第6話 空虚な時間

※牧清美 視点 


 次の日になっても栗原さんから謝罪の連絡すらなかった。今彼女はどんな気持ちでいるのだろうか。私は怒りを抑え、栗原さんにメールを送った。ふたりで会って話したいと伝え、すぐに待ち合わせすることになった。知り合いに見られるのを避け、少し離れたカフェを選んだ。


 軽快なジャズが流れ木漏れ日の差し込む小洒落たカフェで彼女を待った。不倫相手と話をするには不釣り合いな場所を選んでしまったことを後悔。


 テーブルについて5分もしないうちに、彼女も到着。グレーのシャツに黒いパンツ姿の彼女は、私に気づくと急ぎ足でこちらに向かってきた。


「この度は本当に申し訳ありませんでした」


 席に座る前に栗原さんは深々と頭を下げた。主人が連絡をしていたのだろう。なぜ呼び出されたのかすべてを悟った顔だった。


「まずは座ってください」


 彼女は周囲を覗いながら席についた。私はグラスの水を一口飲んで彼女に問う。


「主人との不倫は認めるんですね?」


 静かに頷く彼女。


「ねぇどうしてなの?やっと仲良くなれた友達だと思っていたのに」


「本当に……ごめんなさい」


 私は立て続けに言葉をぶつける。


「それであなたはどうしたいの?うちの主人と一緒になりたいと思ってるの?そんなにあの人のことが好き?大事なの?」

 

 すると彼女は驚いたように私を見据え、大きく首を横に振っている。


「私そんなこと一度も望んでないですよ」


「だけど私は主人に離婚してくれと懇願されました。他の親権や慰謝料なんかは好きにしていいからって」


 思わず声が大きくなり周りの視線を集めてしまった。まるで私だけが辱めを受けているような状況だ。やはりこんなところで話し合うことじゃなかった。


「今度家でキチンと3人で話し合いましょう。いいわね?」


 私は半ば強引に彼女にそう伝えた。少しでも早くこの場所を離れたかったのだ。席を立とうとする私を見上げ、彼女が言う。


「あの……お言葉ですが……。2人で話しても、3人で話しても今の私の気持ちは変わりませんがよろしいですか?」


 栗原さんは髪をかきあげそう呟いた。あの時の香水が鼻をつく。


「私達のやっていた不貞行為はもちろん認めます。なので、慰謝料請求も甘んじて受けます。私はもう哲夫さんに会うことも話すことも何もありません。これが私のお話できるすべてです」


 なによこれ。私は突然恥ずかしさが込み上げてきた。要するに私は主人を寝取られ、その主人は不倫がバレた途端ボロ雑巾のように軽く捨てられた。これがこの不倫の結末?こんなお粗末な不倫話に家族みんなで引っ掻き回されて。


 怒りに震える右手をジッと耐えた。本当なら一発ぐらいこの女のツラをぶん殴っても閻魔様だって許してくれると思った。だけど、結局傷つくのは私だって、そう思ったら全てが馬鹿らしく思えて動けなかった。


「もう疲れたわ。また連絡します」


 それだけ伝えると私はカフェをでた。ウエイターの女の子が不思議そうに私を目で追っていた。目が覚めるほど冷たい水をあの女にぶっかけてやればよかったわ。


 そして車に戻ると、栗原さんとのやりとりを主人にメールした。


─栗原さんと話しました。不倫の事実は認めたわよ。そしてもうあなたとは会わないし、話すこともないって。


 そのメールが既読になっても、しばらく主人からの返信はなかった。次の日の朝、主人からやっと電話がきた。初めて聞くようなしょぼくれた声。


「栗原さんと話したよ。こんなことになってすまなかったと泣いていた。そしてもう会わないから連絡もしないで……って言われた」


 主人は情けない程泣きながら話していた。どうして私が捨てられた主人の屍を拾ってあげなきゃいけないのよ。こっちはそんな屍蹴散らしたい気分よ。


「あらそう。私からもあなたに伝えたいことがあるの。離婚は絶対しないわよ。だからってあなたと和解をするつもりもない。私はこのまま実家で子供達と生活するから心配しないで。あなたの犯した罪の重さを感じながら生きていきなさい、ひとりで。私は許さない」


「清美……それじゃ僕はこれからどう生きて行けば……」


「そんなの知らないわよ。私と子供の為に働きなさい。あなたがもうどこの女と交わろうと知ったこっちゃないわ。でも離婚はしない。あなたに自由は渡さない」


「清美……清美っ……」


 泣き叫ぶ主人の声を聞きながら私は電話を切った。もう何が正解なのかわからなかった。心の奥が冷たく凍っていくのを感じた。主人に尽くしてきた15年がすべて空虚なものに思えて涙すら出てこなかった。



 牧さんはここまで話し終えるとグラスの水を飲み干した。そして右手の包帯を触りながら小さくため息をついた。


「主人には強く離婚しないって言い放ったんだけど……迷う気持ちもあってね。顔を突き合わせて生活する自信がないんですよ」


「離婚しないんですか?」


 私は思い切って聞いてみた。


「もちろんそれもひとつの答えよね。でも今は3人の子供を私一人で育てる自信がないの。大学までの学費とか考えたら相当な金額じゃない。確かに慰謝料や養育費をそれだけ貰えばいいんだろうけど不安で。かといって主人を許せるかと言われると、それも難しくて……」


「そりゃそうですよ!これだけのことがあったんですから」


 私は思わず大きな声を出してしまった。それを見た牧さんが少しだけ微笑んでくれたのが救いだった。


「聞いてくれてありがとう田村さん。こうして言葉に出して誰かに話すと、思っても見ない感情が見えてきたりするものね。私には大切な子供がいるもの。こんなことで立ち止まってる時間はないわ」


「牧さん……」


 そう言って真っすぐ私を見つめる牧さんの目から涙が溢れていた。でも何故だろう喫茶店に入って来たときよりもはるかにスッキリした表情だった。


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第6話を読んでいただきありがとうございます。

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明日も15時更新予定!



 



 

 

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