第8話 魔王様はチョロい

「魔王を倒したから、勇者が新たな脅威として認定されたのですわ。もっとも、この機に乗じて国を掌握しようとした輩に、良いように利用されたようですが」

「クソッ。これでは息抜きに絵画をしている場合ではないではないか!」


 それは私のセリフだからな。

 息抜きってここ数日、ろくに政務もしていない気がする。ずっと引きこもって絵画に没頭しているようにしか見えない。邪神復活に向けての対策──はしなくても、魔界は瘴気があるから魔物と魔獣は近寄らないんだった……。


「アメリア・ナイトロード様! 厚く御礼申し上げます! アルムガルド様の集中を切って頂けて本当に助かります!」

「げっ、ルディー」


 執事服の偉丈夫が音もなく現れた。魔族特有の薄紫色の肌、灰色の長い髪を後ろで一つに束ねている。沈着冷静クールかつ有能執事! 二十代後半の容姿だが、実年齢は異なる。

 ゲーム設定では魔王の右腕であり、ラスボス前の中ボス・ルディー! こっちはゲームのまんまね!


 ルディーは魔王がアメリア新たな器に乗り移るための時を稼いだ忠義キャラである。プレイ時は無駄死だといわれていたが、アメリアが真のラスボスになった時に、伏線回収したのよねぇ。

 …………うん、敵に回したら不味い。賄賂を渡して、ちょっとでも好感度を上げておこう。


「まったく、一度絵画に向き合うと、ああなるから困ったものです。武力では貴方様よりも強い者もおりませんので、本当に素晴らしい時に来てくださいました」

「必要な政務は向こう十年ほど、終わらせているだろう」

「勇者様が亡くなった旨を報告しても聞こうとしなかったではないですか。しかし、あのような交渉術で、容易く筆を止めるとは、アメリア様の手腕に感服いたします」

「いえ。私のほうも状況把握ができて良かったですわ。アルムガルド様ご自身の趣味のために引き篭もったわけではなさそうなので、交渉のテーブルにつくことを認めましょう」

「……始祖殿より苛烈で、老獪ではないか。その上、交渉の余地がなかったら、余と対立するつもりだったのか?」

「はい。人間と同じ目に遭わせようと思っていましたわ」

「怖っ。胃が痛くなってきた」


 とびきりの笑顔で応えると、アルムガルドの顔が真っ青になる。お腹とか押さえているが大丈夫だろうか。胃薬必要かしら?


「余の国は、アメリア──吸血鬼族と事を構えるつもりは毛頭無い。なんなら誓約書でも書く」

「あら、それは嬉しいわ。ではササッと書いてくださいませ」

「用意周到すぎないか? 本当に怖いのだが……。ルディーお前もそう思うだろう!」

「いえ、何事も始まる前の下準備こそが大事かと愚考いたします。その点で考えますと、アメリア様は聡明かつ、アルムガルド様の手綱を上手く握って頂けると確信いたしました」

「まあ!」

「裏切り者! ここは最後まで主人に付き従うところだろう! 余、泣くぞ!」

「いえ。道を誤った主人を諭すのも配下の役目でございます」


 そうよ! もっと言ってやって! そして私のことは敵視しないで!

 そんなことを思っていると、なんでもない日に魔族に贈り物をする行為は『仲良くしたい』という意味があったことを思い出す。始祖の知識だから今も同じか不明だけれど、ここは敵対するよりも仲間に引き込んだほうが得策だわ。


 アミルガルドには先程の絵の具セットを贈るとして、ルディーは何に興味があるのかしら? 魔族は皆趣味人だし、何らかの好みが……。

 パチン、とルディーは懐中時計を開いて時間を確認していた。執事として懐中時計は必需品。チェーン付きでかなり良いものだと分かる。ハーフハンターケースで蓋がついていながらも、時間の確認ができる代物だ。一見シンプルだが、そのきめ細やかな装飾は見事なものだ。


「そちらの懐中時計は魔鉱石? それとも機械式かしら?」

「機械式です。メンテナンスが必要になりますが、ずっと使い続けるので気に入っているのですよ」

「アメリア、ルディーは懐中時計やらガラス細工を愛でる趣味を持っている。ちなみに余の流行は絵画だ」

「ガラス細工、懐中時計……もしかして《銀月雨商会》で、新作を毎回買ってくれている方?」

「おや。そこまでご存知とは嬉しい限りです。もしかして有料会員の方でしょうか?」

「ふふっ、私がそこのオーナーです。よろしければ《銀月雨商会》の商品を一つ贈らせてくださいませ」

「!?」

「ちょっと待て、アメリア。あの商会は八年ほど前に結成されたと聞いたが、お主は当時七、八歳かそこらであろう?」

「はい。その時に両親に強請って、商会を立ち上げさせていただきました。もちろん資産金は自分で元手を作ってからですが」


 懐かしい。当時は悪役令嬢になるまいと様々な下準備に励んでいて、商会もそのための布石の一つだ。やっぱり世の中、軍資金がないと! ウィルフリードを巻き込んだわね。


 あの頃は楽しかった……ううん、エルバートの王太子授与式当日までは、私たちの関係は良好だった。

 ウィルフリードはどうして、私が記憶喪失になったことを黙っていたのかしら?


 記憶を失った私の中では『賊が現れたけれど、鎮圧して滞りなく式典が終わった』ということになっている。

 でも実際は違う。式典となった場所は半壊、魔物まで現れて騒然となった。

 ……あれ? どんな魔物……だったかしら? 不意に思い出そうとするが記憶が霧散してしまう。


 かろうじて思い出せたのは、箝口令によって事件そのものを握り潰したことと、あの時期に領地に戻って父の仕事の手伝いを頼まれたことだった。よく考えれば王都から引き離そうとしていたのかもしれない。


 

 ウィルフリードが裏切った理由は、この際どうでも良い。私と歩む道を違えた、それだけ分かっていれば充分だ。いずれ互いの刃を交えるのだから、報復したあとで吐かせれば良い。

 善良な人外貴族であろうとしたアメリアも、悪役令嬢から逃れようとした前世の記憶持ちの私も、始祖と共に一つになった。


 完全に闇堕ちしていないのは、ルイスとローザの存在があるからこそ。あの子たちの未来のためにも、廃墟と化した世界を渡しても困ってしまうもの。

 だから世界のルールそのものを書き換える。

 そのためにも──。


「というわけでアルムガルド様、サクッと書面にサインをくださいませ!」

「うげっ」

「今なら、《金沙羅商会》から好きなキャンバスを一枚無料でプレゼントしますわ」

「サインだな、任せろ」


 チョロい、チョロいわ、魔王様。お姉さん心配になっちゃう。

 ゲーム設定で使われていたアイテム・ストレージから取り出した羊皮紙を見て、魔王の顔色はさらに悪く土色になっている。


 勇者である従兄もアイテム・ストレージは使っていたので、さほど珍しくはないはずだが。なぜそんなに顔色が悪いだろう? 

 ゲームでもヒロイン以外にも使っていたし。


 子鹿のように震えながら、魔王であるアルムガルドは、羊皮紙に名を書いてくれた。これで少しは安心だ。こちとら裏切りにあって傷心しているのだ、このぐらいの過剰反応は許して欲しい。


「ほら、書いたぞ。しかし絵画専門の《金沙羅商会》まで、お前がオーナーとは……。何度か絵画を買い取って貰ったが、お主に会ったことなどないぞ」

「ふふっ、私はできるだけ表に出さないようにして貰っていたの。お父様とお母様、それに──」


 ウィルフリードが烈火の如く反対したのだ。「危ないから」と。思えば第一王子ランベルトが行方不明者になってから、ウィルフリードは私に婚約して何かと傍にいてくれた。


 でもやっぱり、心に決めた主人のため──ってところは変わらないのね。

 懐かしむ気持ちを沈めて、完璧な笑みを浮かべる。


「周りもが過保護で、接客は禁止されていたのですわ。今後は表に出るつもりだけれど」

「そうか。《金沙羅商会》は年に数回しか訪れなかったのだ、今後は定期的に交流があると嬉しい」

「ええ、そのつもりですわ。……しかし画家の名前にアルムガルドはなかったわよ? なんて名前で登録したのかしら?」

「ん? ユーベルだが」

「ユーベル! 四季シリーズや象徴画や寓意画作家ね! 私は『七人の聖人と大戦』、『煉獄の花畑』が好きだわ!」

「余の絵画の価値が分かっているではないか!」


 あの繊細なタッチで描かれる象徴画は人を魅了する。描かれた全てに意味があり、その捉え方も人それぞれで面白い。ユーベルの作品は常に絶望あるいは、どん底から僅かな希望との対比。光と闇の描写が素晴らしいのだ。


「陰惨とした世界の中で、一箇所だけ楽園を彷彿させる表現が胸に響いたのを覚えておりますわ。まさかアルムガルド様が描かれていたとは……」

「ふっ、余の溢れんばかりの才能の一欠片に過ぎない。戯れで始めたが、なかなかに奥深くてな」

「水彩画は特に色合いも透明感があって美しいものから原色を混ぜ合わせて、使った組み合わせも素敵でしたわ。特に七聖人の羽根や王冠の色合いは金ではなく、白銀に近い色合いだったのが個人的に好きだったけれど。あの銀は偏光物質が使われていないでしょう? 白い部分を灰色に塗って周りに背景に合わせて、赤みや青みも加えていて、細かな影のところが素晴らしく、惚れ惚れしましたわ」

「アメリア、余と結婚しよう」

「丁重にお断り申し上げます」

「このタイミングで断るだと!?」


 アルムガルドは「嘘だろ?」と顔面蒼白になっている。あ、本気でプロポーズしたつもりだったのね。


「このタイミングも何も、全然そんな雰囲気ではありませんでしたよ? 大体私には──」


 婚約者がいるのだ。

 そう言いかけて言葉が途切れた。ウィルフリードの姿が脳裏を過ったが、被りを振って気持ちを誤魔化す。


「私の絵画に対する感想を聞いて惚れたからこそプロポーズをしたのだが? もっと絵画の話をしたい。絵の具、キャンバス、道具もそうだ。こんなに心が弾むことはない!」

「それなら友人でいいのでは?」

「友人では独り占めができないではないか」


 予想以上に幼稚な理由だった。子供か。

 友人、ね。

 裏切られてすぐに友人を作ろうとは思えなかった。せいぜい手を組む、同盟、利害関係の一致……。また裏切られたら、と以前のアメリアならそう考えたけれど、今は違う。

 一族以外もう誰も信じないし、裏切ったらそれ相応の対処をすればいいと割り切ることができたのは、それだけの力を得たからだわ。


「友人枠がいないなら顧客でいいにでは?」

「一瞬で距離感が遠のいたのだが……、であれば親友だ。そこからスタートすることにする」


 出会った当日で、魔王の親友に昇格しました! これは喜ぶべきことか不明だけれど! だって私の体を乗っ取ろうとした相手なのだから。

 まあ誓約書のサインもあるし、とりあえず接点を作ること、勇者と魔王とのやりとりの真意を聞くことはできたから良しとしよう。


「それじゃあ、親友のアルムガルド様、エーレン死神様と待ち合わせをしていますので急いで着替えてきてください」

「げぇ、あの神経質かつ潔癖症に会うのか……」

「三分で支度してくださいね」

「三分だと!?」

「三分で着替えてきたら、良質な紙で作ったスケッチブックを進呈します。ちなみにまだ売りさしていない非売品ですわ」

「すぐに支度するので、こちらで少し待たれよ!」


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