第9話 俳句会


 俳句会というくらいだから、会場は和風建築を想像していたが、意外にも近代的な一軒家だった。この村で、一番、新しい建物ではなかろうか。洋風というほどではないが、伝統的ではない。かといって、和洋折衷でもない。身近なたとえでは、住宅街の家。


「ごめんください」


 御影石タイルの玄関で、黒井は叫んだ。しかし、返事はなかった。いうまでもなく、彼は吸血鬼ではないが、それでも人の許可なく上がるのはしたくない。


「すいません」


 今日は、休みなのかもしれない。彼が諦めて引き返そうと決めた矢先、階段からどたばたと初老の女性が返事をしながら駆け下りてきた。ホームページの女性。名前を調べるために、彼は手帳を開いた。


「おはようございます。黒井です。えっと、片田村俳句会会長の田代理恵さんですよね」


 黒井は手帳から目線を上げる。田代は、きょとんとした目で、彼を見ている。そして、首を亀のように伸ばした。


「はい。ええ、そうですけど。一体、どのようなご用件でして」


 若い男が、このような村の、小さな集まりを訪ねてくるなんて、どのような要件だろう。田代は想像もつかなかった。ロングコートの装いの彼は刑事か探偵に見えた。実際、彼は、死んだ妹の子供を誘拐した犯人を追っているのだから、遠からず近からずだが。


「実は、ある誘拐事件について調べている者でして」


 彼女は生唾を飲み込む。ドラマでしか見たことのない展開だった。人は誰でも、一生に一度くらいは、あの場面が目の前で演じられるのではないか、と夢見るものだが、それが今日だとは、彼女はつゆも思わなかった。ぐっとこみ上げるものがある。


「刑事さんでしたか」

「いえ、そういうわけではありませんよ。ただ、身内の事件を個人的に調べてるんです。いうなれば、フリーのジャーナリストみたいなものです」

「ジャーナリスト」


 感心する田代を見て、黒井はちくりと心が痛んだ。嘘ではないのだが、誇張がある。身を粉にして調査していたとはいえ、事実上、無職なのだ。


「だから、もしお答えしたくなければ、断ることも可能です。なんら、法的拘束力はありませんから。個人的な調査なんで」

「わかりました。今日は、たまたま俳句会が中止になりましたので、これから暇があります。というのも、一昨日、会員がお亡くなりになられまして。喪中ということで」


 彼の狙いは、参加者からも話を聞き出すこと、だったので、残念だが、一対一なら、世間話に話題を取られる危険は少ない。視点を変えれば万事塞翁が馬。それがこのときに、この男が閃いた標語だった。


「ご冥福お祈りします」

「危ないところでした。もし、来るのが一昨日なら、葬式に参加させられていましたから。この村のしきたりで、少しでも関係している人は、式に出なければならない、というのがありましてねえ」

「そんな風習が」


 日本に、そのような決まりのある土地が、二十一世紀にも存在していることに、黒井は仰天した。


「田舎くさいですよねえ。それに、知らない人のお香典を払えなんて、びっくりですよ。だから、新しく越してくる人と、トラブルになったりするんです。私的には、別に外部の方には、参加してもらわなくても、いいとは思うのだけど。なにしろ、お香典が減ってしまうので、遺族は必死になるわけです」


 彼女は、下品よねえ、とてのひらをひらひらさせて、狐のように目を細めた。田代は、サスペンスに出てくるおばさんそのものだ。黒井がドラマのような設定を持っていれば、彼女もまた同様なのだ。


「それは、なんだかなあ、な話っすね」

「そして、葬式に出るとね、骨がすでに焼けてるんです。昔は仕事で忙しかったので、骨を焼く時間さえ惜しかったらしいんですって。今風にいうと時短というんですかね。ほら、時短テクニック」


 風習がどこまでも合理的である、というのは、なんだか変な気分だ。彼の考える因習は、いつも不条理が含まれている。

 しかし、よくよく調べてみると、そういった規則は生活上の理由であることも多い。理屈を説明しないために奇妙に感じるのだ。

 また、理屈が抜け落ちて、決まり事だけが独り歩きしている場合もある。これが彼の知る禁忌に合致する。不合理な約束事は、本来の意味を知らない規則の奴隷により、理不尽に行使される。


「それで、なんの用でしたっけ」

「ではまず、村の北にある『聖域』をご存じですか。金網で囲われた地域です。おそらく、この村をぐるっと一周する環状線の北側」


 彼は地図を取り出して、指で示した。人差し指は、円の縁をぐるっと一周する。ここのどこかに柵があるのだ。


「環状線なんて大袈裟な。あ、はいはい、あの柵のことね。あそこは確か、神宮司さんの土地だったような。もともとは神主だったそうですが還俗されて」


 還俗、は仏教の用語だ。神仏習合。仏教伝来以前にまで、村の成立は遡れるのかもしれない。もし、それ以降ならば、神道が付け入る余地がないと思われる。


「その人はどこにいらっしゃいますか」


 黒井は、誘拐事件の犯人のしっぽを掴んだ気分だ。『聖域』が彼の土地ならば、事件の関係者であることうけあいだ。


「亡くなりました。天国にいると思います。優しいお方でしたから。絵にかいたような紳士でねえ」


 彼女は祈るように目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る