抑止力のための循環犯罪

森本 晃次

第1話 通り魔事件

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。


 冬になってから、冬至が近づくと、日の入りが早くなり、あっという間に夜のとばりが下りてしまうのだった。

 街の明かりは、乾燥した空気の中で、瞬くかのような様相を呈している。

「冬のこの時期が、一番夜の街がきれいに見えるな」

 と思っているのが、会社からの帰宅の途中であった、

「渡会利夫」

 であった。

 渡会は、高校時代に家族でこの街に引っ越してきてから、そろそろ10年が経とうとしていた。

 普通だったら、

「学校の友達と離れるのが嫌だ」

 ということで、家族を困らせるものなのだろうが、

「今度お父さん、転勤になって、すまないが、ついてきてくれるか?」

 というのが、お父さんの考えだった。

 というのも、お父さんからすれば、

「単身赴任などすると、女房に不倫されたり、自分が寂しさから不倫に入ってしまって、もし抜けられなくなったら、どうしよう?」

 という考えがあったのだ。

 そんなことを女房子供に分かるはずもなかった。

 そもそも、父親は、慎重なタイプなくせに、自分に自信が持てないタイプだったので、

「少しでも不安なことがあれば、すぐに流されるタイプだ」

 と思っていた。

 事実、転勤を言われた時、少しだけ、

「単身赴任」

 というものが頭をもたげたが、すぐにその考えを打ち消して、

「いやいや、俺が単身赴任なんかすると、女房が不倫するかも知れない」

 と最初に、女房の不倫を考えた。

 しかし、単身赴任をした自分も、今度は、

「きっとひどい猜疑心に苛まれるかも知れない」

 と感じると、不倫の心配をしてしまった女房に、

「悪いことをしてしまった」

 と感じたのだ。

 確かに、悪いことをしたということになるのだろうが、今度は、自分がそんな猜疑心を持ったまま、一人でいると、どこかのタイミングで開き直るのか、キレてしまうのか、

「自分の方が不倫に走るのかも知れない」

 と感じたのだ。

 元々不倫を疑った自分が悪いのだろうが、離れていると、どうしても、猜疑心が強くなる。

 しかも、もしそんな時、赴任先で優しく声をかけてくれる女の子がいれば、不倫に走らないと言い切れない。

「いや、俺だったら、コロッと引っかかるかも知れない」

 と感じたのだ。

 つまり、

「猜疑心というのは、自分の弱い心に忍び寄ってくる」

 というもので、その思いは、孤独感を激情させるものではないだろうか?

 しかも、一人で悩んでいると、

「俺を悩ませたのは、女房なんだ」

 と、

「悪いのは、俺ではなく、女房の方だ」

 と思ってしまうと、どうしようもなくなるだろう。

 女房との関係は、女房と喧嘩をした時は、

「必ず渡会が謝ることで肩がつく」

 ということであった。

 だが、

「明らかに渡会は悪くない」

 ということになった時、自分からは決して謝らない。

 それをいいタイミングで女房が察してくれて、謝ってくるので、事なきを得るのだった。

 つまり、お互いに、気を遣っているというよりも、お互いを理解し合っていることが、「うまくいく秘訣だ」

 ということであった。

 そもそも気を遣う必要もなく、信頼関係は、何よりも強い絆を示しているのだ。

 それを思うと、

「相手が謝らない時というのは、自分が悪いんだ」

 ということを悟り、それを謝るまでもなく、態度に示せば、うまくいくといえるだろう。

 それを、渡会も女房も分かるということから、

「今まで大きな喧嘩もなく、うまくやってきた」

 ということであろう。

 ただ、渡会には一つ大きな懸念があった。

 それが、

「環境が変わったらどうなるというのだろう?」

 ということであった。

 それが、まさに今回のような転勤の問題であり、

「一緒にいないという決定的な距離の遠さを感じてしまうと、自分でもどうなるか分からない」

 と、渡会は思っていた。

「女房も、同じことを考えているに違いない」

 とさらに、感じるのだった。

 渡会が、このK市にやってきたのは、その時の父親の転勤がきっかけだった。一悶着あったようだが、結局、

「しょうがない。ついていきましょう」

 ということで落ち着いたのだ。

 ただ、なぜか、その後、父親の転勤はなかった。

「一度転勤してしまうと、数年に一度の割合で、転勤することになるから」

 と友達に言われたのだが、その友達も確かに転勤族だったようで、彼が言っていたように、3年も経たないうちに、その友達は別の土地に移っていた。

 ただ。この土地にやってきて初めて友達になった相手だったし、転校していったといっても、同一県内だったので、その後も友達関係は続いていた。

 中学に入ってから、友達のところに遊びに行ったり、彼がこちらに来てくれたりはしたが、それでも、県内を適度に転勤して回っていたので、近かったり遠かったりで、結局、中学卒業と同時くらいに、どちらからともなく連絡を取ることがなくなって、音信不通ということになってしまったのだった。

 K市というところは、日本でも有数の貿易港を有していて、街には外人も多く、いわゆる、

「国際都市」

 という様相を呈していた。

 街では、洋菓子の店やコーヒーなどの輸入も豊富で、南米であったり、北欧あたりとも貿易が多いのか、外人というと、そのあたりの人が多かった。

 洒落た喫茶店が多いのもこの街の特徴で、特に、大学が密集しているところでは、ずっと喫茶店が軒を連ねているといってもいいだろう。

 クラシック喫茶のようなレトロなお店もある。

 今の時代に、レコードを使っての演奏。しかも、蓄音機の形をしたプレイヤーなど、実に凝った雰囲気を醸し出している店は、いつも客でいっぱいだった。

 ソファーも楽に作ってあることもあって、

「コーヒーを飲みながら、そのまま寝てしまう」

 というのも、ざらであったのだ。

 特にこのあたりは、レトロでモダンな喫茶店が、大正ロマンを感じさせ、前述のレコードというのが、昭和の高度成長時代を感じさせる。

 さらに、その奥には、平成の喫茶などと、駅から大学に近づいていく横丁あたりは、その変の、

「まるでタイムトンネル」

 を思わせるような佇まいが、本当にお洒落であった。

 そんな街並みの中でも、昭和から平成に入るあたりには、

「高級なお菓子のお店」

 が軒を連ねていた。

 クリスマスやバレンタインなどになれば、予約だけで大変なことになるような洋菓子の店で、

「この街にいると、当たり前の味なのに、全国から注文が殺到する」

 というのは、地元の人間にがビックリであった。

 それは、

「コーヒー横丁」

 と呼ばれるあたりも同じことで、

「ずっと馴染んでいる俺たちは、これが当たり前だと思っているけど、知らない人は、絶対にビックリする」

 と言われているところであった。

「喫茶店が、こんなに乱立しているだけでも、他の街ではありえない」

 というのだ。

「だって似たような店があれば、ライバルが増えるわけなので、普通は反対するか、バチバチの関係になるかということだろうね」

 と教えてくれたが、まさにその通りであろう。

 ただ、

「こういう他ではない、この街だけの特徴」

 などというところは、どこの街にでもあるだろう。

 逆にそんなところがなければ、街全体が活性化せず、

「誰も寄ってくるような、馴染みのある街」

 ということになるはずがないだろう。

 それを認識しているからこそ、

「我が街の自慢」

 となるのだろう。

 この街の特徴としては、海外ブランドが多いというものと、逆に、まったく別の、昔ながらの城下町が栄えた場所というものがあったりする。そういう意味では、

「ハイカラで華やかな外国文化」

 の街並みと、

「昔ながらの、証人や武家屋敷で賑わった城下町」

 という二つの側面があった。

 それも、市の中心部を流れる大きな川が、その二つを隔てていたのだ。

 その大きな川は、昔の時代には、お城の、

「外濠」

 を形成していて、この街のお城を、

「天然の要害」

 と化していたのだった。

 戦国時代などの城と違って、時代的には、織豊時代だったということなので、ちょうど流行り始めた、

「平城」

 の様相を呈していたのだ。

 戦国時代あたりでは、城というと、

「山城」

 が主流だったという。

 とにかく、

「短期間に築くことができて、たくさんの城をまるで、群のようにして、守りを固める。そのためには、できるだけ自然のものを使えるだけ使う」

 ということになると、山間の険しさが、

「天然の濠」

「天然の塁」

 というような形になるのであった。

 しかも、冬至の城というのは、相当な数があったという。

 今のコンビニの数よりもはるかに多かったというから、それこそ、一つの村に、数個の城があったといっても過言ではないだろう。

 もちろん。本城というものがあって、それを支える支城がある。

 つまりは、本城が攻めこまれていて耐えている間に、後ろに支城からの救援が駆け込めば、攻城軍を挟み撃ちにできる。

 それも城を使った作戦である。

 当時の山城はそのまま放置されたものが多いというので、調べれば、遺構がたくさん出てくるのかも知れないという意味でも、ロマンがあるだろう。

 K市にあった城は、平城で、しかも、その特徴としては、

「海城」

 としての、様相を呈しているというところである。

 海上貿易にも長けているし、後ろは海なので、後ろからだと、船での攻撃しかなく、圧倒的に海の戦いに長けている方が有利だと言えるだろう。

 しかも、もし、兵糧攻めにされているとすれば、後ろから、海路での補給を待てばいい。補給船を守るために、海の戦いになるのであれば、

「こちらの得意な方に相手を誘い込む」

 という意味で、

「作戦的には、成功した」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「海城というものが、戦時には、補給であったり、要害としての機能として、十分に役立っているわけで、さらに、平時では、海上貿易を栄えさせるおいう意味で、これ以上の有利なことはない」

 というものであった。

 そもそも、この街が海外貿易で栄える港になったのかと言えば、その時代は、この戦国時代にさかのぼることになる。

 元々このあたりは、農地としては、あまり適していないということで、過疎化した村だったのだ。

 そこに。国衆である武将がここに目を付け、

「下克上」

 でのし上がってきたことが、この街の発展を誘ったのだった。

「彼らでなければ、ここまで発展していなかっただろう」

 というほど、かなりの力を持つようになったのだった。

 海城を中心とした地域が、川を挟んだ、右半分で、新しい街中に、レトロな雰囲気を醸し出す街が左半分という、まるで、

「二つのまったく違った街が合併したかのようだ」

 と言われてみたが、それにウソはなかった。

 そもそも、K市というのは、三つの市が合併してできた市だった。

 元々は、今言った二つの街に、実は、さらに山沿いに向かったあたりの地域も、平成の大合併で、含まれることになったのだ。

 山沿いに向かった街というのは、

「街というには、おこがましい」

 と言われるようなところであり、農家のようなところがあり、昔は、城下町直轄の荘園が営まれていた。

 だから、逆にこのあたりには、昔の旧家が多い。地主と呼ばれる人が、山近くの土地を抑えていて、農地として貸し出していたのだ。

 だが、それも、秀吉の時代になり、検地が行われ、石高がしっかりと示されるようになると、このあたりのっ庄屋というの、

「石高の力がそのままの権力となるので、いかに土地を抑え、いかに、農民を働かせるかということが、領主、そして地主、さらには庄屋の力であった」

 と言えるだろう。

 今の新しい文化をはぐくんでいる地域は、商業の街として発展していた地域であり、昔の商家として、文化財として残しておけるような場所は、キチンと保存し、それ以外は街の経済の活性化のため、整備され、時として、海外の人たちの助力もあって、今のような街並みに変わっていったのだ。

 だから、大正時代からこっちを、時代に分けて管理するというのが、今の市のやり方だった。

 ただ、この考え方は江戸時代からあったようだ。

 今の時代にそぐわない考えだからといって、すべてを排除しようと考えるのは、難しいところがある。

 それでも、何とか、3つの市を一緒にするまでには、かなりの問題もあった。

 というのも、

「平成の時代で、3つの市を一つにするということで一番のネックだったのは、山間の街だ」

 ということであった。

 今のままであれば、そもそも市民税は安かったのだが、市が一緒になることで、

「税が上がる」

 という問題があったのだ。

 ただ、市県民税くらいは、雀の涙のようだったが、

「このままでいけば、山間の街の意見が通らないのではないか?」

 という考えがあったのだ。

 昔のように、農地改革になる前は、地主とかが明らかに強かったのだが、民主主義の時代になってからというもの、いくらでも発言力があり、逆のまわりの街から、

「地主さんのご意見は?」

 ということで、

「とにかく意見を伺う」

 ということが決定事項になっていて、

「この街の代表でいる以上、中途半端では務まらない」

 と言われているのだった。

 そのため、

「農地だったあたりが、一番発言力を持って、政府と折衝する」

 という珍しいところであった。

 それだけバックにいる庄屋であったり、地主の力が強いということなのであろう。

 城の殿様でも、ここの庄屋あたりには、力が通用しなかったりするようで、

「とにかく、地主にお伺いをしないと、武器を手に入れることができない」

 ということだ。

 彼らはいくら、人民を抑える力を持っていても、その土地を抑えることはできない、だから、庄屋がこのあたりでは一番偉いということになる。

「戦国から江戸時代にかけての、いわゆる中世の後半、つまりは、封建制度の後半というのは、

「力の強いものが勝つ」

 というには、複雑な時代だった。

 でもあければ、

「群雄割拠の戦国時代」

 なるものができようはずがなかったからだ。

 そんなK市だったが、実際には、

「面積は広いが、人口はそこまではない」

 と言われていた。

 やはり最後に加盟したところが面積のわりに、人口が少ないからだった。

 しかし、それでも入れるということは、そのあたりは、実は、単独の市として経営するには、

「黒字」

 だったのだ。

 だから、赤字だけの市を合併しても、赤が膨らむだけだったので、

「少しでも、黒字のところがあった方がいい」

 という考えからだった。

 そういう意味では、最後まで加盟に反対していたのは分かるというもので、いまさら赤字を背負い込むことはできないと思ったのだろう。

 しかし、

「合併するなら今で、今合併しておけば、市議会などで、発言力が大きくなる」

 という話になったことで、市長も納得したということであろう。

 つまり、どちらにとっても、都合のいい合併だったはずだが、そうは都合よくいかないようで、最初に算出した赤字よりも、想定外の数字だったようだ。

 単純に、

「足し算引き算をして求めた答えが、いかにいい加減か?」

 ということであり、

「状況が変われば事情も変わるのだ」

 ということで、それを思えば、実に簡単な資産であった。

 しかし、逆に言えば、赤字の二つの市だけであれば、もっとひどかったということであろう。

 そういう意味でいけば、元々黒字の市だったところが、

「貧乏くじを引いてしまった」

 ということになるであろう。

 さて、K市が合併してから、赤を少しでも減らそうとして、

「郊外型のショッピングセンターに誘致したり」

「学校の統廃合」

「さらに、ムダと思えるような資産になるべく投資をしない」

 などと、いろいろな対策が取られたおかげで、何とか、赤字の累積を止めることができた。

 しかし、赤字であることは間違いないので、これからも気を付ける必要は十分にあるのだが、当然のことながら、そのために、市民も、

「血を流している」

 というのは当たり前のことで、

「今後は、これ以上、市民の血を流させないようにしないといけない」

 という話であった。

 というのも、さすがに合併してから、市民生活は少し厳しくなっていた。

 それでも、とてもじゃないが、賄えるわけもなく、そのしわ寄せは、

「市内に事業所や、拠点を持っている企業にいく」

 というのは当たり前のことであった。

 市長の考え方を、企業で作っている組合が聴いて、それを、各企業に説明してまわる。

 ということをしていたのだが、どこまで話が伝わっているのか、いろいろな問題が起こっているのだった。

 それでも、何かと20年くらいでここまで来たのだから、まあ、よかったというべきであろうか、

 何しろ、市町村合併が行われた時期は、バブルが弾けた時期、

「大手金融機関が、潰れないと言われた銀行までもが、どんどん破綻してしまう時代であった」

 といわれた頃である。

 市町村合併も、無理もないことで、相当なところが、大規模な、

「市町村合併」

 を行ったのだ。

 時代は流れて、平成から、例話に変わっていったのである。

 そんなK市の中で、ある個所が、警察でも意識しておかなければいけないと言われる場所になったのは、平成の市町村合併が行われて、5年後くらいのことからであっただろうか。

 田舎町が開拓されて、住宅街として整備され始めた頃であった。

 K市というところは、県庁所在地の隣に位置しているということもあって、ベッドタウンとして注目されていたのだが、住宅を建てるには、土地の問題でなかなか、難しかった。

 何と言っても、昔からの城下町であったり、空いている土地でも、遺跡発掘計画があったりということで、なかなか、住宅地としての開発は難しかったのだ。

 だから、半分、人口増加は諦めていたが、山間の地区が合併によって使えるようになったので、昔の単独の市では誘致も難しかったが、市の規模が大きくなったことで、駅までの交通も整備され、誘致が積極的に行われるようになったのだ。

 だから、マンションや、分譲住宅の計画が表に出てくると、今度は、大型商業施設などの会社が、進出してきて、大規模な、住宅地開発計画が具体化していったのだ。

 それによって、街も活性化していき、学校、郵便局、警察などもできてくる。完全に、

「新しい街が誕生する」

 という予感があったのだった。

 ただ、整備するといっても、一筋縄ではいかなかった。

 何と言っても山間の木が生えそろった場所をまず整備する必要がある。そこから、いよいよ区画整理が行われ、建物を建てられる状態にするということで、そこまでに数年を要すのだ。

 それでも、K市の中心駅から、バス路線なども充実させる計画もあり、学校などの進出も具体性を帯びてきた。

 それを思うと、

「県庁所在地も、相当な飽和状態になってきたということか?」

 と考えられた。

 実は、すでに、都心部から、企業は撤退し始めているところが多かった。

「郊外に、物流センターを造り、そこに拠点機能を移す」

 というところが多いのだという。

 要するに、都心部の家賃が高すぎるということなのだ。

「社員が、30人いる事務所でも、昼間に営業が出払ってしまうと、事務所は数人しかいなくなる」

 という状態である。

「そんなところに、何も高い家賃を払って、雑居ビルの一つを事務所として借りなければいけないのか?」

 ということになるわけで、

「それだったら、物流機能の最新化を目指して、郊外に物流起点を造り、そこから、インフラが整備されたことでの利点を生かし、いち早く配達できるということ。

 あるいは、県内の自社各店舗に納入業者が納入するよりも、物流センターに一括納入をすることで、

「問屋機能も自社で担うことができる」

 というやり方をするところもあった。

 そこに管理部も移転させれば、都心部の家賃が浮くというものであった。

「通勤が不便になるのでは?」

 という懸念があったが、却って、ベッドタウンに作るのだから、却って自宅から近くなる人が増えるといえるだろう。

 駅からバス路線も充実してくれば、バスでも通えるし、今まで車で通勤しようにも、都心部では、駐車場を確保するのも大変で、確保できても、駐車場代もバカにならない。

 しかも都心部は車が混むということもあり、通勤に車を使うのも大変だったことだろう。

 しかし、郊外の物流センターであれば別だ。通勤ラッシュもかなり緩和できるし、駐車場も充実している。却って便利でありがたいというものだ。

 だから、物流センターに管理部を移しても、社員が通勤に困ることもなく、ほとんど、入れ替わることなく、今まで通りに仕事が続けられたのだった。

 そういう意味で、山間の地区には、物流センターなどの流通団地、さらに、住宅地、そして、大型商業施設であったり、学校などの公共施設が乱立しているところと、それぞれの区画がハッキリしてきて、かなり充実してきたのだ。

 そんな中で、住宅地に住んでいる人は、このあたりの物流センターの人も増えてはきたが、まだまだ基本的には、都心部へ通う人の、

「ベッドタウン」

 という様相は変わらないだろう。

 通勤には、駅までバスを使い、そして、駅から数駅電車に乗って、都心部の会社に通うのだ。

 通勤には平均すると1時間くらいだろうか?

 バスで駅まで行ってから、電車に乗り換えるということを考えれば、普通くらいであろう。

 それでも、一軒家が的確な値段で買えるということは魅力で、実にありがたいことであったのだ。

 そんな街ができてくる過程で、昼間は、ショッピングセンターや、学校などがあり、人通りもあることで、賑やかであったが、午後八時を過ぎると、とたんに寂しさをよぎなくされるのだった。ショッピングセンター自体は、午後10時くらいまでやってはいるが、だからといって、そんな時間まで、客がひっきりなしにいるわけではない。店の半分以上は閉まっていて、レストラン街や、映画館などの一部の店が営業しているくらいだった。

 だから、大きなショッピングセンターの端の方だけが明かりがついているだけで、片方は、電気も消えているし、駐車場も制限されて、入り口も閉まっているという状態だった。

 そちら側が、住宅街に近い方であり、そのため、

「午後八時を過ぎたあたりから、とたんに寂しさが増してくる」

 ということであったのだ。

 しかも、電車も、午後九時以降になると、本数が極端に減ってくるので、同じくらいの時間から以降は、人の数もまばらになってくる。

 そのため、そのあたりは、インフラ整備の際に、道は広くしたのだが、夜は人通りも少なくなるということで、真っ暗な状態のところもできてきて、普通に歩いていても、

「つまずいたりしないだろうか?」

 と危惧するほどのところになってしまうのだった。

 そういう意味では、相当危険な場所だといってもいいだろう。

 そんな状態において、暴漢や、痴漢などが、出没するようになった。

 ひったくりや、痴漢が増えてきたのは、ここ5年くらいのことで、しかも、途中から、

「世界的なパンデミック」

 による影響で、さらに、人通りがまばらになってきた。

 それでも、通勤しないといけない人はいるというもので、それは、女性でも変わらないことであった。

 それだけに、余計に犯罪が増えてきた。

 パンデミックによる生活の変化により、精神的に病んでしまう人が増えてきたようで、そのために、治安も悪くなり、余計に社会不安からか、犯罪者が増えることになったのかも知れない。

 実際に夜になると、ショッピングセンター近くでは、ホームレスが増えているようで、企業の倒産なども結構あるということだ。

「人流を抑える政策のために、経済が停滞してしまった」

 ということであるが、

「何しろ、正体の分からないウイルス相手なので、それもしょうがないことだ」

 ということなのだろう。

「人命第一」

 というのは当たり前のことであり、もし、

「経済を優先させるため」

 ということで、ウイルスが蔓延して、

「人がバタバタと死んでいく」

 ということになれば、まさに、

「国破れて山河在り」

 ということになってしまうのだろう。

 何しろ政府が、

「何もできない」

 という状態なのだから、マニュアル的な対策しかないわけで、

「ウイルスや特効薬がない」

 しかも、

「正体すら分からない」

 という状態なので、

「収まってくれるまで、何とか耐えしのぐしかない」

 ということであろう。

 実際に今はというと、

「ワクチンや特効薬もできたので、経済を回してもいいだろう」

 などという、バカな政府のせいで、市中に、感染患者が溢れているが、政府は見て見ぬふりなのか、何も対策を取ろうとしない。

 それどころか、

「指定伝声病扱いをやめる」

 などという気が狂ったかのような政策を打とうとしている。

「さすが、もう金を出したくないんだな」

 と思わせる政策に、国民の一定数の人は呆れかえっていることだろう。

 つまり、

「政府は何もしないから、自分の命は自分で守れ」

 と言っているのだ。

 そういえば、伝染病で人がどんどん死んでいる時、自然災害を引き合いに出して、

「洪水や台風などの自然災害では、最終的に、自分の命は自分で守るのと同じで、結局は、伝染病も自分の命は自分で守るしかない」

 という、バカげたことをいう政治家がいた。

 確かに、その通りなのかも知れないが、果たしてそれでいいのだろうか?

 政治家たるもの、国民の代表として選ばれ、血税によって生活をしているのだから、

「国民の生命や人権、自由な生活」

 に対して、責任があるはずである。

 それなのに、

「自分の命は自分で守るしかない」

 とはどういうことだ?

 確かにそうなのかも知れないが、その大前提として、

「政府はここまではできるが、それも限界があるので、ここから先は、国民一人一人の協力が必要だ」

 といって、ハッキリとしたモラルが示されれば、いいのだった。

 しかし、それがないのであれば、国民はどうすることもできない。政府や政治家が、

「無能だ」

 と言われるのも、無理もないことだろう。

 そんな中、この街で、暴漢、痴漢などの事件が頻繁に起こるようになり、

「治安を何とかしないといけない」

 と言われるようになった頃、今度は、それだけでは済まされない事態に陥っていたのだった。

 というのも、

「通り魔による、殺人事件」

 というのが、とうとう起こったのだ。

「いずれ、誰かが殺されるというような、事件が起こるかも知れない」

 ということを言われるようになっていた。

 今まで、ひったくり、痴漢のようなものがあり、まだ、殺人や、強姦のような凶悪な事件が起こっていなかったので、

「危険な地域だ」

 と言われなからも、そこか、甘く見ていたところもあっただろう。

 特に警察は、かなり甘く見ていたようで、

「警備を厳重にする」

 という言葉だけは恰好いいことを言っているが、その実、具体的には何も決まっていないという、まるで空洞な対策だったのだ。

「警備を厳重にという漠然としたものでは、どこを重点的に見ればいいのか分からずに、現場も混乱するだけだった」

 と言えるだろう。

 それは当然のことで、やはり警察というところは、

「何かが起きないと動かない」

 と言われるゆえんだったのだ。

 そんなことを言っているうちに、実際に傷害事件が起こったのは、

「世界的なパンデミック」

 というものが、3年前に発生し、紆余曲折を繰り返してきた中で、

「いよいよ、政府が見放そうとする」

 というようなタイミングだった。

 政府としては、どうせ、目の前の数字しか見ていないので、感染者の数やそれらの動向しか見ていなかったことから、裏に潜む、

「危険な数字」

 を見逃していたので、警察もそれにつられてか、犯罪に対して甘く見ていたのかも知れない。

 ただ、実際のところは分かるものではなく、これから増えるであろう犯罪を予見できなかったのは、不可抗力と言えるかどうか、判断の別れるところであろう。

 前述のように、この街では、人通りが極端に少なくなってくる時間に、痴漢やひったくりなどは、相変わらずに起こっていた。

 警察も、検挙を何件かしていたのだが、それがすべてというわけではないだろう。

 もちろん、同じ人間の常習的な犯罪なのかも知れないが、それにしても、検挙にはまだまだ程遠いといってもいいだろう。

 そんな状態において、起こったのが、暴漢による、

「通り魔殺人未遂事件」

 だったのだ。

 発生した時間は、

「一番危ない時間」

 と言われる、午後9時以降のことだった。

 正確には、

「午後10時を回った頃」

 であり、バスも最終に近いくらいの時間だった」

 というのも、このあたりはショッピングセンター中心ということもあり、昼間は結構バスの本数があるが、夜も9時以降というと、1時間に1、2本と、一気に数が減ってくる。

 しかも、電車のように人が最終に近づくにつれて増えてくるということもなく、どんどん減ってくるのだ。

 家族に迎えに来てもらったり、タクシーを使う人が多いのかも知れないが、バスになると、極端に人が減るのだった。

 最近では、鉄道会社も、

「まるで嫌がらせではないか?」

 と思うような露骨な対応が目立つ。

 そのすべての理由が、

「パンデミックの影響で」

 ということなのだが、

「電車の席を取り外したり」

 あるいは、

「終電の時間を、一時間以上も前倒しにする」

 という政策である。

 明らかに、

「会社の赤字を少しでも減らす」

 ということのためだということは分かり切っている。

 そもそも、終電を早めるというのはどういうことだ。そんなことをすれば、却って電車内は密になり、伝染病が蔓延する原因を作るようなものだ。対策としては、まったくもって、おそまつであろう。

 だから、自分たちのために、客を犠牲にしているということをごまかすために、

「パンデミックのため」

 というあざとい言い訳をすることで、自分たちの正当性を示そうとしているところが、わざとらしくて腹が立つのだ。

 要するに、政府や会社というものは、血も涙もない。

「会社が助かれば、国民や社員がどうなろうと、知ったことか」

 ということであろう。

 しかし、

「中の人」

 は、生身の人間なのだ。

 そんな人がいなくなって、誰が動かすというのか、だからこそ、

「国破れて山河あり」

 というのは、まさしくその通りだといえるだろう。

 そんな状態で、警察も、

「誰も被害に遭っていないので、今のままの警備でいいだろう」

 ということであった。

 ひょっとすると、警察というのは、

「ひったくりや痴漢くらいでは、自分たちが積極的に動く犯罪のレベルではない」

 とでも思っているというのだろうか。

 それを思うと、犯罪が起こるのは無理のないことで、

「元々犯罪をこの世から消し去るというのは無理なことだとは思うが、少しでも減らそうという気持ちはあっても、努力をしないのだから、結果は同じことではないのだろうか?」

 ということになるのであろう。

 今回の被害者は、都心部の事務所に仕事場があって、いつもはもっと早く帰宅をするのだが、この日は、飲み会があったため、遅くなったという。

 この事件が発生した時、ちょうどバスから降りたのは、被害者ともう一人の二人だけだったという。

 この事件が起こった時、もう一人の人物がいたことで、すぐに警察と救急に通報が入ったことで、被害者が重傷を負ってはいたが、命に別条がなかったというのは、

「不幸中の幸いだった」

 といってもいいだろう。

 被害者の男性は、バスから降りると、足早に帰宅を急いでいるようだった。

 そもそも、その日は結構気温が下がっていて、早歩きになるのは、

「本能の赴くまま」

 といってもいいかも知れない。

 急いでいるのだが、いかんせん、前から吹いてくる強風は結構なもので、思ったよりも進んでいないのか、普通に歩いている、もう一人の人物を距離が離れていかないというのも、分かっていたことなのかも知れない。

 それでも、何とか急いでいるのだが、空回りというのが、想像以上に体力を消耗するのか、かなり疲れているように見えた。

「完全に肩で息をしているな」

 と思いながら、

「そんなに無駄に体力を消耗しなくても」

 と、思わず笑いが出るのを堪えたのだった。

 相手は一生懸命なのだと思うと、笑うのは失礼だと思うのだろう。

 それでも、風の影響を少しでも避けようと、前傾姿勢で何とか前に進もうとしているところで、ふいに、影から何かが飛び出してきたのを感じた。

「あっ」

 と、声にならない声が出たのに気づいた。

「今の俺は声が出ていなかった」

 と分かった時、すでに、前を歩く男は、飛び出してきた真っ黒い物体と接触した瞬間、胸を抑えて倒れこんだ。

 黒い物体は、そのままどこかに立ち去ったが、倒れこんだ男が、ナイフで刺されたのだということは、ほぼ間違いないと思った。

 急いで駆け寄ると、果たして胸を抉られて、倒れこんでいる。

 苦しそうにしているが、死んではいないようだった。

 急いで救急車を手配し、警察にも連絡し、待っていることにした。

 救急車と警察がほぼ同時に到着し、まだ生きている被害者を応急手当して、救急車に運び込んだ救命士たちは、急いで病院に向かって走っていった。

 とりあえず、警察の一人が救急車を追いかけるようにして、病院に赴き、残った刑事から、目撃者が、尋問されることになったのだ。

 刑事が、目撃者の名前を聞くと、

「渡会利夫」

 というではないか。

 彼は、警察に、

「自分は、いつもは早く帰るが、今日は飲み会があって遅くなったんですよ」

 というと、納得したかのように、事件のあらましを聴いてきた。

「バスを降りると自分と同じ方向だったので、その人の後ろから歩いていく感じですね」

 というと、

「このバス停で降りた乗客はあなたたちだけでしたか?」

 と聞かれると、

「ええ、そうだと思います。自分が下りる前は、被害者だけであって、私がバスを降りるとすぐに、扉が閉まる時のブザーのような音が聞こえてきたので、間違いないと思います」

 と渡会は言った。

「なるほど、じゃあ、犯人は、どこかの影に隠れていたので、被害者に切りかかったということですね?」

 と言われ、

「はい、そうだと思います。でも、一歩間違えれば、僕が刺されていたのではないかと思うと、怖くなりますね」

「それはないかもですよ?」

「どうしてですか?」

「だって、被害者は何も取られていない。それを思うと、物取りの犯行ではなく、何か殺意のある動機だったのかも知れないですね」

 と刑事はいうのだった。

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