03. 反逆者達

 聖都サンデルカ北端――カンディナ王宮の一室で、一人の若者が呻いていた。

 端正な顔は青白く、玉のような汗が幾つも浮かび流れ落ちて消えていく。彼の肉体は至って健康であった。だが、心はそうではなかった。

 彼は何時も戦っていたのだ。彼と肉体を共有するもう一人の魂と。

(彼女が聖都に到着したようだよ)

 心の中で「もう一人」が語りかける。

「……」

 彼は無言で返す。

(同時に地神も動き出しそうだ。渾神の計らいだろうね)

「渾神……。『神』……」

 鸚鵡返しのように唱える。重要な言葉なのかもしれない。「もう一人」に打ち勝つために。

(そう、彼女もまた神族だ。祈願してみるかい? 君の自由を、私の破滅を)

「私は……神は信じない!」

 信じる訳がない。現に今こうして、神を名乗る「もう一人」に取り憑かれ苦しめられているのだから。

 若者の叫びが灯りの点っていない室内で残響となる。これだけ大声を出しても誰も様子を見に来ないのは、彼が周囲に精神を病んでいると思われているからだった。

 これも彼の中に居る「もう一人」の齎した災厄に他ならない。

(そうかい。でも、君は神の所有物だ。神である私の)

「もう一人」の含み笑いが聞こえたような気がした。

(さあ眠りなさい。次目覚めたときには、世界が変わっていると良いね)

 冷たい手で優しく目蓋を覆われた感触がした後、彼は泥に沈むようにどっぷりと意識を失った。

「私は、神を――」

 その言葉の続きは誰にも聞かれることなく闇に消えていった。



   ◇◇◇



 同じ頃、ある行商の一行が聖都を訪れる。否、正確には行商を装った一行だ。

「へえ、これが地上人最大の都市――聖都サンデルカか。こりゃあ、天界よりも栄えてんじゃないか?」

「栄え方が違うのよ。多くの人が集まり、欲望を剥き出しにし、その欲望に魅了されてまた人が集まる。大地は汚され本来の形を失い、人族の生み出した物だけが世界を覆いつくしている」

「『永獄』に似て、か?」

 瞬間、冷たい空気が流れる。「永獄」とは、冤罪を着せられた彼等が長年に渡り捕らえられていた監獄の名だ。脱獄して数年経ったが、彼らの心身を大きく変容させてしまったあの世界を忘れることなど出来ない。

 しかし、問題の言葉を発した御者の男が気を咎めた様子はない。一体どういう心境でいるのだろうか。

 少しばかりして、女の方が深い溜息を吐いた。

「そうね。それにしても、気になることが一つ」

「『神気』か」

「そうよ。神々から見捨てられた種族である筈の地上人の都にこの神気は不釣合いだわ。三柱、かしら? 一体誰が、この地に干渉しているのか。まあ、内二柱には覚えがあるけどね。……シャンセ」

 女――地上人に扮した光精キロネは、荷馬車の奥に座る行商の主人に扮した男へと顔を向けた。

「『彼女』もいるわね。だから、この地を訪れたの?」

 問い掛けられた男――シャンセは顔を伏せたまま鼻を鳴らした。

「まさか。たまたまだよ」

「この神気もか? ちょっと、集まってる面子がやば過ぎるだろう。渾侍の嬢ちゃんも含めて」

 今度は御者役の男が背後を見ずに問い質す。すると、シャンセは「ああ、それは」と呟いてから面を上げた。その表情は何故か明るい。

「それは想定の範囲内だよ、マティアヌス。……そうだな、例えば天帝に叛意を抱く者がいるとして、一番悪巧みの相談をしやすい場所はどこだと思う?」

「それは天帝の目が行き届いていない場所ということになるから、そうだな《闇》側世界か、魔界……ああ、地上界もそうか。他にも色々……。しかし、一番となるとなあ」

「最高位神である闇神と天帝との内通が暗黙の了解となっているから、《闇》側の《顕現》世界はまずありえない。唯一闇神の影響を受けていないのが永獄同様閉鎖空間である魔界だが、入国に彼の地の主神の承認が必須となり面倒だ。となれば残るは神族に見捨てられた――と言うか逃げ出されて興味も持たれない地、地上界に絞られる。実際ここサンデルカでは、私が永獄に収監される前から天帝に叛意を持つ地神オルデリヒドが天界にも内密で、ある大規模な仕掛けを仕込んでいるようだよ」

「え、『仕掛け』?」

「やだ、怖い。帰りたいんですけど」

「何処へだよ」

 キロネが強い拒否反応を示した。最近穏やかな時間が続いていたから、非常事態に対する耐性がなくなってきているようだ。完全な平和呆けである。

 そんな彼女に条件反射でマティアヌスが突っ込んだ。神族の王たる天帝ポルトリテシモに叛き、尚且つ捕らえられていた檻から脱走した彼等に、安息の地などないというのに。

「それなんだけどさ。何とかならないの? もう私、何年も色んな《顕現》世界を逃げ回ってきて疲れちゃったんですけど。侵入する度、そこの神様や眷族達と戦う羽目になるしさあ」

「『何とか』とは?」

 シャンセが問い返す。

「あんたの〈祭具〉でさあ、永獄みたいなのを『どばばばばーん』、『めきめきーん』と」

〈祭具〉とは特定の〈術〉が付加された道具のことである。術者の資質を持った者が〈祭具〉を使用すると、〈祭具〉に載せられた〈術〉を行使できるという代物であった。

 シャンセはその〈祭具〉の開発者であり、最高の使い手でもある。

「要するに永獄のような神族の干渉を受け難い閉鎖空間を〈祭具〉で作れないか、と言いたいんだな。……可能だよ」

「え! だったら――」

「ただしそれを全ての根幹たる《元素》と直接的に繋がっている《顕現》神ではない、唯の人族が行おうとした場合、気の遠くなるような時間と非現実的な量と質の資材が必要になる。つまり、天帝から逃げ回るので手一杯な今の状況下では、実質不可能なんだよ」

「えー……」

 キロネはがっくりと肩を落としたが、まだ納得し切れていない様子であった。

「永獄改装した時、ぱぱっとやったじゃん」

「ぱぱっとはやってないだろう。あれだって十年以上掛かった。それに世界を一から創造するのと、既にあるものの構造や配置を変えるのとでは全然難易度が違うから」

「既になかったじゃん」

「構成要素はあったんだよ。ただ見えなかっただけだ」

「えー……」

「『えー』、じゃない」

「えー……」

 往生際の悪い女である。ついでに頭も悪い。似たような気質を持ち天敵でもある白天人族の姿が脳裏に浮かび、シャンセは苛々と溜息を吐き捨てた。

 三人の中で最も年嵩の行った光精マティアヌスは、二人の間を取り持つように「まあまあ」と割って入った。

「まあ、あんたが『俺達の安全なお家作り』は諦めて、反体制の神族に降ることを考えているのは何となく分かったよ。それの検討材料となる情報を集める目的もあってここへ来たのもな。しかし、やっぱり面子が悪い」

「ほう?」

 興味深げにシャンセは声を漏らした。

「ここにいる三柱の内、一柱は地神様だが、正直あの方については勝ち目が薄いと言わざるを得ない。優秀なのは存じ上げている。一部の分野においては天帝を上回る実力をお持ちだが、世界を引っ張っていく器じゃない。いざ対決となった時に、人望とそれによる人海戦術の差で負けるのが目に見えている」

「同感だな。優秀な人間でも、指導者型と隠遁者型がいる。あの方は後者だ。私のようにな」

「言ってろよ。次に渾神。渾侍の嬢ちゃんがここにいるってことは、過保護な『お母さん』も当然付いてきてるだろう。神気は恐らく消されていて見えないが。まあ言わずともがな、頭も性格もおかしいので却下だ。関わりたくもない。そして、三柱目――」

「『三柱目』? 誰だか分かったの?」

 キロネはきょとんとして首を傾げた。地神と渾神は面識があるので彼女にも判別できたが、三柱目は全く分からない。少なくとも、キロネが投獄される以前に光界や天界を訪れたことのない神族だ。

「ああ。俺と王子様は面識があるからな、神戦の時に……」

「『神戦』……それは戦場で、ってこと?」

「そうだ。氷のような美貌に世界の仕組みの全てを知り尽くしたかのような智謀、民衆を牽引し熱狂させるその指導力、そして恐ろしく強かった」

「それって……」

 キロネは困惑の色を一層濃くした。説明したマティアヌスも同様だ。

 シャンセだけが、さして難しい問題でもないと言うような顔をしていた。

「これも想定の範囲内ではあったけれど、さて、どうしたものかな」

 独り言のようにそう言って、シャンセは再び俯く。

 それから暫く、彼が言葉を発することはなかった。

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