第四五翔

 ライオネルは鬼気迫る形相で鞭を振るっていた。


 最後の直線に入ってからというもの、やけに時間の流れを遅く感じた。

 一〇秒にも満たないはずの時間が、まるで永遠とさえ錯覚するほどだ。

 まだ残り一ドランもあるのかと正直、気が遠くなる。


 最大の強敵と目していたアロンダイトは、はるか後方に置き去りにしている。

 もはや彼らに逆転の目はない。

 いかにランスの技量が隔絶していようと、直線ではそれが活かせない。

 ゆえにライオネルの勝利は揺るがない。そのはずだ。


 そのはずなのに、彼の心から焦燥は消えなかった。

 速く、速く、〇・一秒でも速く、ただそれだけを願って、ただ一心不乱に鞭を振るう。


 ぞくぅっ! 

 突如、ライオネルの背筋を最大級の悪寒が疾り抜けた。


「まっ……まさかっ!?」


 慌てて背後を振り向き、レース中だと言うのに驚きにその身を硬直させる。


 アロンダイトの翼が、どす黒く燃えていた。

 比喩ではない。

 文字通り、翼から漆黒の炎を噴き上げているのである。

 その力を推進力に変え、有り得ない速度でみるみるうちにこちらとの距離を詰めてくる。


 この禍々しさには身に覚えがあった。

 だらだらと顔から脂汗が流れ落ちる。

 かつて間近に接した時は、小便漏らしそうなほどの恐怖を心に刻み込まれたものだ。


「まっ……魔王……だとっ!?」


 ランスが「魔王の力」を得ているのならば、その愛騎ガラハッドも得ていたとしてもまったくおかしくない。

 否、ロヴェルの話では、ガラハッドは魔王の胸にその牙を突き立てたと言う。

 間違いなく、ランス以上に魔王の生き血をたっぷりとすすっているはずだ。

 そしてアロンダイトは『魔王殺し』ガラハッドの三×四インブリードを保有している。

 今、自分が見せつけられている力は、圧倒的で、超越的で、絶望的で、かつて人類を恐怖のドン底に陥れた魔王そのものだった。


 唐突に理解する。 

 ガラハッドの血統だけがかかる奇病「黒血病」は、まさにこの絶大な力の副作用なのだ、と。

 地上最強の竜すら死へと追いやるとんでもない力が、今、明確な意志の下、猛威を奮っていた。


 勿論、モルドレッドとて、ガラハッドの三×四インブリードを持つ。

 理屈の上では、アロンダイト同様に、この「魔王の力」は使えるはずだ。


 だが、これまでガラハッドの子孫のどの竜も、こんな力を発揮したという記録はない。

 間違いなく、力の使用には何らかのコツがいるのだ。


 そしてそのコツを知っているのは、同じく魔王の血をその身に宿し、その力を使いこなしているランスのみである。

 竜の事はほぼ全て熟知していると自負するライオネルですら、どうすればこんな力を引き出せるのか、皆目見当もつかないのが正直なところだ。

 そう、この世界で唯一、ランスだけが魔王の力を竜に伝えられるのだ!


「はっはーっ! たぁまんねえ!」


 実に聞き慣れた文句を残して、黒き灼光があっさりとモルドレッドをぶち抜いていく。

 ドラゴンレーシング史上、ずば抜けて最速を誇っていたはずのモルドレッドを、だ。

 調子が悪いわけではなく、むしろこれ以上ないほど最高の力を発揮していると言うのに、だ。

 はっきり言って次元が違う。


 ここまで差を見せつけられると、もはや悔しさすら湧いてこない。

 しかも、これほどの速度を見せつけておいてなお、アロンダイトは限界を迎えていなかった。

 さらにぐんぐんと加速を続け、あっという間にモルドレッドを一〇竜身以上置き去りにし、そのままゴールへと勢いよく飛び込んでいく。


『あっ……あっ……あっ……圧倒的ぃぃぃっ!! 七番アロンダイト、文句なしっ! 魔王モルドレッドを相手にぶっちぎりぃぃぃっ! 第三二回ランスロットダービーの覇者は七番アロンダイトッ! ランスロット様の愛騎ガラハッドの直系が、サラマンダー種の不利を力づくで覆しぃ! ついについにつぅいぃにぃぃっ! ダービーを制覇しましたぁぁぁぁぁぁっ!!」

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