をさをさし
おみつが老婦人をなだめるころ、結之丞は鹿島屋へ帰るため、番頭のうしろを歩いていた。豹変したおせんに首を絞められとき、死ぬかもしれないという恐怖を覚えたが、おみつに呼ばれて駆けつけた番頭により、無傷で救いだされた。動揺してすぐに礼を述べることができなかった結之丞は、
「あ、あの、番頭さん……」
せめてひとことでも感謝の気持ちを伝えようと声をふりしぼる結之丞だが、昔ながらの
平台にならぶ木版摺りした印刷物は、天変地異のほか、
「いらっしゃい、鹿島屋の番頭さん。たまには艶本なんてどうですか。こっちのは人気の絵師によってうつされた新版で、そりゃあ、おすすめですよ。ちょっとだけ、お見せしましょう」
若い
「毎度」という店子は、わざとらしく肩をすぼめ、慈浪の背中を見送った。やや遅れて平台の小新聞へ目を留めた結之丞は、大きな文字の見出しが気になった。店子の接客態度から察するに、番頭とは馴染みがあるようで、結之丞はなにか質問してみたい気分になった。しかし、先に舗をでた慈浪を待たせるわけにもいかず、ぺこっと頭をさげて退出した。
奉公人の多くは、朝から晩まで役割を当てられ、からだを休める時間は短い。薬種問屋の若旦那は、たとえ身分の低い使用人であろうと、年季が明けるまで(あるいは一人前となるまで)、健康面の管理は必須と考え、きちんとした配慮は
瓦版屋をあとにした番頭は、こんどこそ鹿島屋を目ざして歩いた。黙ってうしろをついていく結之丞は、番頭が脇にはさんでいる小新聞の内容が気になった。奉公人の外出は基本的に禁止事項とされ、雇い主の許可や同伴がないかぎり、町をふらつくことはできない。生活に必要なものはすべて用意されるため、与えられた仕事に専念さえすればよい。
チリンッと、小さな鈴の音が聞こえた。結之丞は
「す、すみません」
前方不注意だった結之丞は、すぐさま謝罪して顔をあげた。だが、目測をあやまり、相手の顔を確認できなかった。もういちど見あげたものの、相手が脇をとおり抜けてしまい、どんな顔をしているのかわからなかった。むやみに足の長い男は、まだ和服を普段着とする風習が残るなか、三つ揃い(スリーピース)の
〘つづく〙
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