about him(3)/ 隊長
困惑気味にイクトラは眉を寄せていた。なんとなく彼が困っている要因は分かるのだが、このタイプの人にははぐらかしは意味がない。早々に気づいてしまう。気づいて、そうして本人以上に悩んでしまうのだ。
解釈に解釈を重ねてなんとかこちらを救おうとする。彼らから見ると俺はすごく歪つで、正視するに度し難いのだろう。放っておいてくれと言うのも辛い、彼らのそれは全く他意のない厚意だからだ。
なので、諦めてもらった方が良いのではないか、と思ったのだ。
「お、お茶取ってくるさー!」
場の空気が硬かったのを感じ取ったらしいジンがパッと立ち上がった。イクトラの様子を見る限り、ここで二人で残されても彼が息苦しかろう。
手伝うと告げて俺もジンの後を追った。
キッチンにはよく件のノエがいるのだが、今日は不在しているようだ。無人のキッチンを横切り、ジンは冷蔵庫の方へと向かう。
「たいちょちゃん」
くるりとジンが振り返り呼ぶ。
ジンは少し舌足らずな喋り方をするので、どこかアルパカと似通って見える。
俺の近くにいるアルパカなので、自然と二人で話すところも見ているのだが、なんとも穏やかな空間だなあといつも和んでしまう。
だが、今のジンはいつもの元気な様子が鳴りを潜め、心なし犬耳も垂れていた。
イクトラとの会話に彼は巻き込まれただけだ。イクトラは俺がなぜ嘘を吐くような真似をしたのかを知りたいのだろうし、俺も俺でイクトラに聞きたいことがあった。
それは決して、いつもジンと話しているような緩やかで和やかな話題ではない。
お茶は俺がこのまま持っていった方がいいだろうと思い、彼に声を掛けようとしたのだが、一息先にジンの方が切り出した。
「とらはちょとだけ胡散臭いとこあるけど、怖い人じゃないさーー?
安心してくんろ! ノエに嘘吐いたこと怒ってるわけじゃないのな!」
おお…… びっくりした。
まさか安心してくれと言われるとは思わなかったのだ。
俺が怖がっていたように見えただろうか。思わず自分の顔を触ってしまったのだが、その上からジンが両手で頬を押さえた。
「さっき、ちょと、たいちょちゃん、怖い顔してたのな。
だいじょうぶ、俺がいるさーー! もしもおにいちゃが怒ってもおれがワンワン吠えてやるさーー!」
そう言いながら、ジンは俺に飛びついてぎゅっと抱きしめた。
彼の背中の下で犬尻尾がぶんぶんと左右に振られている。紛うことなきわんこに飛びつかれている状態なのだろうけども……
「おう、ありがとな。すごい安心だ」
暖かな腕だった。俺も彼の背中をポンポンと叩く。
ジンは俺がここに来てからずっと世話をしてくれている。俺と彼は背丈がほとんど一緒で、おそらく男性陣の中では親分を除いて身長が一番低かったのだ。
だから、きっと俺のことを弟分として面倒を看てくれているのだろうと言ったのは、ノエだった。
カラフェに麦茶を詰めてダイニングへ戻ると、驚いたような顔をしているイクトラがこちらを見た。こちらというか、俺をだ。
その目は幾度か見たことがある。いずれもその後、その目をした人とは疎遠になる。ジンクスのようなものだ。
まあしかし、ここにいる限りは話さないなんてこともなく、お互い良い大人であるのでこれで適度な距離になるのかもしれない。
…… と思ったのだが、そうだ、俺には一つ役割があったのだと思い出した。
「どったさーー」
ジンが声を掛けながらイクトラの前にカラフェを置く。その隣にグラスを並べ、麦茶を注いだ。
「いや、なんでもない。麦茶ありがとな」
差し出した麦茶をイクトラは笑いながら受け取るが、どこか苦味の浮かぶ笑みであったように見えた。何に気付いてしまったんだろう。いずれにせよ、あまり思い悩まないで欲しいのだが。
俺のことを考える時間があるならば、《彼》のことを考えてほしかった。
「ハッカのことなんだが」
席に戻り切り出すと、イクトラは先ほどとは別の驚きを浮かべて俺を見た。
「バンちゃん、どうかしたか」
イクトラが呼んだ名前に俺も内心驚いたが、そうだ、ハッカはバンビと呼ばれている方が多いのだったか。なぜバンビなのだろうとも思ったが、ジンが犬であるように、ハッカは鹿なのだろう。
尋ねるイクトラの声は心配の色が滲んでいた。いつも笑顔で、その体の薄さと同じように軽々と歩いていく姿がよく似合う彼なのだが、彼の仲間に対する熱というのは深いものがある。
いつでもどこかにいる存在。
想像もできない年月を過ごしている存在をしてそう言わしめている男だ、花筐のすべてにその存在が行き渡っている。努力なくしてできるものではない。
俺はそれが単純に彼の使命というか、役割であって務めているのだと思ったのだ。
だが、チカムユニカはむしろ彼が必要としているのだと言った。
自分の存在を確認する反響として、彼は自分以外の存在が必要なのだ。
「ハッカが、貴方と深く話すことができないと言っていたんだが、彼と何かあったのか」
「ああ……」
イクトラは何か思い当たることがあるような様子で頷き、苦笑いをした。
「あーーー…… そうか、隊長ちゃん、ああ、…… 『星』があるからか」
「うん?」
俺の質問に納得してしまうイクトラなのだが、逆に俺が今度理解が追いつかないでいる。なぜそこで『星』が出てきたのだろう。
首を傾げてしまった俺に、イクトラは「あーー」とか「うーーん」とか言語の外で悩んでしまった。何かを理解してない俺に説明しようとしているように見えたので、俺はひらひらと手を振った。
「いや、俺のことはどうでもいいんだが。
あんたとハッカのことを聞きたい。何かこじれてるなら橋渡しになるぞ」
「あ、うん、それは大丈夫なんだ」
「…… 何一つ大丈夫ではなかったんだが」
あっさりと首を縦に動かすイクトラに思わず控えめに突っ込んでしまう。今のどこに安心していい要素があった。
イクトラは顎に手を当てて再度考え込んでしまった。そうして悩みに悩んだ挙げ句に出てきた一言が、
「波長が合わないんだ」
「ああ…… なるほど」
「え、納得できた? これでいけちゃう感じ??」
言い出した割には慌てる彼である。
正確かは分からないが、先ほどの『星』の件を考えるに『空』の人と同じなのではないかと思ったのだ。階層が合わないと話ができない。
イクトラとハッカは何かが原因で、その階層が食い違っているということだ。それなら、ハッカが「仕方のないこと」と言っていたのも頷ける。
「たぶん、大雑把になら想像ができる、かも」
「ありがたいやら君のことが心配になるやら」
「ばんちゃはいい子さー」
それまで黙って俺とイクトラの会話を聞いていたジンがそっと指摘するように差し込んだ。ジンとハッカも仲が良く、一緒にいるのをよく見る。俺がハッカと初めて会ったのもジンを介してだ。
知っている名前が出てきて不穏な響きを聞き取った感じだろうか、フォローをしないと不安だったのだろう。
俺はジンに笑いかけた。
「うん。知ってるよ」
俺が返すと、ジンは安心したように笑って再びおとなしく大きな耳をこちらへ向けた。
もう一度俺がイクトラを振り返ると、目が合う一瞬、彼の薄い色をした双眸に焦燥のような色が差した。だがそれは瞬間で、彼はすぐに笑みで上塗りをしてしまった。
気持ちは分からないでもなかったので、俺は気づかぬ振りをした。
「波長が合わないというなら、尚更俺が二人の橋渡しをするから、何か伝えたいことがあるなら言ってほしい。
というのは、ハッカにも言ったんだ」
「『星』を使っていることになると思うんだが、それはあまり良くないんじゃないかね」
「そう思うなら、もう少し自力で彼とコンタクトを取ってくれ。新参者の俺から見て、足りないのではないかと感じている」
そう言ってやると、イクトラは唇を引き結んで狼狽える。ということは、彼も彼で心当たりがあったのだろう。
少し心配そうな気配が隣から揺れたので、この辺りが潮時だろうと思いイクトラに笑いかけた。
「勝手なことを言ってるだろう、すまんな。少し気になったんだ。
力になれればと思っているだけだ。遠慮なく頼ってほしい」
「いや、そりゃ気持ちは嬉しいんだが」
戸惑ったように灰色の瞳がこちらを見る。纏う空気が全く違うので気づかなかったが、九官鳥の目の色とよく似ていた。
『星』のことを知っているようなので、そこで俺に掛かる負担も知っているのだろう。ここへ来て日の浅い俺にまで心配をしてしまうところが、彼がハナガタミの住人に慕われる理由なのだろうな。
彼が俺を見る眼差しの中にある焦燥を思えば、たとえば『星』に呑まれて俺がどうにかなってしまった方が安心できるだろうに。
目の前に似姿の存在がいるのはなんとも居心地が悪かろう。
言い淀むイクトラに、俺は軽く首を振った。気にするなということだ。
「大丈夫、俺は貴方ではないから」
突然の言葉だったが、イクトラには分かったのだろう。ハッと何かを言いかけたが、しかしその先は形にはならず、彼は天井を仰ぐと残っている片手で顔を覆ってしまった。
だから気にするなと。まあ、思っているのは俺ばかりなのだろうけども。
イクトラの様子にびっくりしているジンの頭をぽんと撫でると、「また後でな」と声を掛けまだ麦茶の入っているグラスを持って席を立った。
談話室を出た背後で、「だいじょぶさーー?」とジンの声が聞こえる。あとは彼に任せよう。
ハッカが言っていたのだ。
俺とイクトラは似ていると。そしてその違いは、彼が誰かを必要としていることに対して、俺はその誰かを必要としていない点であるという。
自分自身の形を知るために必要としていることを、目の前で覆されている状況、ということだ。
イクトラは気づいたのだろう。似ていながらも、致命的に異質である鏡。
そりゃ焦りもする。気持ちは分かる。
俺だって怖い。
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