第3話 モルテ・リスレッティオーネ

「あなたは、人の心のわかる人ですか?」


 ゆっくりと言葉を選んで、まずはそう訊ねた。


「昏倒状態から目覚めていきなり、知らない相手から婚約者だといわれ、しかも、結婚する準備としてあなたをゾンビにします、そういう約束ですから、なんて話をされて、はいそうですかと受け容れられると思いますか?」

「難しい、でしょうね」


 モルテはうなずく。


「いえ、いいんです。事故のことがなくても、ひょっとしたら気持ちが変わるかもしれないとは思っていましたし。はい……大丈夫です。無理にとはいいませんから」


 そういいつつ、モルテの声はどんどん小さくなり、膝を見つめてうなだれてしまった。

 どうしよう。明らかに落胆している

 もっと頑強に食い下がられると思っていたので、この反応にはすこし罪悪感を覚えた。


「でっ、でも! きちんと防腐処理をすれば生身よりずっと長く生きられますし、いちばんきれいなときの姿を保てるわけですから、ゾンビになるメリットは大きいと思うんです!」

「力説されてもなあ……」


 もしもモンスターに生まれ変われるならランキングがあったとして、ゾンビはかなり下位人気なのではあるまいか。

 モルテの挙げたメリットにしても、吸血鬼という上位互換が存在するし、それこそエルフやダークエルフでいい。


「それに、長生きできるっていうのも……正直、生きるのってめんどくさいし。ああ、そういう意味では死ぬこと自体への抵抗は少ないかな」

「すぐに決めて頂かなくても大丈夫です、猶予はまだ二年ありますから。当面の問題は、今回のようなことがまた起こることです。せっかくキリヤ君がその気になってくれても、肉体が損壊してしまっては元も子もありませんから」


 モルテは、ぐっ、っと胸の両側でこぶしを作った。


「なので、同棲しましょう!」

「なんでそうなるんですか!?」

「キリヤ君には、わたしの目の届くところにいてほしいんです」

「管理するってことですか?」

「見守るといってください」


 うう……この子、意外と押しが強い。


「わたし、幻界と人界の両方におうちがあるんですけど、こっちのおうちはずっと使ってなかったんですよね。でも、いい機会なので拠点を移そうかと……家の者を先にやって準備を進めていたので、すぐにでもお引越しできますよ。幻界あちらのお屋敷ほどではありませんが、広くてきれいなので、きっと気に入ると思います」

 満面の笑みで迫られれば無下に断れるはずもなく、


「と……とりあえず、見るだけなら」


 おれは煮えきらない返事をした。





 幻界との交流がもたらした成果のひとつに魔法がある。

 その神髄は‟飛躍”にあり、時間と空間の制限を超えてさまざまな現象を起こす。

 医療の現場にも魔法は取り入れられており、怪我や病気の治療に大きく貢献しているという。

 しかも、人界の医療技術との融合はまだはじまったばかりであり、今後さらなる発展が期待されている。

 いまだ解明されていない要素に魔法と使い手、あるいは対象との相性があり、おなじ魔法をかけても効果に差が出てくる。

 調べてもらったところ、おれと魔法の相性は良好で、ただちに回復魔法による治療がおこなわれた。

 脚の皮膚の下でみるみる骨が繋がっていく感覚は、かなり気持ち悪かった。

 こうしてわずか2日で、おれは退院の朝を迎える。

 病院の入口で待っていたのは笑顔のモルテだった。


「さあ、参りましょう。わたしたちの新しいおうちへ」


 花が咲くような、とでもいうのだろうか。

 ダークエルフであること。死霊術師ネクロマンサーであること。

 それらからくる仄暗く不吉なイメージを完全に払拭はできないまでも、彼女が顔をほころばせ、涼やかな声を鳴らせば、心が洗われるような気持ちになる。

 最近のおれは、人が楽しそうにしていても、どこか遠い世界での出来事を、ガラスごしに眺めているようにしか思えなかった。

 久しく忘れていた、まっすぐに好意を向けられる感覚。

 胸の奥が痺れるような。甘痒いような。

 これは本当に我が身に起きていることなのかと疑いつつも、しばし浸り、噛みしめてみる。


「どうかしましたか?」

「いえ。なんでもありません」


 リスレッティオーネ邸までの道を、おれたちは並んで歩いた。

 初めて見たときにはギョッとしたモルテの格好も、幻界の住人に慣れ親しんだ人たちからすると珍しいものではないらしく、驚いたり奇異の目で見られたりはしない。

 ただ、彼女は人目を惹く美貌であるため、そういう視線や囁き声は頻繁に飛び交っていた。


「見た見た? めっちゃ美人!」

「一緒にいた人、彼氏かなー?」

「はー。俺も幻界に生まれたかったわ」


 どんな顔をしているだろう、とモルテの方を見ると、向こうもこちらを見ていた。

 目が合って、はにかむように彼女はまた笑顔になる。


「どうかしましたか?」

「いや……いつもこんな感じなんですか?」

「ダークエルフが珍しいだけです。わたしにいわせれば、キリヤ君のほうが……」


 そういえば、20歳のおれに一目惚れしたんだっけ。

 あと2年。外見はかなり近づいているはずだ。


「そんなに、ですか? 自分ではそこまでイケてるつもりはないんですけど」

「ええ、とても素敵です。特に澱んだ目のあたりが」


 うん。彼女の趣味はかなり特殊。

 そういうことなのだろうと納得した。


「それよりも、その口調」

「口調がどうかしましたか?」

「どうして敬語のままなんですか?」


 モルテはぷくっと頬をふくらませた。


「そ、それは……モルテさんは年上だし、最初は知らない人だと思ってたわけですから」

「年齢はしかたないとして、知り合いだったのはわかったわけですから、もっとフランクに話して欲しいです」

「いやでも、モルテさんも敬語ですよね?」

「わたしは誰に対してもこうなので」

「そう……ですか」

「ほらまた!」

「はい。すいません」


 まずい。

 このまま力関係が確定してしまいそうな雰囲気だ。

 いや、敬語を使う側が上というのも奇妙な話ではあるのだけれど。

 結婚するしないは置くとして、もうすこし対等な関係を目指すべきではなかろうか。


「じゃ、じゃあいきますね……んんっ……これからは、こんな感じで……モ、モルテ……」


 心持ち声を低くしたうえ、思いきって呼び捨てにしてみる。

 いやこれ……思ったより恥ずかしいぞ。

 そんなおれのようすを、モルテはニヤニヤと眺め、


「うう~ん。まあ、いいでしょう」


 いかにも上からといった態度で合格を告げた。

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