第20話 井戸


「この先には、教会があるかもしれない。なんとなく、そういう印象だ。誘拐がクリスマスの日だったからさ」

「その教会には魔法陣があったりしてな。そして、悪魔信仰だ。屋根の十字架はきっと逆さだろう」


 彼女はステレオタイプを並べる。


「魔女の原型であるサバトは、悪魔に子供をささげたと言われている。確かに、妹の一件にそぐうかもしれないな」


 魔女狩り。魔女をでっち上げることで、人々は不条理な私的制裁を正当化した。理不尽に設定された禁忌、それをあげつらう人々の醜さ。本当の悪魔は誰だったのだろう。


 *


 藪から続く斜面を登りきると、長谷川のいう通り、平地が現れた。そこでは、木々の密度はさらに低い。木々の間は四メートルほどだ。


「間伐されていても、木々自体は手入れされていない。森を整備するよりも、空間を確保したかったのだろう」


 利便性のみの目的で、装飾的な意味合いはない。

 ここら辺の樹木の枝付きは、解放骨折で胴体から飛び出した肋骨だ。非生物が生物になる過渡期、ここらの植物には、そういった趣がある。仲間を間引かれた怒りに、棘をこしらえたのかもしれない。


「ああ、木々の禍々しさはそれか」


 黒井は、ずっと感じていた違和が解消された。


「歪なものだな。しかし、よくよく考えれば、我々の知る街路樹こそ、通常ではない」


 彼女は指摘する。そうだ。この奔放な枝ぶりこそ、本来の姿なのである。


「長谷川。あの木、なんだか人に見えないか」


 彼は、ちょっと脅かしてみた。

 彼の指さす幹は、岡本太郎作な、怒りの面が浮かんでいる。木のうろが口に当たり、それは不満げなへの字口だ。


「シュクラシミ効果というやつだ。人は三つの点にさえ、人の顔を見出してしまう」


 木々の間の抜けながら、あれは鳥だとか、蛇だとか、ゴジラだとか、やっている。時折、強引で、これじゃ星座だ。二人だけの暗号は、視神経のその奥でまたたいた。


「子供時代、天井のシミでやったな。あの頃は、本当に暇だった。やるべきことは、沢山あったはずなのにな」


 黒井は懐かしむ。


「私は暇さえあれば、勉強していたがな。娯楽と言えば、映画鑑賞か」

「どんな映画を見るんだ」


 彼は、腕を組んだ。


「ホラー映画。パニックホラーが好きなんだ」

「ゾンビとか」

「ゾンビ映画は、どれだけ科学的かよりも、ゾンビがなんの隠喩なのかが大切だ。社会批判などが盛り込まれていれば、なお良し」

「映画館には行くのか」


 と、疑問形で尋ねる。


「いいや。ホラーに限れば、家で見た方が臨場感がある。それに、レンタルショップでカバーを眺めるのも、楽しみの一つだからな。映画館で見ては、楽しさが半減だ」

「レンタルショップか」


 彼の妹は、いつも邦画の棚に向かう。黒井は洋画の棚を目指す。だから二手に別れる。妹が死んだ今でも、帰り際、邦画の一角に自然と立ち寄ってしまうことがある。


「映画館でやるのは、新しい作品ばかりだろう。最近の映画は CGI に頼り過ぎだ。清潔すぎて、現実から浮いて見える。重量感も欠いている。そうは思わないか」


 彼女は提起した。


「そうかもな」

「これを解消するには、あえて作り物に見せる処理をする、というのはどうだろう」


 といわれても彼は、さあ、といった反応である。


「アニマトロニクスは、パニックホラーに必須だ。どんなに物語が陳腐でも、それだけで説得力が増す」



 *


 会話を中断したのは、ずっと前から、ちらついていた、いわくありげな構造物が、そろそろ近づいてきたからである。後ろの藪を背景に、高さ二・五メートル、幅六メートルのコンクリートの壁。


「トーチカか」


 長谷川は首を傾げた。


「いやしかし、大戦中、二上山に監視塔があったと聞いているが、こんな麓に建てても仕方がない。貯水池にしては背が高すぎるな」

「一周してみよう」


 彼らは、建物の周りを沿って歩き、その構造を把握した。この建物は上から見れば、C の字をしている。その円の切れ目が入口で、扉はなく、門と表現した方が良さそうだ。壁はとても滑らかで、その上、てっぺんに有刺鉄線がめぐらされているので、よじ登って越えることは難しい。


「巨大な井戸のようだな」


 長谷川は和ホラーの傑作を思い出す。


「だとしたら巨人が出てくるぜ」


 井戸の正面で立ち尽くす男女。意を決して、入口から恐る恐る内部を除くと、期待された奈落はなく、ただ滑らかな床だった。


「コロッセオってのは」


 黒井の提案。それは、ミニチュア版の円形闘技場。


「さあな。入ってみるしかない」


 彼らは、石の門から、中へ入る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る