第36話   あの時、何があったのか

 見えてきた馬小屋が、ただの動物触れ合いランドでないことは、ピリピリした空気でなんとなく伝わってきた。兵士を乗せて戦いの場へ赴くための忠実な足、それを育てるための訓練所だ。


 見学させてもらうついでに、俺は馬たちに(ちなみにパポロンって種類なんだって)こっそり果物をパスした。美味そうに食ってくれて良かったよ。クッキーも食ってくれた。


「ブヒヒッ」


「へへっ、キレイな歯ぁしてんな」


 そろそろ馬小屋を閉める時間だと言われて、俺たちは街の中へと戻って来た。あてもなくぶらぶら歩くのは、俺の腹ごなしのためなんだとさ……夕飯、マシな味ならいいなぁ。


「なあ、ルナは自分から望んで、この地に住んでるのか?」


「お兄様のこと、たくさん知ろうとしてくれるんですね」


「だってお前ら、なんにも教えてくれねえし。手掛かりだって勝手に探そうにも、お前らの監視の目が厳しすぎて何もできねえし」


「僕が本当のことを話している確証が、あるんですか?」


 お前がそれを聞くのかよ。ほんと意味わかんねえな、こいつ。


「なんとなくだけど、オニイサマ想いのお姫様なら信用できそうな気がするんだよ。でも後々ひどい嘘だってわかったら、あんたへの信用はゼロになるけどな」


「ええ、それで構いませんよ。イオラが多少は賢くてよかったです。お兄様とあまりにも釣り合いが取れないと、さすがに僕らもフォローしきれませんからね」


 お前こそ自分が何言ってるのか、ちゃんと理解してしゃべってるのかよ。俺が今どんなこと考えてるのかとか、そういうの一切気にしてないんだろうな。


「なんにも知らない俺よりもさ、お前とノワールがそばに居るだけで、充分過ぎるくらいルナの励みになってると思うけどな」


 現に助手二人は、ルナと一番近しい立場にいる。新入りの俺じゃあとても追いつけないくらいの親密さを感じる。なのに、俺じゃなきゃダメだって言い張るのは変な感じがするんだよな。


 それに俺は、ルナにフラれてるんだし……。


「僕じゃ、ダメだったんです」


 俺よりも浮かない顔で、うつむくお姫様。その後ろでドでかい日傘を差してくれてる従者が、律儀に姫の動きに合わせて傘を傾けるもんだから、ちょっとびっくりした。夕日でも日焼けするもんな……。


「イオラじゃなきゃ、ダメなんです。イオラにしかできないことなんです」


 まーたこの駄々っ子モードだよ。だから俺じゃ、何もできねえんだって……。


 もうこの話題するの、やだ。フラれたんだからさー、もういいよ、次に行かせてくれよ。しがみつくの、つれえよ。


 ……ん? この道には、見覚えがあるぞ。


 あーやっぱり、前方にあの靴屋さんが見えてきた。すっごく疲れた感じの猫背で、お店の前を掃き掃除しているお爺さんがいる。ご高齢なのに働いてて大変だな。もう空も赤いし、店じまいしてるのかな……あれ? お爺さんじゃなくて、靴屋の店主のおじさんじゃん。


 え、なんであんなにやつれてんの???


「どうしたのですか? イオラ。じっと一点を見つめて」


 その黒いリボンの目隠し越しに言い当てられると、マジでビビるな。


「俺ちょっと寄りたい店があるんだけど、いいか?」


「いいですよ。我々もお供いたします」


 そのお供って言うのは、大勢でぞろぞろ付いて来るのを意味するんだよな。当然おじさんもびっくりして顔を上げた。


「サファイア姫様! おはようございます、夕方のお散歩ですか?」


「はい。王子から外出の許可が出ましたので」


「そうですかぁ、よかったですねぇ」


 おじさんの声には、同情と哀れみがこもってた。そっか、サファイア姫は狂乱のルナリア王子に捕まり、お城に軟禁されてるって設定だったな。俺が受けてきた性的な拷問は、この国だとサファイア姫が受けてることになってるのかも。それは……かわいそうだ……。王子の支持率に影響するだろ、これ。大丈夫なのかよ。


「ルナリア王子には、わたくししかいませんから。どうかお気遣いなく」


「サファイア姫様……どうかご無理はなさらず」


 ああ、そういう設定なのか。健気なサファイア姫が、王子の狂乱ぶりを、その身一つで抑えていると。まるで魔王を封印し続ける巫女さんだな。


 まあ、実際に被害を受けてるのは、俺一人なんですけどねー(怒)


「おじさん、久しぶり。って言っても、一週間くらい前だけど、元気してた? なんか具合悪そうだね」


 俺が声をかけると、おじさんは目をぱちくりしてたけど、ようやく俺の正体に気がついたのか、別の意味で目をぱちくりした。


「君は! うちの店のバックヤードでひどい拷問を受けた後、行方不明になってた子じゃないか。よかった、無事だったんだね! あの時は本当に申し訳なかった。理不尽な命令に抗い、君を助けに部屋に突入すればよかったと、毎日後悔していたんだ」


「え……い、いや、入らなくてよかったよ。ひどいことになってたから」


 おもに俺の体液まみれで。俺自身も全裸にされてて、大勢の前で器具は突っ込まれるわ、麻酔の代わりとばかりにシゴかれ続けるわで……あの時おじさんに部屋に突撃されてたら、俺は羞恥のあまり錯乱して、うっかり舌噛んで絶命してたかもしれない……。


「おじさん、もしかして、俺を助けられなかったから、そんなに元気ないの? なら気にしないでよ。俺は見ての通り、ピンピンしてるから」


「だが君は今、姫様と一緒にいるじゃないか。君はけっきょく王子に捕まり、毎日ひどい目に遭っているんだろ? やはりあの時、突入して、君を逃がしてあげられていたら……」


 ため息とともに、肩をすくめるおじさん。やっぱこの人、優しいんだな。でもそれが原因で、後悔して気に病んで、眠れてないのか……すっげーやつれてるし、目の下のクマもひどい。


 なんて言ってあげれば、また眠れるようにしてあげられるかな……。これでも俺は、少し前まで眠りの妖精を自負してて、三年間この街の住民を寝不足と徹夜から救ってきたんだ。


 このおじさんは、俺の最後のお客さんみたいなもんだ。何とかしてあげたいな。えーっと……この人は自分の店の一室で、俺がとても痛い目に遭ったって思ってんだよな。暴力とか、振るわれたって思ってんだろうな……。


 どうしよう、これルナの評判にも傷が付いてるじゃん……。あいつは毎日忙しくしてて、すごく頑張ってるのに。自国と人類のために、辺境地に赴任して国境を守ってるのに。


 だけどあいつ自身も、狂人のように振舞うことによって物事を有利に進めてる嫌いもあるしな……どう言えばおじさんを安心させられるのかな。


 あ……ある、じゃんか。あいつが本当は優しいヤツだって宣伝ができて、でも狂人を演じ続けられる設定が……。しかも、あながち嘘じゃない内容で。


 俺は恥を押し殺して、息を吸った。


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