第28話 音を楽しみましょう

部長の紹介で音楽室に入ってきた人は、やせ型で漆黒の綺麗な長髪のまさに芸術家と言った男性が現れた。だいたい見た目からして20代半ばではないだろうか?彼は、暑苦しい部室の中にでも、眉毛一つ歪ませることなく、軽快な足取りで私たちの前に立つと、部員の私たち一人ひとりの顔をゆっくりと見渡した。そして、一通り眺めた後、瞳を閉じて、沈黙した。私たちはこの外部の先生が一体、どう行動するか、いぶかしむ気持ちと、好奇心でただ、黙って見つめていた。一体、どれくらい静寂が支配したのだろう、外部の先生は、目を開けると、何かを決心した様な意思のある瞳で私たちを眺めながら艶のあるバリトンボイスで


「僕が、指揮をふるから、試しにみんなの演奏を聴かせてもらえないかな?」


と、さわやかな笑顔をでタクトを握った。そして、部長に向けて、気さくな感じで


「彩、スコアを持ってきてくれないかな?」


と、言うのが早いか、部長は颯爽と資料棚から、五月の風と、ローマの祭りのスコアを持ってくると、丁寧に先生に手渡した。そして、先生は労うかのようににっこり微笑んで


「ありがとう。」


と言って、先生は、パラパラと手渡されたスコアを流し読みした後、急に今までと打って変わっていきなり勝負師の様な、真剣な顔で


「では、行くよ、まず、五月の風から、ワン、ツウ、~


― ~~♪ -


と、演奏し終えた後、何か、不満があるのか、先生はさらに厳し表情を顔に出して、五月の風のスコアを読み返した後、私たち全体をぐるっと見渡して、何か考えているみたいだった。しばらく先生は考え込んだ後、気を取り直したらしく、タクトを握ると、今度は、明るい笑顔で


「さぁ、次はローマの祭りだ、みんな行くよ、ン、ツウ、~


― ~~~♪♬ -


演奏が終わった後、先生は、何か私たちに対する課題が見つかったのか、ローマの祭りのスコアを何回か読み返していた。そして、独りで何かブツブツ言いながら、考え込んでいるみたいだった。そして、ハッと何かに気づいたのか、申し訳なさそうに


「ごめん、ごめん、自己紹介が遅れたね。僕は 珠洲(すず) 修二 芸大院生を去年卒業して、専攻は作曲、そこの彩のお兄さんがいる社会人楽団の先輩なんだ。」


と、綺麗な共通語で語った後、部長に対してにっこり微笑んだ。部長にお兄さんがいて、しかも、そのお兄さんも楽団に所属しているとは初耳だった。


「かわいい後輩の妹が、何とか助けて欲しいとせがまれているって口説かれたら流石にねぇ…」


と、その場にいた一同視線を部長に向けると、部長は恥ずかしいのか、明後日の方向を見て、ごまかしていた。


「まぁ、そういうことで、とりあえず、地区大会のある夏休みいっぱいは、君たちの指導をするつもりだからよろしく、それ以降は、その時考えよう、まず、みんなの自己紹介をしてもらえないかな?」


そして、一人ひとり自己紹介をして、全員終わった後、珠洲先生は、ファーストクラリネットの席が一つ空いているのに気づいて、タクトで席を指しながら


「彩、ここの席の子は、病欠か何かかな?」


そして、部長は重い口調で、珠洲先生に対して今までの、園田さんにまつわる事情を話した。


珠洲先生は、一通り話を聞いた後、瞳を閉じて、頷きながらこぼす様に


「だからか…」


と、誰ともなしに言った後、私たちの表情を眺めて、チョークを副部長に手渡した。そして、珠洲先生は、真面目な顔で


「恵子さん、音楽って文字どう書くか、黒板に書いてくれないかな?」


と、いきなり、小学生の問題を言われて、みんな呆気に取られて、珠洲先生と副部長を交互に見つめると、副部長は、得心できてないのか、疑問を浮かべた顔をしながら黒板へと向かい、副部長らしい丁寧できれいな字で


「音楽」


と、書いた。珠洲先生は、しばらく、その文字を眺めた後、私たちに向かって、問いただすかのように、大きな声で


「この中で、音を楽しんで演奏している人はいますか?みんなには、全国に行かなければならないという使命感だけで演奏していて、僕には全然、楽しんで演奏しているようには見えません。確かに、少しでも審査員の耳にとっていい音を出すことは悪いことではありません、しかし、それは、三流の演奏です。では、二流はどんな演奏なんでしょうか?そこの君、吉田君だね、どう思う?」


吉田君は、しばらく、考え込んでいたが、首を左右に振って


「先生、ごめんなさい、わかりません。」


と、かなり残念そうに小声で言った。珠洲先生はそんな、吉田君を責める様な事はせず、みんなに向けて


「さっきの演奏で思いました、この中の人は全員、二流の意味さえも分からず演奏していると…」


そして、しばらく間をおいて、これから語ることは大事なことだと、みんなが理解して意識が珠洲先生に集中した時、珠洲先生はゆっくりとした口調で


「それは、普通のお客さんが喜ぶ演奏です。では、一流は何か?」


そして、珠洲先生は黒板に向かうとタクトで音の文字を指すと


「私たちが音を…」


そして、続いて楽を指して


「楽しむのが、一流の演奏なのです!そこが一流と三流との大きな違いなのです!皆さんは、少しでも審査員のことばかりで、本当に残念ながら三流です、しかし、見方を変えればすぐにでも一流の演奏ができます、


― 音を楽しみましょう -


全てはそれからです!」

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