第10話団結

ウラジミールの語り口は悲痛な第一部を終えると、劇的な転調を遂げた。それは甘美な音色であった。彼は水星人と地球人が協調して暮らすという彼の不変の理想を語る。美しい理想を美しい言葉を尽くして表現する。それはリアリストを自称する人々が聴けば、語り手を世間知らずの夢想家であると断じるような内容であり、実際その指摘は的を外したものではないだろう。しかしニキタは文字で読めば一笑に付すに違いないそのたわごとに心を動かされつつある自分を認識した。彼はその事実に少なからず動揺する。彼の心は、多少のことでは微動だにしない。それゆえに自身の揺らぎの根源を必死に探した。そしてその鋭利な才知はすぐに発見する。ウラジミールが自身の主張を信じきっているという点が彼の演説を非凡ならしめているのである。信じるという行為には、裏切られるという大いなる代償がつきまとう。ゆえに人は容易になにかを信じぬくことはできない。しかしこの青年は自らの身をすすんで投げうつことで周囲のものを驚嘆させていた。彼が無責任なアジテーターや巧言令色の徒と一線を画すゆえんもそれである。狂信ともいえる彼の敬虔さが美しい将来像に欠けた現実味を補っていた。つまり彼自身が信じていることこそ実現しうると聞き手に思わせる根拠になっていたのだ。彼の姿勢と発言の内容は、互いに相乗しあって、聴衆を圧倒する。ニキタは周囲を見渡した。以前と同様に静寂の支配下にある。しかしその種類が違う。ウラジミールの言葉を聞き逃すまいと一同が耳を澄ましている。そして彼はこんな言葉で締めくくった。

「地球の誤りを正せるのは、今をおいてほかにない。わたしたちは分水嶺にいる。ここを逃せば、恒久的に地球と水星は憎しみ合うようになるだろう。しかし誰がそんなことを望んでいるというのか。そして誰もが望む未来への道をなにものが阻害できるだろうか。わたしたちは進むべき道を自由に決めることができる。皆さんもわたしと同じ道を歩んでいきたいと思っているはずだ」

 一同の注目はウラジミールからドミトリーに移った。老大佐の次の言葉こそがことの趨勢を決する。

「ウラジミール君、きみの理論は完全とはいえないな」

 ドミトリーはそこで息継ぎをして、言葉を継いだ。

「しかし、完全無欠な正論というやつを聞いてもなにものも奮い立たない。きみの話を聞けば、その不完全さゆえに多くの水星人が突き動かされるだろう。私も一水星人として心に来るものがあった。アヴェーン少佐のやり口は気に食わんが、きみの理想とやらは悪くない。どうせ残り少ない命だ。君に差し出そうじゃないか」

 そういうと自分の席へともどっていった。アントーノフは喜びのあまり立ち上がって、拍手し始めた。そしてそれにぽつりぽつりと同調するものがあらわれ、最後には会議室全体に手をたたく音が充満した。ニキタは熱しやすい一座を冷めた目で観察しつつも驚いていた。自分が解決しえなかった問題を病的な理想論者が解決したということに対してである。ウラジミール・アシモフという男を過小評価していたという事実を認めざるを得なかった。他者を自分の目指すべき道に巻き込むという才能においてこの恒星系で彼に比肩するものはいないだろう。そして一抹の不安を覚える。彼と自分とが目指す方向が一致しているうちは良いが相違が生じるようになったとき、最大の障壁は彼なのではないかと。その類まれな先導する力によって思わぬ方向へと時局を変化させるのではないかと考えると背筋がさむくなるのであった。

 ボリスが水星に帰還したのは、ウラジミールの演説から二週間が経過したときであった。彼は朗報と凶報とをひとつずつもたらした。朗報は、任務の成果が想定以上だったことである。傍受した情報によると金星艦隊の航行可能艦は十隻に満たないとのことであり、作戦の次の段階において障害となることはないだろう。ボリスはそれを特に誇ることもなく報告する。報告を受けるニキタもまた大きな感慨はみせず、労苦をねぎらい、そしてボリスを水星革命軍の総司令官に任ずる旨を伝えた。しかし凶報の方にはさすがのニキタも口元が引きつった。水星への討伐軍が地球に存在する三個宇宙艦隊すべてを連合軍と改組して差し向けるという情報である。

「予想外だな。地球の連中は戦力の出し惜しみをすると思ったのだがな」

 そういうとボルスは肩をすくめて、おどけてみせた。その様はニキタのつぼを一切くすぐらなかったどころか愛想笑いを引き出すことにすら失敗した。もっともボリスもこの男にそんなものを期待していなかったが。

「そうですな、大佐殿。戦闘の基本は戦力の集中にあります。敵ながら正しいと思われます」

「ああ、我々に余剰の戦力がないことを看破している」

 彼ら水星革命軍には一個艦隊しか存在しない。つまり戦場では三倍の敵を相手にする必要がある。

「勝算はおありですか」

「まあ、なんとかするさ」

 そうはいってみたものの具体的な策があるわけではない。三倍の艦隊と戦うことなど愚かというほかないが、この場合どうあっても避けられなかった。なぜなら戦場での勝利こそ地球と対等の交渉を行いうる唯一の条件であるからだ。もはや金星艦隊をすすけた鉄屑に変えてしまった以上後に引くことなどできない。ボリスは天井の隅を見上げて、ため息をついた。艦隊が湧いて出る魔法のツボでもないかなと夢想するのだった。

 水星討伐連合軍は漆黒の虚空に艦列を成して進んでいく。彼らはアントン・オーンスタイン大将を率いられ、一億キロメートル以上の旅路の中途にある。そして旗艦スヴェルドロフスクにて将官以上の者を集め、会議を行っていた。宇宙軍の最高幹部たちが一堂に会する。見た目だけは立派なものだと第三艦隊参謀長イラリオン・ブローク少将はせせら笑った。

「我々は敵の三倍の兵力を有しています。一撃に屠る以外の選択などないと思うが」

 第一艦隊司令官ジョン・セーチン中将は口火を切った。戦場における果敢さをもって知られた男だがイラリオンに言わせれば、ただの考えなしである。

「そう強気なことばかり言ってもおれんのだ。セーチン中将、これを見ろ」

 そう諭すとアントン大将は、一枚の通信文を見せた。それは水星側のやり取りを傍受したものであった。

「なんだと水星革命軍の余剰戦力が地球本国を襲撃しようともくろんでいるだと」

 セーチンが愕然とする。

「そうなのだ、そこで一個艦隊をその迎撃に向かわせようと思うのだが」

 イラリオンは小さく舌打ちをする。そして目の前にたたずむ線の細い小柄な老人に声をひそめて、献言をした。そして老人はおずおずと手を挙げた。

「なんだね、メンデレーエフ中将」

 アントンは自らの意見に口を挟まれて不愉快だったのか、ぞんざいな口調だった。第三艦隊司令官グレゴリー・メンデレーエフ中将は、萎縮したか細い声で発言した。

「それは欺瞞だと思うのですが、つまり我が軍を分散させて、各個に撃破しようという敵の策謀かと」

「なるほど仮に真実であったとき、貴官が全責任をとるのだな」

 アントンはグレゴリーを睨みつけた。グレゴリーは何も言い返せず黙り込む。イラリオンはこの上官がスピーカーとしての役割すら果しえないと断じた。彼はこの場で最年少であり自重すべきであるということを知ってはいたが、重視はしていない。

「お言葉ですが、大将閣下、水星に余剰兵力がないことなどあきらかです。だから奇襲で金星艦隊を襲ったのです。また地球の対空システムは金星とは比較になりません」

「ほお、ブローク少将貴官に発言を許可した覚えはないが、大統領閣下の甥であるというのはそんなに偉いものかね。聞けば、今回三個艦隊を派遣するという大統領の決定も君が強く望んだものだというではないか」

「はい、大将閣下、水星側にボリス・エフレーモフがいます。凡庸な指揮官が彼に勝つには数の力しかないと考えます」

 それは皮肉というにあまりに露骨すぎた。アントンは唇を強く噛む。

「小僧、図に乗るなよ」

 憤激したのはジョン・セーチン中将である。机にこぶしをたたきつける音が会議室に響き渡る。一方のアントンはなだめる側にまわらざるをえなかった。

「まあ、セーチン中将落ち着きたまえ。ブローク少将、貴官の言に従って地球に攻撃を加えられた場合は貴官の死をもって罪をあがなうしかないがいいのかね」

 これは脅しであろうとイラリオンは見透かした。アントンは、ここまで言えば彼が引き下がると思っているのだ。

「はい、なんなら家族全員を八つ裂きにしてもらってもかまいません」

「ふん、さすが大統領閣下の甥御殿だ。壮烈な覚悟というべきだろう。そこまでいうならいいだろう」

 アントンは予想外の答えに皮肉で応酬するしかなかった。イラリオンは、自分の意見が推し通ったことに対する喜びは見せなかった。それが当然だといわんばかりの傲岸さであった。

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