中等部一年の七月

 あれは中等部一年の七月、もうすぐ夏休み、一学期期末試験の結果が貼り出された頃だ。

 私は学年一位になった。前回の期末試験が二位だったから念願の学年首位だ。

 中等部は高等部の半分、百五十名しかいないから今とは価値が違うがそれでも私は素直に嬉しかった。

「うーん、いけたと思ったのだけれど…………」掲示の前に立つ私の後ろで和泉いずみの声が聞こえた。

 私が振り返ると、にっこり笑う高原和泉たかはらいずみがいた。

 その笑顔の裏に隠された悔しさがどれほどのものかよくわかる。忙しい学級委員のハンディがあるとはいえ和泉が見えないところで必死に勉強していることを私は知っていた。

「トップは渡さないよ」私は不敵な笑いを浮かべたつもりだ。

 あの頃から私と和泉は面と向かって火花を散らせるガチのライバルだった。

 今でも私は和泉を手なずけることができない。それは和泉も同じだろう。周囲はどう感じていたか知らないが。


 私たちは教室に戻った。

 一番右端の廊下側の列五人が私がいる一班だ。

 担任の水沢みずさわ先生の悪ふざけで入学時の席は入学試験の成績順になっていた。私たち一班の五人は入試成績上位五人だ。

 この席は定期試験ごとに配置換えされる。何位になっても班は変わらないが、班の中の席順は成績の順に前からならぶ。

 その時は中間試験の順位に基づいて座っていたから前から順に美鈴みすず、私、和泉いずみ雪舞ゆま元気げんきの並びだった。それが二学期開始と同時に私、和泉、美鈴、雪舞、元気の順になる。

 私が座ると前の席の美鈴みすずが溜め息をついた。

 壁を背にして横向きに座っているから美鈴の顔はよく見える。こんな綺麗な顔があるのかと思うほどの美貌だ。

 しかしその口から発せられた言葉は「憂鬱だわ」だった。

「一番前の席は落ち着かなかったから三番目くらいになるのは悪くないのだけれど……よく眠れそうだし」

居心地いごこち良くてずっと寝てるんじゃない」

 私は冷やかした。気分が良かったこともある。

 美鈴はキッと睨んだ。ほとんど表情をおもてに出さない美鈴が感情を出すのは珍しい。

「親になんて言われるか……」

 美鈴は有名な音楽家を両親に持っていた。三姉妹の末っ子で、姉二人はピアノとバイオリンで国内屈指の実力者だった。音楽に集中できるように別の学校に通っていた。

 美鈴もまた小学生の頃はピアノもバイオリンも国内コンクールで入賞できるくらいの実績を持っていたのだが、親に失格の烙印らくいんされたそうだ。そしてこの二流の進学校で勉学で身を立てることになったらしい。

 本当のことかどうかはわからない。クールビューティな顔から何だか可笑しな語り口で身の上話を語るものだから聞いている者は半信半疑になるというものだろう。

 最近よく寝ているし。

 寝るから成績も落ちるのではないかと私は思った。

「終わりだ……お菓子も食べられないかもしれない」美鈴は頭を抱えた。

「可哀相とは思うけれど私は手を抜かないよ」一応言っておく。

「――何だ、ダメかやっぱり」美鈴は舌を出した。

 それもまた嘘っぽいから本音はわからない。そういうヤツだった。

 私たちはお喋りをしていた。

 後ろの席の和泉は離れたところに移動していて大勢を相手に喋っている。

 しばらく二人きりだった私たちのところに隣の列の二人がやって来た。

 美鈴の隣が璃乃りの、私の隣が泉月いつきだった。二班の上位二人。

 しかし期末試験ではこの二人が四位、五位だった。中間試験でも四位、五位だったから安定して上位につけている。

 私たち一班と二班に差はなくなっていた。

 二班には他に秀一しゅういち純香すみか恭平きょうへいがいて、後に「S組十傑」と言われるようになる十人のうち五人がいたから私たち一班も安泰ではなかった。

「上三人の壁はなかなか厚いね」三つ編み眼鏡の璃乃が言った。

 この頃の璃乃はまだ小学校を終えたばかりの小さな体つきで、後に「隠された絶世の美女」と言われるようになるとはさすがの私も思わなかった。

 美鈴みすず泉月いつきが美少女過ぎて他の女子もみな霞んでいたのだ。

 ただ、美鈴と泉月はところが多かった。さらさらの黒髪ストレート。寡黙で神秘的。そして成績優秀。

 しかし運動神経は泉月いつきの方が圧倒的に良かったし、同じようにクールビューティーに見えて美鈴みすずは喋らせると愉快なヤツなのだ。

 その後高等部に上がった後は泉月の方が背が高く細身で、美鈴は小柄ながらも胸やお尻の隆起が目立つ体格になっていた。

 当時はそんなに違いが出るとは思いもしなかった。

「まだまだだね」私は璃乃を挑発した。私の闘争心がそうさせたのだ。

「くっ!」璃乃は悔しそうな顔を隠さなかった。

 その時、隣の席に腰かけたばかりの泉月が私に言った。「浅倉あさくらさん、数学を教えて欲しいのだけれど……」

 今の泉月なら絶対にあり得ない台詞だ。しかしその頃の泉月は無表情であっても自信の無さを何となく漏らしてしまう薄幸の少女だった。

「――良いよ」私は即答した。

「余計なことを……」という美鈴の声がしたが私は気にしなかった。

 班が違うことなどお構いなし。私の価値観に他人をおとしめて自分が上がるという戦略はない。

 班が違っても互いに高めあっていくのが私のやり方だった。それで自分たちの班が落ちぶれるとはこれっぽっちも思っていなかった。

 その日から私と泉月の放課後の勉強会が始まったのだ。

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