倒れているのを見つける。慌てて青ざめた顔の彼女を担いで外に飛び出し、すでに診察時間を終えた医者に駆け込んで強引に診てもらうと、ちょうど町で流行り始めていた伝染病にかかっていることがわかった。

 唯一の特効薬は感染者が急増したせいで備蓄がなく、その原料である薬草は化け物の潜むトンネルを抜けた先にある。そのことを知った彼は、自分の妻を助けるために一人でトンネルへと向かおうとするが、町の人々に無謀だと止められてしまう。

 そんな中で訪れたのがミツネたちだった。彼らが薬草を取りに行くというのを聞きつけ、依頼主の薬屋に自分も同行できるよう懇願した。

 そうまでしてここへ来た篠原だったが、自分の妻を救うという目的があっても、結局は途中で諦めて使命を放り出した。

 面倒になったと口にしたが、本当は化け物を目の前にして恐ろしくなってしまったのだった。彼なりに鍛錬を積んできたつもりの刃がまるで通用しない相手を前に、自分には無理だと早々に諦めてしまった。

 ――ここで死んだら元も子もない。俺には妻と子どもがいるんだ。

 必死で言い訳を頭に浮かべながら、命懸けで戦うミツネたちを見ないふりした。

「……俺みたいな奴には、こういう死に方がお似合いかもな」

 自分に向かって降ってくる瓦礫の雨を見上げながら、諦観交じりに自嘲する。

「せめて妻だけは救ってくれ」

 瓦礫が地面にぶつかり、大きな音と土煙が上がる。連鎖するように他の場所も次々と崩落して、綺麗な円を描いていたトンネルが無造作な岩場に変わっていく。しばらくして一通り壁や天井が崩れ切ると、ようやく大ダコも動きを止めて、急激な静けさが訪れる。

「痛ぇ…………って、死んでないのか?」

 篠原はゆっくりと起き上がり、自分の身体を確認する。

「……お前!?」

 そして徐々に視界を遮っていた土煙が晴れ、意識が覚醒し始めたところで、自分の身体を覆うようにして倒れる莉葉の姿に気付いた。

「まさか、俺を助けたのか……?」

 すぐ隣には大きな瓦礫が地面にめり込んでいて、二人はちょうどそれを避けるように倒れていた。莉葉は篠原の上に瓦礫が落ちそうなことに気付くと、急いで彼の元に駆け寄り、寸前のところで彼の身体を突き飛ばして助けたのだった。

「……無事みたいでよかった」

「無事って、お前の方が怪我してるじゃねえか」

 ほとんど無傷の篠原に対し、それを助けた莉葉は右足に崩れた破片が刺さって血を流していた。

「大丈夫。私はこれくらいすぐ治るから。それより他の二人の無事も確認しないと」

 莉葉は刺さった破片を雑に引き抜いて、少し足を引きずりながら立ち上がる。そして落ちていた松明に再び火をつけ、周囲を見回して瓦礫の山の中にミツネとニシナの姿を探す。

「……どうして俺なんか助けたんだよ」

 篠原は納得できない様子で尋ねる。

「どうしてって、人を助けるのに理由なんかいらないでしょ」

 質問の意図がわからないといった顔で、特に感慨もなさそうに答える。そして積み上がった瓦礫の中から起き上がるミツネの姿を見つけると、慌ててそちらへ近付いていった。

「……クソッ。人間みたいなふりしやがって」

 去っていく莉葉の後ろ姿を眺めながら、感情のやり場を見失った篠原は吐き捨てるように呟いた。

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