第8話 世界のすべてが止まったとき

私は、吉田君より園田さんを選んでしまった様な罪悪感を感じながらも、黄昏に染まった世界で園田さんと二人、校舎を後にすることにした。


園田さんは、ちょっと待ってねと言って、校門近くの公衆電話へと駆けていった。


その間私は、手持ち無沙汰にすることがないので、新たな学び舎の外観をまじまじと見ていた。


朝は、昨日今日できたかの様に真新しく見えた校舎も、よく見ると、所々、雨風に晒されて、あちこち剥げていたり、くすんでいたりしていた。私は、仕方ないので、体育館の外壁にあるシミの数を数え始めてちょうど、14個目のシミを発見してカウントしている時に、園田さんが走って戻ってきた。


「藤村君ごめんね。ちょっと、家族に迎えてきてもらうのを、学校から松下楽器に変えてもらうようにお願いしたの。」


夕焼けに照らされた園田さんは、どこか危うくて脆くまた、これ以上なく綺麗に見えた。私は、再び初めて見かけたときの衝動が再び私を襲って、これ以上なく動揺した。


そんな、私に気づいてか園田さんは、キョトンとした顔で上目遣いに私の顔を覗き込んで


「どうしたの?藤村君、顔赤いよ?」


私は、園田さんからの視線から逃げるように顔を背けて


「ごめん、ちょっと自転車取って来るね。」


と言って、走って、その場から逃げ出した。私は駐輪場に行って自転車のロックを外しながら、大きく深呼吸をした。ドク、ドク、ドク私は自分の心臓の鼓動が、いやに早く脈打つのを頭で聞こえていた。


ーー落ち着け創。平常心だ。大丈夫、大丈夫ーー


と、内心自分に暗示をかけながら、できる限りの笑顔を作って自転車を押しながら、園田さんのところへと戻っていった。


「嫌だな、園田さん、夕焼けで赤くなっているだけだよ。」


と、言ったけど、自分でも声がどことなく震えているのが実感できた。


園田さんは、私の周りをくるくる踊るように回りながら、私に向かってにんまりと笑いながら


「え~、ほんとかなぁ~。」


と、言いながらクスクス笑い出した。


私は、完全にからかわれていると思って、片手で自転車を押しながらもう片方で園田さんの手を引きながら


「早く行こう、お店がしまっちゃうよ。」


と、強引に歩こうとすると、園田さんは奥手の私が意外な行動に出たのが面白いのか、甘えた声で


「私、疲れちゃったなぁ。藤村君、私歩きたくないから、自転車に乗せて連れっててくれないかな。」


と、さらに私を試しに来た。


一目ぼれの人を、いきなり自転車に乗せる。中学までの私なら怖気づくだろうけど、今の私は高校生だ。大人だ。大人なんだと、内心自分に言い聞かせて


「もちろんだよ、任せて。」


と私は自転車に跨って、園田さんに言ったが、やっぱり自分でも声が震えているのが判る。私はそれを、打ち消すようにリアキャリアを叩いて


「ほら、ここに乗って。」


と言うと、園田さんははしゃいだ声で


「ありがとう、失礼します。」


と、言った。園田さんが、自転車に腰かけたのが、反動で判る。私は、弱気な自分を鼓舞するように大きく息を吸って


「それじゃぁ行くよ、落ちないように気を付けてね。」


と、思いっきりペダルを踏んだ。園田さんが、私の背中に支えているのが判る。

園田さんの暖かい体温を背中に感じると共に、春の新緑の香りと園田さんのシャンプーの様な甘い香りが同時に私の心を高ぶらせて、いつも以上に息が上がるのが早かった。


そんな、私の内心を知らずか、園田さんは


「はや~い、風が気持ちいい。」


と明るく無邪気にはしゃいでいた。そして、私と園田さんの影がどこまでも遠く遠く夕焼けの大地へ伸びていった。


自転車で、学校から駅前の松下楽器店へは、だいたい15分で着くと、園田さんはふわりと、自転車から降りると、満面の笑顔で


「藤村君ありがとう、楽しかったわ。」


と私に送った。私は、ほぼ今まで生きた心地はしなかったが、大きなしくじりはしなかった安堵感が襲って、一気に緊張が解けて、素直な笑顔で


「いいえ、大したことないよ。」


と答えると、園田さんは、そんな私のどこかおかしかったのか、ふふふと笑うと


「さすが、男の子ね、また乗せてね、よろしくね。私の専属ドライバーさん。」


ねだるように言ってきた。かなり日が傾いて暗くなり始めているから判らないと思ったけど、園田さんは


「藤村君、また、顔赤いわよ。」


と、笑いながら言った。私は、完全にもてあそばれていると思って、最大の抵抗としてあえて無視をして


「園田さん、さあ、お店に入ろう。閉まっちゃうよ。」


と、強引に手を引いて店内に入ろうとすると、園田さんは驚いたように


「ちょっと、待って。あまり急いじゃダメよ。ほら、鞄を忘れているわよ。」


と、言ったので、はっと気づいて私は、引いた手を戻して、園田さんと自転車のほうへ向くと園田さんはごく自然に私の頬にそっとキスをしていた。


その瞬間、世界のすべてが止まった。

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