第2話 推しの声で目を覚ます

「♪~君と出会って、僕の毎日は輝き始めた」


 歌声が聞こえる。聞き馴染みのあるメロディーに包まれながら、ゆっくりと意識が覚醒していった。


「♪~闇の中から連れ出してくれたんだ」


(この曲知ってる。スター☆トレインのオープニング曲、『Shining Starシャイニングスター』だ)


 これまで何百回と聞いてきた大好きな曲だ。


 歌っているのはひとりの少年。伴奏はなく、口ずさむように歌詞を紡いでいた。


 男性にしては少し高い、少年らしさの残る声。この声もよく知っている。イヤホン越しに何度も聞いていたから。


(だけど、なんでだろう? 僕の知っている歌い方とは少し違う)


 高音は上がりきっておらず、正しい音にハマらない。降りて来てからも音程がブレて、頼りなくメロディーラインをなぞっていた。


 端的に言ってしまえば、ちょっと下手くそ。声が良いだけに勿体ない。


「♪~君は僕の一番星だから」


 違う。このメロディーはこうだ。


「♪~君は僕の一番星だから」


 瞳を閉じたままワンフレーズを歌うと、先ほどまで聞こえていた歌が止んだ。足音が近づいてくる気配を感じて、僕はようやく瞼を開けた。


 その瞬間、あまりの眩しさに目を細めた。太陽の眩しさにやられたわけではない。推しの眩しさに目がやられた。


「君、歌上手いんだね」


 目の前には夏輝なつきくんがいる。ここは天国か?


 ふわふわとしたミルクティー色の髪は、画面越しで見るよりもずっと艶があり、陽の光で毛先がキラキラと輝いている。やや癖のある髪は、触れたら柔らかそうだ。


 仔犬のような澄んだ瞳に見つめられる。目元はくっきり二重。女の子と見間違うような可愛らしさはないけど、まだ成長しきっていないあどけない少年らしさを感じた。


 まじまじと見つめていると、画面越しで見ていた時と寸分違わないキラッキラスマイルを向けられる。


「そんなに見つめられたら照れるよ」


 推しの笑顔を目の当たりにして、ばくんと心臓が跳ねる。


(やっぱり僕の推しは世界一尊い……)


 思わず頬が緩んでしまう。リアルで推しを拝めたのだから当然だ。


 ふと彼の背後に視線を向けると、澄んだ青空が広がっている。電線に邪魔されることなく、青一色に包まれていた。


 背中からは柔らかい芝生の感触が伝わる。草の匂いと土の匂いが混ざった感覚は、なんだか懐かしい。


 状況から察するに、どうやら僕は芝生の上で眠っていたらしい。肘をついて起き上がると、ハッと息を飲んだ。


 目に前には、見たこともない風景が広がっている。


 白を基調とした建物が三つ。中央には三階建ての横に長い建物がある。その右手には、マンションのように縦に長い建物が一つ。反対側には半球状の巨大な建物があった。


 こんなのは僕の住んでいた町には存在しない。まったく知らない場所だ。


 だけどなぜだろう。来たことがない場所のはずなのに、建物にはどうにも見覚えがある。


 状況が掴めずにいると、夏輝くんがその場にしゃがみ込んだ。


「どうしたの? まだ寝ぼけてる?」


 至近距離で顔を覗き込まれてドキッとする。あまりの美しさにまじまじと観察してしまった。


(うわぁ……。肌キレイ。睫毛長い。目が大きい。あ、よく見ると瞳の色はヘーゼルなんだ……)


 推しをこんな至近距離で拝めるなんて最高だ。もう死んでもいい。


(いや、待てよ。僕はもう死んでいるのか)


 ふと視線を落としてみる。身体は透けてない。恐る恐る腕や足に触れてみると、ちゃんと触れた感触があった。オバケになったわけではないらしい。


 身体チェックをしたところで、ある変化に気づく。


(あれ? うちの高校の制服じゃないや)


 僕が着用しているのは制服だけど、毎日袖を通しているものとは違う。ネイビーのブレザーに金色のボタン。ネクタイは赤色。ズボンはシンプルな黒色だ。


 この制服を僕は知っている。スター☆トレインの舞台、私立星架せいか学園がくえんの制服だ。


 夏輝くんも同じ制服を着ている。ブレザーの下にパーカーを着て、後ろ襟からフードを出していた。【涼風夏輝 制服Ver】だ。


 状況が掴めずにいると、不意に夏輝くんからフフっと笑われる。


「すごい寝癖だね。直さないと経堂きょうどう先生に怒られちゃうよ」

「寝癖?」

「うん、ほら」


 夏輝くんはポケットから手鏡を取り出して僕に見せる。そこには見知らぬ少年が映っていた。


(綺麗な顔……)


 まるでテレビの中から出てきたような美少年が鏡の中にいた。


 艶のある黒髪ショートに、肌荒れひとつない滑らかな肌。瞳の色は闇夜を思わせる深い黒色。あっさりとした薄い顔立ちで一見すると地味な印象だけど、中性的な美しさがある。儚げで繊細な美少年といったところか。


 同じ可愛い系でも夏輝くんとは雰囲気が違う。夏輝くんが燦々と輝く太陽なら、こっちは静かに浮かぶ月のようだ。


 しみじみ観察してしまったが、こんな美少年を僕は知らない。ぴょんと跳ねたアホ毛を正しながら尋ねる。


「誰、これ?」

「何言ってるの? 夢野ゆめのくん」

「夢野?」

「あれ? 夢野くんで合ってるよね? 夢野ゆめの詩音しおんくん」


 夢野詩音。それはスタトレプレイヤーに与えられる初期ネームだ。


 夢野詩音は公式では男とも女とも明言されていない。プレイヤーの自由な解釈で進められる。だから男でも女でも通用するような中性的な名前が付けられているのだ。


 僕としては、星架学園は全寮制の男子校だから、夢野詩音も男だと解釈していたけど。


 そんな夢野詩音が僕? あまりの出来事に理解が追いつかない。


 咄嗟に胸ポケットを漁ると、生徒手帳が見つかった。銀河鉄道をモチーフした校章が入った生徒手帳の表紙を開くと、学生情報が出てくる。


 そこには鏡に映っていた黒髪の少年の写真と、夢野詩音の名前が記されていた。

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