第25話 お願いだからやめて

― 合宿が中止になった翌日 -


私は、前の日の夜、部長から、園田さんが市の総合病院へ入院することになったと聞いた。私は、あまりにも心配で、部活を休み、思い切って園田さんを見舞いに行くことに決心した。そして、今日、早起きをして朝一に園田さんに似合いそうなひまわりの花束を花屋さんで買って、かつて園田さんと一緒に乗った、自転車に跨り、町の中心街に立っている総合病院へと走った。二人で松下楽器に行ったことが、実際には数か月前のことなのに、もう、何十年も前に見た夢のような、非現実的な事の様に思えてきた。自分でもあの事が本当にあったことなのか自信は全くなかった。時刻は朝の九時半になろうとしていて、町は、いつもと変りない日々の人の営みが行われているのに私だけは、それから、逸脱された気がして、疎外感と孤独感で今にも心が押し潰れてしまいそうだった。今になって、私は自分の心の中で園田さんがどれだけ自分にとって特別で大切な人だったのかと、当時の私が感じている負の感情を心の中で思えば思うほど強く意識しているのに気づいた。


そして、私は、まるで、病院と言うより刑務所と言ったほうが、適切なような、何の愛嬌もない白い箱型の建物の前に着いた。私は、駐輪場へ自転車を停めると、受付へと急いだ。


病院内は、クーラーが効いていて、肌寒いくらいに感じた。それなのに、汗は止まらず、これはきっと暑いからではなく、冷や汗だったんだと、今更ながら気づいた。私は、額の汗をぬぐいながら、何の愛嬌や感情さえも読みとれない、受付のお姉さんに園田さんの病室を訊いた。すると、お姉さんは、黙って面会希望者の申請用紙を差し出してきた。私は、住所や名前などを記入して、お姉さんに用紙を返すと、しばらく、何も言わず私の書いた用紙をまるで、微生物学研究の学者が顕微鏡で微生物を観察するかのように私の書いた文字を穴が開くのではないかと思うくらい、眺めた後、緩慢な動作で、パソコンに向かい、何やら打ち込んだ後、まるで独り言のように


「園田さんは、脳神経外科の304号室になります。」


と、会ってから初めて声を聞いた。見た目の割に意外と声が低く、もしかすると、それがコンプレックスで話したくないのか、それとも、もともとやる気がないのかわからないけど、とりあえず礼を言って、脳神経外科病棟へと急いだ。病院の廊下はどことなく消毒液や、尿の様な臭いが混在して、私の気分をさらに萎えさせるには十分だった。お土産で買ったひまわりもこんな環境に晒されてか、一時間も経っていないのに、もうしおれて枯れてしまいそうに見えた。まるで、私の心と全く同じだ。


そんな、くたびれた私は、重い足取りで304号室の前へとついた。病室の扉の前にはしっかりと


「園田 玲」


と書かれていた。私は、扉の前で太陽の様に明るく輝いていた園田さんが今、このひまわりの様しおれて枯れてしまっているんじゃないかという最悪の事態に怖気づいて、扉を開けるのに、かなりの時間と勇気が必要だった。私は、なるべく音を立てないように扉をゆっくり開けて中に入ると、点滴を刺した園田さんが、規則正しく寝息を立てて眠っていた。病室の中には、まるで真っ白な独房の様に白一色で、なんの装飾もなく、ただこれと言って注目する物もなかった。私は、サイドテーブルにひまわりの花束を置くと、園田さんの手を握った。園田さんの手はかつて握った手よりもさらに小さく、白く、とても脆く冷たく感じた。私は、園田さんの今の現状を伝える手を握ることで、とても、とても私の手が届かない遠くへ旅立ってしまうんじゃないかという、恐怖と絶望が頭の中でいっぱいになった。せめて、冷たくなった園田さんを温めようと両手で園田さんの手のひらを握ると、扉が開く音がした。


「あなた、何をやっているの!」


静かな病室にヒステリックな高い叫び声が響いた。私は、あまりにも人の心を逆なでするようなトーンに、まるで私が犯罪者の様な気持ちにさせられた。私は、大きく深呼吸すると、恐らく園田さんの家族なのだろうと思って、振り向くとやせ型に、髪がアップで、縁なし眼鏡をかけたかなり神経質そうな女性が立っていた。


私は、サイドに置いたひまわりを手に深々と頭を下げると


「同級生の藤村創と言います、園田さんのお見舞いに来ました。これは、ほんの気持ちです。」


と、恐らく園田さんのお母さんにひまわりを渡そうとすると、その女性は、ひまわりを叩き落とすと


「いいから、ここから出て行って!あなたの様な人たちが玲をこんなにさせたのよ、すべて悪いのはあなたたちよ、もう、顔を見せないで、警察を呼ぶわよ!」


と言って、ひまわりの花束をその人は踏みつけた。私は思っていもいなかったセリフと行動を目の当たりにして、状況の理解を飲み込むのに数秒かかった。私は、誤解を解こうと、口を開こうとした時


―二人ともお願いだからやめて…-

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