07

 それから暫く経ったある日の深夜、火神は再び医務室を訪れた。

「スティンリア、入るわね」

「火神様……」

 スティンリアはまだ起き上がれる状態ではないようだ。都合が良い。これから行うことに抵抗されても面倒だ。

「貴方を延命させる方法が見つかったわ」

「え……」

「でもそれは、貴方にとって新しい試練となるわ。辛い思いをすることになる」

 罪悪感があるのか、火神は一瞬俯いた。しかし、すぐに面を上げてスティンリアを見据える。

「それでも私は貴方を生かすわ。貴方の意思に関係なく。私が、貴方に生きていて欲しいから」

「火神様……?」

 スティンリアの顔に不安の色が過る。

 今ここで真実を告げるつもりは、火神には毛頭なかった。言えば、きっと彼は氷神に義理立てして必死に拒絶するだろう。既に自身が氷侍となる資格を失っているのだと分かっていても。

「貴方に新しい命を授けましょう。氷精ではない侍神の――『火侍』としての肉体を」

 火神はその唇をスティンリアのそれに重ね合わせた。そして口移しで彼の体内に、ある〈神術〉の種を植え付けた。



   ◇◇◇



 火神の行動の意味を語るには、彼女がスティンリアの許を訪れる前日まで遡らなければならない。

 彼女は先日の頼み事に関して、風神から報告を受けていた。

「スティンリアを侍神にする?」

「結論から言えばそういうことよ。まず彼の延命に向けて一番の障害となっているのが、あの脆弱な氷精の肉体なのね。それを現在よりも強靭な肉体に取り換えるの。その為に必要な〈神術〉の種は、命神から預かってきたわ。それから、理神の許可も貰ってきました」

「私から頼んだこととは言え……よく理神が許可を出してくれたわね」

 文字通り《命》の神である命神ネクティホルトと、《理》――節理や運命の神である理神タロスメノス。穏やかで寛容な命神とは違い、理神の方は規律に厳しいと有名だ。

「『全ては《理》なるが故』とか言っていたわね」

「……」

 ――全ては予め決まっていたこと。理神の決まり文句だ。

 火神は、世界の全てを知るという彼女の神力の強大さに、薄ら寒いものを感じた。

「問題はその後ね。人助けの為とは言え、高位神が一介の精霊に分不相応な力を与えれば、当然反発する者も出てくるでしょう。そうね、一番危険なのは天帝寄りの勢力。貴女が身辺の戦力を増強して謀反の準備をしていると疑いを抱くかもしれない」

 風神の指摘に火神は思わず息を呑んだ。

 気付かなかった。確かに彼女の言う通りだ。天帝の眷族達は尊大で疑り深い。天界は常に権力闘争に明け暮れていると悪評が立つ程に。

 その争いに、今度は自分やスティンリアが巻き込まれることになるかもしれないのだ。

「それだけじゃないわ。『外野の精霊でさえ火神の恩恵を頂けるなら、自分にも与えられるべき』なんて考える愚か者が出てくるかもしれない」

「私はスティンリアだから助けるのよ。他の者にはしないわ!」

「それを不自然で不平等だと考える者が殆どだってことよ。だからこそ、彼を貴女の侍神にして世間を納得させるの。火侍である彼だけが特別なんだってね。……それに火侍に就かせれば、侍神位のおまけで付いてくる貴女の神力も彼に与えてあげることが出来るわ。より肉体が強化される訳だし。良いこと尽くめでしょう?」

「でも、天帝は天人族の娘を火侍にすると――」

「兄さんには理神から説明しておいてくれるそうよ。それが変えてはならない運命だと知ったら、幾ら彼でも承諾せざるを得ないでしょう」

 だったら先に言っておけ、と吼える天帝が目に浮かぶようだ。火神はこめかみを押さえた。

「か、仮にスティンリアを火侍にできたとして、オイロセの二の舞は御免よ!」

 一番の問題はそれだった。運悪く彼は《火》と相性の悪い《氷》の種族だ。《木》の精霊であった嘗ての火侍――オイロセと同様に。

 当然、火神の眷族達はオイロセと同じ対応をスティンリアにも取るだろう。折角命を救っても、また死に追い込まれるのでは意味がない。

「それでは、私から彼等に警告しておきましょう」

 凛とした声が辺りに響き渡る。

 耳障りの良い靴音と共に現れたのは木神イスターシャであった。

「お久し振りですね、ペレナイカ。貴女からオイロセを保護した時以来かしら」

「イスターシャ……貴女今迄の話を?」

「御免なさい、ペレナイカ。私が彼女に事情を話して来てもらったの」

 険悪な空気を漂わす両者の間に割って入るように、風神が木神の前に立った。

 しかし、そんな風神の憂慮に気付いている筈の木神が、敢えて火神を刺激するようなことを言ってのける。

「幾つか貴女に確認しておかなければならないことがあります」

「何よ」

「ペレナイカ。貴女はよもやそのスティンリアという氷精に対して、欲心を抱いているのではないでしょうね。オイロセの時と同じように。凝りもせず」

「……違うとは言わないわ」

「……そうですか」

 深い溜息を吐き、木神は黙り込んだ。火神も何も喋らない。

 重苦しい空気に耐えかねた風神は「えーっと……」と呟いて視線を反らした。

 暫くして木神は口を開き、淡々と語り始めた。

「貴女に対して思う所は多々ありますが、何であれ優先されるべきは秩序と命です。私もこれ以上オイロセのような犠牲者を増やしたくはありませんから、協力は致しましょう。ただし、貴女も確約して下さい。決して彼と同じような結果にはしないと。貴女がスティンリアを守るのです」

 ――他者や状況の所為にせず、貴女自身が責任を自覚し覚悟を持って。今度こそ。

 普段は穏やかな木神が向ける厳しい眼差しに火神の思考は一瞬止まり、そしてその言葉の意味を頭の中で反芻した。

「そうね、そうするべきだった、わ」

 眷族達の行いに問題があったのは確かだが、彼等を止めることが出来たのは主神である自分だけだ。だから、オイロセを守れるのは自分だけだったのだ。でも、出来なかった。

(覚悟が足りなかったのは事実だ。私は選択を誤ったのだ)

 力なく俯いている火神を気遣いながら、風神は「そろそろ喋っても良いかしら?」と話を続けた。

「落ち込んでる所悪いんだけど、聞いてペレナイカ。最後の関門はスティンリア自身の意志よ。氷神を妄信する彼はきっと火侍になることを拒むでしょう。でも、彼を説得している時間的余裕はないと考えて。不意打ちでも何でも良いから彼にこの種を植え付けなさい」

「……」

 これで本当に良いのだろうか。明らかにスティンリアの望まぬ方向へと動き始めている。しかも彼の知らない所で、彼以外の意思に導かれて。

「何だか嫌だわ、私。ずっと彼と一緒に居たいと願ったことはあったけれど、こんな弱味に付け込むような形で……」

「その議論は一先ず彼が確実に命拾い出来てからになさいな。彼とよく話し合ってね」

 兎にも角にも、時間がないというのが決定打だった。彼の命は最早風前の灯なのだ。

「分かった」

 火神は風神から〈神術〉の種を受け取ると、施術の準備の為、一度火界の居城へ戻ることにした。

 そして、数日後天界へと戻ってきたのである。

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