第46話 月見酒

「のう、少し話をせんか?」


 風呂から上がって火照った体を冷まそうと玄関に。そして広い庭に行くことにした。

 するとそこには祖父がいた。

 酒瓶を片手に月見酒ということらしい。

 見れば、周囲には大量の酒瓶が転がっていた。


「ええ、構いませんよ」


 祖父のことは苦手だし、言葉を選ばずに言えば『嫌い』だ。

 だが、家族であることには間違いない。有象無象とは比べ物にならない程度には大切な存在であることは疑ってもいない。

 その身に纏うヤクザよりもずっと酷い威圧感を浴びつつ、話をすることにした。


「……ほれ。この酒でも飲むと良い」


 祖父は近くにあった酒瓶を取り出して、ノエルに渡した。


「ふふ、俺は一応中学生なんですけどね」


「とはいえ、実際のところは成人しているのだろう?」


「まあそうですが。ただ、肉体年齢のほうは15歳ですよ?」


「今のお前が酒程度でおかしくなるようなヤワな者ではないことは知っている」


「……実を言うと、酒というものがあまり好きではなくてですね。必要な場では飲みますが、そうでないときは……」


 ノエルは苦笑しながら釈明した。

 酒はあまり好きではないのだ。


「それに、無理すれば酔うこともできますが、普通にしていればアルコールなんて毒にも薬にもならないんですよ。とにかくあの独特の味というか風味が好きじゃなくて……」


「ならば無理して酔え。孫と飲むのも一つの夢だったのだ。老い先短い爺の願いは聞くものだぞ」


 ノエルはなんとか断ろうとしたが、仕方ないので飲むことにした。

 見られるかもしれないことについてはいくらでも手立てがあるので心配していない。


 貰い物であろう高級なワインの口の方を指刀で切って、お気に入りのグラスを虚空から取り出してそこに注ぐ。


 あまり飲みたくはなかったが、仕方なく口に含む。


「……ふむ、意外と悪くない?いえ、これは……美味しいですね」


「良い酒から慣れていけ。そのうちその風味も嫌いじゃなくなるはずだ。ワシもそうして慣れた。昔は嫌いだったが、今となっては酒好きよ」


 たしかに、宴席で出される酒は高級なものではなかった。

 魔族は大酒飲みが多いし、特に将軍クラスとなると強者揃いなのでアルコールへの耐性も凄まじい。無理やり酔おうとしてもそこらの細かい調整ができるほどの腕前がない場合もある。なので消費量がとんでもないのだ。

 金は潤沢にあるとはいえ、そういった場ではちょっとお高いという程度の酒を出すのが通例になっていた。

 それともう一つ考察があった。……料理の味では大した差がなくても酒の味では大きく差がつくのかもしれない。

 料理の方も味は大差なくても種類などに関してはかなりの差があったのだ。

 酒を作る技術に関しては現代と近世+α程度のあの世界では大きな差があってもおかしくはない。


 実際のところはわからないが、良い酒から慣らしていくというのはたしかにいい方法かもしれない。

 金に関しては向こうでは本当にどうとでもなるし、こっちでも金持ちの家に生まれている以上気にする必要はない。


「しかし、いい顔をするようになったではないか。昨日の夜まではワシを恐れておったというのに」


「お爺さまのような方を恐れないほど、『オレ』は肝が座っておりませんでしたので」


「それは済まなかったな。……昔から子どもとの接し方がわからんのだ。お前のような年代の子供と接した記憶がない。7歳頃だったかな。ワシもお前のように異世界に連れて行かれたからな」


「……それはそれは」


 なんとなく予想はしていたが、実際に聞かされるとびっくりだ。

 明らかにカタギじゃないこの雰囲気や、抜群の器用さ、この世界の人間の限界を超えた万力のような腕力はそこから来ていたのだろう。


「奴隷として戦い続けて、勝利して栄光を得て、奴隷の身でありながら自らの国を作った……。その国の版図を広げ、侵略し続けて大陸一つを支配する帝国を作り上げた。かつての主すらも喰らって、世界に覇を唱えていた……充実していたよ」


 その懐かしむような、泣きそうな顔で語る祖父にノエルは少しだけ感化されていた。

 本当に楽しかったのだろう。


「……だから、ああも満たされない目をしていたのですね」


「そうだな。この世界はワシにとって狭すぎる。何をしてもつまらんよ。ある日、神を自称する何者かに役目は果たしたから帰っていいなどと言われてな。思えばアレはポンコツの類だったのだろう。ワシの返事も聞かずにこの世界に送り返しおった」


 荒れ狂うような怒りを滲ませながら、祖父は吐き捨てるようにそう言った。

 その怒りと絶望の大きさには、チカラでは大きく上回っているはずのノエルも戦慄を覚えた。

 

「……抵抗はしなかったのですか?」


「ワシのほうが強かっただろうな。だが、お前の世界ほど飛び抜けた力を得られる世界ではなかったのだ。魔法のようなものもない。ただ腕力のみで山を崩せるだとかその程度だ。ワシはその中では飛び抜けていたがな、それでも特殊な力だのは持っていない。だから、『人間』と『神』という『相性』の差で押し切られた」


「……よほど辛かったのですね。俺も突然そんなことをされたら怒り狂うでしょう。その世界、探してみましょうか?もしかしたら戻れるかもしれませんよ?」


「かつてのワシにお前のそのチカラがあればな。神を殺して世界を征服してやったものを……」


 空を見上げてつぶやいたその呪言は、あまりにも強い質量を放っていた。

 


「今はもういらぬよ。孫の気遣いというものは嬉しいがな。もはやワシの帝国は臣下の誰かに乗っ取られ、あの世界での子らも殺されているのだろう。嫡男であるアレはかつてのお前のように真面目だったからな。しかし、少し前までのお前のような賢さは持ち合わせていない。ワシの力と抜群の将才のみを受け継いでいた。きっと騙されて殺されたのだろう。……だから、あんなところで倒れるわけにはいかなかったのだ」


 今の憂(ノエル)は特に異世界で作った息子と被って見えた。

 容姿は目がただれそうなほどに美しく輝いていて、馬鹿げた力を持っていて、しかし特別賢いわけではない。

 ノエルを見て、人格や存在を知れば知るほど懐かしさと後悔で頭が壊れそうになるのだ。


「そもそも、今更ワシがかつての皇帝だと言って戻っても相手はせぬ。……いや、この世界は時間の流れが一定でないのだったか。だが、もういいのだ」


「……本当に良いのですか?」


「ああ。未練はあるが、この世界を捨てられるほど割り切れないからな。お前のように自由に行き来できるのであれば、思考する暇もなく飛んだが……そのチカラはお前のものだ。ワシのものではない。そもそも、ワシはもうジジイだからな。加齢を抑える術を使っていたのならば今もまだ若かったのだろうが、絶望して以来、無理やり止めてしまった。もしかしたら若返らせる術すらも持っているのかもしれんが……それも要らぬよ。ワシはこの世界での己の人生にも十分満足しているし誇りも持っている。なにより、お前がいるからこの結論になったのだ」


「……俺が、ですか?」


「そうだ。たしかに詰まらぬ人生だとも思う。それでもワシの孫であるお前が神仏に至るという大輪を咲かせられたのだ。昔から確信していたよ。だが、これほどまでに到れるとは思わなかった。何十年ぶりだろうな、ここまでの歓喜は」

  

 祖父は夢見るような瞳でノエルを見つめていた。

 己が果たせなかったことを託すかのように、熱に浮かされていた。普段ならこんなことにはならないというのに。


「お前の魂の片割れ……ノエルとやらの素質も大きいのだろうがな。それでもお前が憂であることには変わりない。それならば、お前から直接聞かせられる英雄譚を肴に酒を楽しむほうがよっぽど面白いわ」


「……」


 しばらく沈黙が続いた後、祖父がいきなり切り出した。


「それよりなのだがな。……お前も色を知る年齢(トシ)か!隠さなくとも良い。雰囲気でわかるぞ。そういう経験をしたということはわかっておる。で、相手はどのような者なのだ?どれほどの美女なのだろうな。それとも今の体から考えて相手は男なのか?」


 急にフランクになった祖父に、ノエルはドン引きしていた。

 今までこんな祖父は見たことがない。

 祖父の魂はあまりにも巨大で、その上心が斑に錯綜していて擦り切れてもいる。己等の世界に転生していたら、凄まじいまでの強者になっていた可能性も高い。

 だから、正直この目を持ってしても読みきれない部分が多い。

 ノエルが知る限り最も『ヒト』と異なった心の形をしている魔王であっても、読むという点においてはもっと楽だ。

 だけど、これに関しては非常にわかりやすかった。


「(孫娘と仲良くなる手段が猥談って……。俺は確かに男でもありますけど、女としての感性もちゃんと持っているので流石に嫌ですよこれは。いや、『オレ』に対する対応から変えてないだけっていうのはわかるんですけどね?)」


 祖父のデリカシーのなさに、少しだけ頭痛を覚えていた。

 若い頃をずっと、自分たちの世界とも違う異世界で過ごしてきた以上仕方ないのだろうが、やはり常識が違いすぎると思ってしまう。


「(というか、どう答えましょうか。本当のことを伝えていいんですかね?ショック死しないかなぁ……。この人、やたらと厳しいだけでちゃんと孫に対する愛はありますからね。可愛い孫が女の子をたぶらかしまくっている鬼畜外道って知ったらどうなるか……。いえ、これは『アリ』ですね。意趣返しです。今まで散々心にトラウマを植え付けてきた罰ですよ)」


 ノエルはニヤリと笑って、祖父を見つめる。


「実は……現状三人の女の子を恋人にしていて、もう一人の女の子とも結婚が既定路線なんですよ。びっくりしましたか?」


 バアルは厳密には恋人ではないが、完全に両思いだし実質恋人みたいなこともしている。

 キスすらまだとはいえ、添い寝やイチャつきくらいなら普段からしていた。

 だから、三人といったのだ。

 

「……ハハハ!流石はワシの孫だな。倅とは違って気骨がある」


「あんまり驚いてませんね……。ショック受けさせてやろうと思ったんですけど」


「いやいや、驚いてはいるぞ。女の身になってもそれほどの人数の娘を落とすなど、ワシでも難しいだろうからな」


「その割には余裕そうと言いますか……」


「それはそうだ。かつてのワシにはまだ及ばんからな。この世界では疲れていたゆえ亡き妻一筋のように見えていたようだが……向こうの世界では皇后を含めた二人の正妻と、十七人の妻、そして168人の妾を囲っていたのだからな」


「ひゃ、168人……!?馬鹿なんじゃないですか!?」


 ハーレム王を目指しているあの馬鹿でさえ、王ではないとはいえ30人程度しか妾はいない。

 目眩の起きそうな数の前に、ノエルは思考を放棄しかけていた。

 実際のところ、大陸一つを征服した王としては別にふざけた数というわけではない。

 ノエルも知識としてはわかっている。だけど、厳格だと思っていた祖父がそんな歴史上の人物じみたとんでもない人間だとは思わなかったからショックを受けていた。


「やっと驚きを引き出せたな。今のお主は余裕ぶっているからアワアワさせるのが楽しいわ。まあ、その地点を目指せとは言わぬが、もっと欲を出してもよいのだぞ。例えば……なあ?」


 祖父が目線を向けた先を見る。

 そこには、玄関から二人の方へ向かって歩いてきている風花がいた。


「可愛い妹ではありますがね。実妹は流石に……」


「冗談だ。だが、なかなかに刺激的で良いかもしれんぞ?ワシの戦友の中には似たようなものもおってな……まあ、これは今度話そう。ああ、気分も良い頃だ。酒盛りは切り上げようか。流石に風花に飲ませるわけにはいかんしなぁ」


 ショッキングな会話もあったものの、祖父との距離感がグッと縮まったことはノエルも素直に嬉しく思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る