妖獣ねこまた

ゆき

第1話 きっかけ 猫との出会いと別れ

天気の良い日でも夕方になると急に冷え込んでくる。吹く風の冷たさに、季節が秋から冬に変わりつつあるのを肌て感じる。けれど、雪が降って本格的な寒さがやってくるのは、まだ少し先だ。

 そんな秋の日の夕方、学校からの帰り道で、和人はそれを見つけた。

 舗装されていない土の道に、それは落ちていた。最初は全く動かなかったから、落ちている、もしくは置いてある、それとも捨ててある?そんな感じに見えた。歩いている道の先に、地面の色とあまり違わない色の、その塊があるのが目に入った。

 誰かゴミでも捨てたんだろうか。田畑の風景が広がるこの村は静かで、道端にゴミを捨てるようなマナーの悪い人も滅多に居ないのだけれど。ゴミだったら自分が拾って家で捨てようと思い、和人はそれに近づいた。

 辺りが暗くなりかけていて離れた位置からはよく見えなかったけれど、近くで見るとそれは、茶色い毛の塊のようだった。縫いぐるみの古いのとか?それにしても随分汚れているけど。そう思って手を伸ばした時、それが微かに動いた。ビクッとして手を引っ込める。え?生き物?

 今度は腰を落として目線を低くした体勢で、和人はそれに近づいた。近くで見ると、最初に小さな耳らしき物が見えた。足も、尻尾もある。泥に汚れて所々毛の抜けているそれは、小さな猫だった。捨て猫?

 すぐそばにしゃがんで、ゆっくり手を伸ばす。ものすごく汚れているし、栄養状態が良くないからか毛が抜けて痩せこけているけれど、背中に触れると体温が伝わってきた。かなり衰弱しているようで、このまま放っておいたら間違いなく死んでしまう。

 和人は、すぐに上着を脱いで猫を包んだ。家まではあと少し。この小さな命の火が消えてしまわないようにと願いながら、暗くなりかけた道を急いだ。


和人が猫を拾ってきたのを見ても、祖父母は大して驚かなかった。以前にも、どこからともなくやってきた猫が家にしばらく居たことはあったし。 猫以外でも、ここは元々色々な動物が訪れる。平家作りの古い民家で、台所は昔ながら土間で、寒くなければ昼間のうちは玄関も勝手口もほぼ開けっ放しにしているような家だ。動物達が勝手に入ってきたり通り抜けていくことは毎日の事だった。

 こういう感じなのは和人の家だけでなく、この村では大抵どこの家も開けっ放しだ。動物が勝手に入ってきても、誰も特に気にしない。

 ここは長閑な田舎で周りは知り合いばかりだから、開けっ放しにしていても危険も無い。開けている方がむしろ、余分に収穫できた農作物を誰かが分けてくれたりするから都合がいい。玄関に白菜や大根が置いてあることなどよくある事だった。


和人が拾ってきた猫はひどく汚れていて衰弱しているだけで、心臓の音はしっかりしていた。指先に水を付けて口元に持っていくと、小さ舌でそれを舐めた。熱くなり過ぎない程度に温めたミルクを与えると、それも少し飲んだ。猫の体は手のひらに乗るくらいの大きさで、おそらく生後一ヶ月くらいではないかと祖父母が言った。

 和人は、泥だらけの猫の体を洗って、夜は自分の服の中に抱いて眠った。拾ってきた日の翌日からはお粥も少し食べたし、一週間もするとかなり元気になってきた。

 それから毎日学校から帰ると、和人は真っ先に猫の所へ行った。本当は学校にも連れて行きたいくらい、ずっと気になっていた。最初は弱っていただけで、だんだん普通に食べるようになってきたし、もう命が危ないということは無いと思うけれど。真冬じゃなかったことが救いだった。

 猫がすっかり元気になって家族の一員として迎え入れられた頃、そろそろ名前を決めなくてはということになった。猫は雄だったので、強そうな名前がいい。

 和人が考えて、漢字で力と書いてリキと読む名前にした。これから先もずっと、強く生きて欲しいという願いを込めた。


和人の両親は、和人が子供の頃に車の事故で亡くなっていた。まだ小学校にも上がる前の、四歳くらいの時だったからほとんど覚えていない。両親と過ごした日常の一コマが、何となく断片的に思い出される事はあっても、顔さえもはっきり覚えていない。写真で見て、そういえばこんな顔だったかもと思うくらいで。

 それでも、元々一緒に住んでいた祖父母がずっと面倒を見てくれて、愛情を注いでくれた。それだけで十分で、両親が居ない事を特に辛いとか寂しいと思ったことは無かった。和人にとっては、祖父母が親のようなものだった。

 祖父は先祖代々この村に住んでいて、土地も家もある。受け継いだ財産もあるので、それを運用しながら生活していた。

 家族全員で農業もやっているけれど、生活費を稼ぐためというより自分達が食べるためだった。

 収穫が多かった時は、庭に置いている台に並べて良心市で売ったり、道の駅や通販で売っていた。

 小学校に上がった頃から、和人は収穫や箱詰めの手伝いをするようになり、その仕事がけっこう好きだった。

 徒歩で片道20分ほどのところにある小学校に通い、家の手伝いも続けながら、それなりに楽しく日々が過ぎて行った。そんな日常の中で猫を拾ったのは、もうすぐ小学校を卒業するという年のことだった。


リキは、半年、一年と経つうちに、どんどん大きく成長していった。和人達が見ていて、普通の猫よりかなり大きいのでは?と思い始めたのは、リキが一歳になるかという頃からだった。一歳を過ぎてもまだ成長は続いていた。

 キジネコと言われる毛の色で、全体が濃い灰色に近く、そこに黒い模様が入っている。目の色は緑色で、体が大きいだけでなく四肢も太く逞しい感じで、見るからに強そうな猫に成長した。

 強く元気に生きろと願いを込めて強そうな名前にしたことが良かったのかなと思い、和人にとってはリキの成長が嬉しかった。

 リキはまだ仔猫の頃から、じっと家に居るような猫ではなかった。家の中に入れておくとすぐ外に出たがる。夜中でもよく外出して、次の日の朝になると帰ってきた。

 帰ってきてしばらく寝ていたかと思うと、また外に出ていった。人口密度も少ない村のことだから、猫が外をウロウロしていたくらいで文句を言う人も居ないし、リキは自由に育った。

 よく狩りもしているようだったし、二歳くらいになると他の猫と喧嘩をすることもあるようで、返り血を浴びて帰ってくることも度々あった。誇らしげに頭を上げて、のしのしと歩く様子から、勝ってきたんだろうなあと分かった。

 こんなに体の大きい猫は滅多にいないし、この近所でリキに勝てる猫は多分いないだろうと、和人は祖父母と話していた。

 リキは家族の前では穏やかで、べったり甘えてくることは無いけれど、和人にも祖父母にも友好的だった。

 家に居る時は大抵、和人の部屋に来て寝るので、三人の中でも特に和人とは仲が良かった。呼びかければ鳴き声で応えてくれるし、寝る時は寄り添って寝て、一緒に外を歩いたり、菓子を分け合って食べたりして過ごした。

 話しかければ、じっとこちらを見て聞いているようで、人間の言葉が通じているのではないかと思う時があった。


和人が中学二年になった年、それまで元気だった祖母が突然亡くなった。

まだ残暑の厳しい九月、朝普通に畑仕事に出て、気分が悪くなったと言って家に帰ってきた時は、まだそこまで具合が悪いとは自分でも気が付かなかったらしい。

「少し寝れば良くなるから」と言って、その日はずっと部屋で休んでいた。けれどその翌日、祖母はあっけなく亡くなってしまった。

 心筋梗塞という医師の診断だった。祖母は日頃から「ピンピンコロリで死ぬ時はあっさりがいい」と言っていたので、願いが叶ったと言えばそういうことになるけれど。

 仲が良かった祖父はひどく寂しそうで、急に老け込んだように見えた。和人にとっても、母親代わりだった祖母の死は大きなショックだった。

 そして、それから約一年後の冬。まるで祖母の後を追うように、祖父までが亡くなってしまった。風邪を拗らせた挙句、肺炎になって死んでしまうまで僅か二週間ほどだった。

 和人はついに一人になってしまった。せめてもの救いは、二人ともあまり苦しまずに亡くなったこと。祖父が亡くなった時、和人は中学三年の終わりに近く、あと少しで卒業だった。なので、施設に入れられるようなことはなく、このまま住み慣れた家で暮らすことが出来た。

 そして何より救いになったのは、リキが居てくれることだった。捨て猫だったから誕生日がはっきりしないけれど、今の推定年齢は三歳。人間で言えばもう立派な大人で、まだ若く活力がみなぎっている。

 この時から、一人と一匹の暮らしが始まった。


リキはよく外へ行きたがるから、自由に出入り出来るように猫用入り口を作った。和人は家の修理も自分でやるくらいで、こういう事が得意だった。壁の一部に、リキが出入り出来る大きさの穴を開け、そこに開閉式の扉を付けた。

 リキは、夜となく昼となく、気ままに出入りして好きなように暮らしていた。

 食事は、和人が食べ始めると側へ寄ってきて座るので、猫が食べても大丈夫そうな物を適当に分け与えた。魚が好物のようだから、釣りに行って収穫があった時は多めに焼いた。

 夜は同じ布団で最初から一緒に寝ることも有れば、夜の間外出していたリキが明け方になって戻ってきて布団の上で寝ている時もあった。体が大きい猫なので、乗られると凄く重くて金縛りにあったような気がするけれど、何だか憎めない。

 和人にとってリキは、唯一の家族だった。祖父母が亡くなった時、リキが居なければ本当に孤独になっていたかもしれないと常々思う。

 和人には祖父母から受け継いだ家も財産もあるから、経済的に困る事は無いし、村の人とも顔見知りではあるけれど、特に親しいと言える友人は近くに居なかった。ここでは就職出来る場所は無いし、少中学校で親しかった友達は皆んな、村を出て都会へ行ってしまった。

 そんな中で、リキだけは、ずっと和人の側に居てくれた。

 言葉が通じているのではないかと感じるのは、リキが仔猫の時からずっと変わらない。むしろ日を追うごとに、どんどん深く通じ合えるような気がしていた。


和人は、祖父母が亡くなった後も暮らしを変えていなかった。受け継いだ土地と家があるからここに居なければといった義務感からではなく、ここの暮らしが心底好きだった。

 友達が皆んな高校卒業と同時に村から出て行っても、和人は同じように都会に行きたいとは思わなかったし、今と違う暮らしをしたいとも思わなかった。受け継いだ家をいつも綺麗に整え、畑で作物を作り、沢山採れた時は売りに出かけた。家では自分のペースでゆっくり、料理や洗濯をし、日々の暮らしを楽しんでいた。そんな和人の暮らしの中に、いつもリキの姿があった。

 人間に媚びることなく常に自由気ままで、猫らしい猫という雰囲気のリキ。リキも、この家が、この土地が、とても気に入っている様子だった。

 和人は日々、人間に話しかけるのと同じようにリキに話しかけた。リキは神妙な顔をして聞いていたり、まるで人間のような表情をする。こんな風だから和人にとっては、人間の話し相手が常に側に居なくても、全然気にならなかった。リキがいつも話しを聞いてくれるから。

 和人が家を直す作業をしている時も、外で農作業をしている時も、家で料理を作っている時も、リキはよく側に座っていた。そして好奇心いっぱいの目で、和人のやっている事をじっと見ていた。

「手伝ってくれるわけじゃないけど、お前が居ると不思議と作業が進むよ」

 そう言ってやるといつも、ニャオと鳴いて尻尾の先をちょっと動かした。


月日は流れ、和人がリキを拾った日から二十年が過ぎた。和人は三十代になったけれど、基本的な暮らしはそのままだった。

 恋愛もそれなりにあったけれど結婚することは無く、受け継いだ家や畑を守りながら、住み慣れた土地で暮らした。

 自分の畑で作物を育て、多く収穫出来た時は車に積んで売りに行った。村に残っているのは年寄りが大多数で車の運転をしない人も多かったから、代わりに買い物に行ったり、野菜を預かって売る事もあった。

 パソコン作業が苦手な年配者に頼まれて手伝ったり教えたり、家の修理なども得意なので、頼まれれば直しに行った。

 そういったことで少しずつ収入が得られたし、受け継いだ家や畑、財産は元々あるので生きていくには困らなかった。

 リキは、気が向けば和人の仕事について来たり、来ない時は自由に外を歩き回ったり家で寝ていた。


隣近所の人もリキの存在を知っていて、よく声をかけてくれた。カツオブシや煮干しなど好物のおやつを、近所の人がくれることも多かった。

 リキは仔猫の時からずっと、やんちゃで活発だった。好奇心旺盛で、外を走り回るのが好きで、近所の人達もよく外でリキを見かけた。おやつをくれる人にはちゃっかり寄って行くし、色々もらって食べていた。

 それに対して和人は、どちらかというと物静かで口数が少なく、仕事で人に会う以外は一人でのんびり過ごすのが好きだった。なのでリキは、和人と隣近所の人を繋ぐ存在でもあった。和人が隣近所の人と話すのは、リキの話題が多かった。

 リキの存在が、皆を笑わせてくれたし和ませてくれた。

 やんちゃで活発だったリキも、年を取ってくると若い時程は走り回らなくなり、だんだん寝ている時間が長くなってきた。それでも、見た目の衰えはあまり目立たず、年を取ってむしろ貫禄が増したような感じだった。猫の平均的な寿命を大きく超えても、まだけっこう元気だった。

 和人は、一番の親友であり家族であるリキに、少しでも元気で長く生きてほしいと願った。


それでもやはり、全ての生き物に共通の命の終わりは必ず訪れる。

 ある日の午後、和人が農作業から戻ってくると、リキが縁側で寝ていた。これはいつもの風景で、ただ静かに寝ているようにしか見えなくて、リキの命が終わった事に和人は最初気がつかなかった。

 体に触れてみた時は、まだ暖かさも残っていた。

 その日の朝も、玄関近くに座っていたリキが、出かける和人の方を見てニャオと鳴いて尻尾を動かした。全くいつもと変わらない様子だったのに。

 呼びかけて、すでに息をしていないことが分かって、和人は体の震えが止まらなくなった。リキの体を抱きしめて、狂ったように泣いた。

 隣近所の人達が、何ごとかと集まってきた。皆んなリキをよく知っていて可愛がっていたので、悲しみを共有し一緒に泣いた。


リキが死んだあと、食事も喉を通らず眠れない日々を送っていた和人を、近所の人達は心配して時々様子を見に来た。多く作り過ぎたからと言って、食べやすいおかずを持ってきてくれたりもした。和人はその優しさが嬉しかったし有難いと感じたけれど、それでもなかなか立ち直れなかった。

 リキが死んだ冬の寒い日から数ヶ月が経ち、春の気配が感じられる季節になってようやく、和人は日常の生活を取り戻した。

 あの時、体中の力が抜けて動けなかった和人の代わりに、近所の人達がリキの体を埋葬した。綺麗な布に包んで木の箱に入れて、よく日の当たる庭の隅に埋め、石を積んで花の種を撒いた。今では、墓の周りには春の花が美しく咲いている。

 リキが死んだことを認めたくないような気持ちから、その場所を見るのも辛いと思っていた和人も、ようやく墓の近くに行って花を眺め、リキに話しかけるように墓に向かって語りかけるようになった。

「おはよう」

「行ってくるよ」

「ただいま」

 挨拶の声をかけるのは習慣になり、その日収穫できた野菜の事、天候の事、こんな花が咲いたなど、この場所に来て自分の日常の事を話した。

 そうするようになってから何故か心が満たされた。

 姿形は無くなったけれど、リキの存在はまだ近くにあって、いつも見守ってくれているように感じられた。


 和人が初めて不思議な体験をしたのは、リキが死んでから半年が過ぎた頃の事だった。

 その日和人は、帰りが遅くなりそうだったので珍しく家に鍵をかけた。

昼間に農作業を終えた後、夕方から街に出る用事があったからだ。街までは車で二時間ほどかかる。自分の買い物の他、近所の人達から頼まれた買い物もあり、帰ってくるのは夜遅くなる。

 近所の家や畑に行くくらいなら勝手口も玄関も開けっ放しで、それでも安全な村だったけれど、今日は夜遅くまで留守にするからと一応用心のために鍵をかけたのだった。

 ところが逆にそれがいけなかった。普段鍵などほとんど使わないものだから、鍵を無くしてしまったらしい。予定通り買い物を終えて家に帰って来たはいいが、カバンの中から鍵が見つからない。

 早く家に入って休みたいのに、カバンをひっくり返して探しても鍵は無く、気持ちが焦る。

 どうしても見つかりそうになければ、仕方ないから今日は車の中で寝て、明日明るくなってからもう一度探そうかとも思った。


その時ふと、背後に何かの気配を感じて和人は振り返った。何かの気配といっても危険を感じさせるものではなく、ただ静かにそこに居る感じ。月明かりの下、それは和人の方を見ていた。

 緑色に光る二つの目。体全体も淡い光りに包まれているそれは、猫だった。普通の猫より一回り体が大きく、長い尻尾の先は大きく二股に分かれている。その二本の尻尾がユラユラと揺れていた。

「リキ・・・」

 和人は、呼びかけて一歩近づいた。辺りが暗くて体の模様までははっきり見えないけれど。あの目の色、体の大きさ、全体の感じからして間違いない。リキは確かに死んだはずだけれど、でも目の前にいるこの猫は、あまりにもリキに似ている。


この日の不思議な出会いのことを、和人は翌日、日記に書いておくことにした。


 





 


 









 

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