第5話 『全部、夕焼けのせいにできたなら』

「ほーら、お兄さん! もっとこっち寄って」


「……ん」


「あ、そろそろカシャってなるよ! ほらカメラ……って、表情暗ーいっ!」


 そう右隣からキーンとした声が聞こえたのは、学校帰り、いつもとは逆方向の電車に乗って、数駅。


 場所としては、秋葉原。駅前のゲームセンターのプリクラの室内にいた。


 不意に鳴った、カシャって音に、「あ!」という表情をする夏海。


 案の定、大きな画面には俺の頬をつねる夏海と、嫌そうに片目を閉じる俺が映し出されていた。


 「もー。お兄さんが表情くらいから、最後の一枚無駄になったじゃん。まぁ、もう仕方ないけど」


 と、頬をぷくりと膨らませた夏海は、撮影された写真に、タッチパネルで落書きをしていく。


 まぁ、正直いい予感はしていなかったが、案の定、彼女が「できた!」と指を離した写真には、『フラれた人』という黄緑色の文字が、矢印で俺へと伸ばされていた。


 ……。


「おい、俺にも書かせろ」


 そう、華奢な体を肩で押し、青色を選択すると、画面上の夏海へと矢印を引く。


 『クソアホ』と言う大きな文字に、我ながら鼻を鳴らすと、ヒョイっと首を突っ込んできた夏海が「んんーっ!」と、不機嫌そうに頬を膨らませた。


「お兄さんサイテーっ! だからお姉ちゃんにフラれるんだよ!」


「いやいや、夏海が先にやったんだから、因果応報だろ。つーか、人様の心の傷抉ってんじゃねぇ」

 

 と、まぁ、そんなやりとりをしているうちに、画面の操作時間の方もタイムアップが来てしまい。


 外の取り出し口に入っていた、二つのプリクラ写真には、しっかりと『フラれた人、クソアホ』の写真もプリントされていた。


 その後、ゲームセンターを出た俺たちは、アニメイト、レモンブックスなどを一通り巡り、乗ってきた総武線電車へと乗り込む。


 『津田沼行』の電光掲示板、肩を並べて座った座席。


 左隣の夏海がカバンから、先ほどのプリクラを取り出すと、


「……ぷふっ。今更だけどお兄さん、プリクラ向いてないね」


 くすりと小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「大きなお世話だ」


 俺はそう返して、彼女の手に握られたプリクラを覗き込む。


 まぁ、確かに目が異様に大きくて、肌が真っ白な俺は、なんか失敗した少女漫画のモブって感じがしないこともない。


 それに対して、隣でピースを浮かべている夏海は、俺と同じ加工がされているはずなのに違和感はなく、また別のベクトルで可愛いが増しているような気がした。


「夏海は、なんて言うか盛れてるな。ものすごく慣れてる、プリクラ女子って感じがする」


「お兄さんそれ褒めてるの? なんか嬉しくなーい」


「まぁ、一応褒めてるつもりだけど」


「えー。だとするとお兄さん、口下手すぎ。褒めてるのか貶してるのか分からないよ」

 

 こう言う時は直球に、可愛いとかー。と人差し指を立て得意げに言葉を並べていく夏海。


 そんな彼女の姿に、ふと、麻冬に言われたことを思い出した。


 今から半年ほど前の、まだ暑い時期。


 一緒に服を買いに行った日の、思い出の一ページ。


 —— 遥灯くん。なんて言うかその……もっと単純に、可愛いとか、似合ってるって言われた方が、私は嬉しいな。


 ……もう、今となっては夢のような思い出だ。


「詰まるところね、女の子には何か捻った言葉なんかより、単純かつシンプルな」


「……すごく可愛い」


「……え?」


 得意顔で、何かを言おうとしていた彼女の言葉に、俺の声を被せる。


 まるで、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を向ける夏海に、俺は、彼女の言う『単純かつシンプル』なセリフを並べていった。


「プリクラの写真、目が大きくて、肌も白くて、なんか漫画のヒロインみたいで可愛い」


「お、お兄さん?」


「それにこの3枚目のやつなんか、ウインクが可愛く撮れてるし」


「ちょ、ちょっと……」


「あと、最後の失敗……いや、これはこれで、いつもの夏海って感じがして、俺はすごくいいと思う」


 と、そこまでいった瞬間、俺の袖をギュッと握った夏海。


 彼女は、恥ずかしそうにキョロキョロと周りを見ると。


「や、やめて。こんな人のいるところで……その、恥ずかしい」


 そう、ほんのりと頬を赤くした顔をこちらに向けた。


 だが、ここで人の悪い俺はあることを思いついてしまう。


 今日は今朝から散々夏海にからかわれてきた。


 しかし、彼女のこの反応を見る限り、もしかしてこれはいい仕返しになるのではないだろうか。


 そうなった瞬間、俺の判断は早い。


 降りる予定のない、亀戸駅に停車しドアが開いた瞬間、夏海の腕を掴み電車を降りる。


 幸い、一番後方車両に乗っていたおかげで、ホームには誰もいなかった。


「お兄さん? 降りるところここじゃ……」


 そんなこと分かってる。てか、分からないわけがないだろう。


 なぜ、俺がここで降りたか。


 それは。


「夏海って、ほんと美人だよな」


「っ!?」


 そう、彼女の顔をまじまじとみながら、言葉を続ける。


「まつ毛長いし、二重くっきりしてるし、あと、目の色すごく綺麗だし」

 

「……そ、その……そんなこと……」


 恥ずかしがるように、視線を伏せる彼女に、俺は内心ニヤリと微笑む。


「いや、そんなことあるだろ。鼻も小さくて可愛いし、唇も潤っててすごく綺麗だ。あとは何よりも……」


 と、視線を伏せていた彼女の髪の毛に、そっと触れる。


 頬に触れた指がくすぐったかったのか、不意に「んっ」と息を漏らした夏海。


 少し手を動かしただけで、人差し指をサラサラと流れていく、こそばゆさを感じながら、俺は続けた。


「前の長い髪型も似合ってたけど、こっちの髪型もすごく似合ってる。短いのも夏海って感じがして、俺は好きだ」


 と、俺がそう言った瞬間。視界の先でハッと息を呑んだ彼女は、すぐに俺に背中を向けた。


 流石にやりすぎただろうか。


「夏海?」


 と、その肩に触れようとした時。


「やっ……そっち、向きたくない……」


「……いや、すまん。さすがにやりすぎた。ごめん」


 だが。俺の言葉を遮るようにして、ボソリと何かを呟いた彼女。


 その刹那。強めに吹きつけた風が夏海の髪の毛をふわりと揺らして。


「……え?」


 俺は思わず息を漏らす。


 だって、一瞬持ち上がった金色の髪の毛の中では、小ぶりな可愛らしい耳が真っ赤に染まっていたから。


 風がおさまり、彼女の肩で毛先が留まる。


 そして、今にも消え入りそうな声で、


「その……恥ずかしすぎて……そっち、向けない……」


 そう、ボソリと呟く夏海。


 彼女の華奢な背中に、ふと、電車の中から今に至るまでの、言動を思い返した俺は……。


「……っぶ」


 急激に顔に熱を帯び始めた。


 いや待てよ。客観的に見たら俺のやってたことって……。


「夏海……その……あ、あれだ! さっきまでのはちょっとした冗談で……だから!」


 しかしその瞬間、視界の先で肩がぴくりと動いた彼女は、咄嗟にこちらに振り返り、俺の右手をギュッと握りしめる。


 しっとりとした手の感触に、思わずどきりとしていると、夏海は視線は前髪に隠したまま、ボソリと呟く。


「冗談にしちゃだめっ。私は……その……」


 そこで不自然に切れた呼吸に、俺は唾を飲み込む。


 彼女の口からは、どんな言葉が出てくるのか。


 そんな緊張に、瞬きすら忘れていると。


「私……すごく嬉しかったから」


 視界の先で持ち上げられた微笑みに、俺の心臓はどっどっと、強いトルクで振動を始める。


 さらりとした綺麗な前髪の奥。


 やんわりとも、トロンとしてるとも言えるように細くなった、青い目。


 何よりもその頬は、この夕焼けのせいにしてしまいたいぐらい、赤く染まっており。


「っ!? ……っ」


 本当に、本心以上に『可愛い』って、思ってしまったから。


 スピーカーから、電車到着のアナウンスが流れ、すぐに車両がやってくる。


 2人で肩を並べて座った座席。


 気のせいか、さっきよりも、左肩に感じる温かさが増しているような。


 そんな気がした。




 




 



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