力と正しさ

「…………去ったか」


 誰もいなくなった室内で、ドラゴンは小さくそうこぼす。この場での人との邂逅は、青天の霹靂……どころか天地開闢レベルの驚愕であった。


 随分と幼く見えたが、ここに辿り着けたのだ。間違いなく計り知れぬ強者なのだろう。そんな気配は全くなかったが、そうに違いない。


 にも拘わらず、あの少年には邪気がなかった。星の数ほどの生と死を乗り越えてやってきたはずなのに、暗いところがまるでない。


 しかも欲もない。いや、人並み程度の欲望はあるようだが、その程度だ。人の力では為し得ない奇跡を求め、死に物狂いでやってきた……そういう感じがこれっぽっちもなく、何なら近所を散歩しているくらいの気安さだった。


「人の世も変わったということか? まあもはや我には関係のないことだ」


 奇跡とは、二度起こらないから奇跡なのだ。開いた扉から外に出ることもなく、ドラゴンはその場で丸くなって目を閉じる。そうしてあとは悠久の時を、朽ち果てるまで寝て過ごすだけのつもりだったのだが……





「……おい、人間。お主何をしておるのだ?」


「何って、飯を食ってるんだけど?」


 小さなものが動く気配に、てっきり扉の外の魔物が入ってきたのだと思った。だがその後すぐに鼻先に漂ってきた匂いにドラゴンが目を開けると、そこには剣一が不思議な見た目の串焼きを美味しそうに頬張る姿があった。


「そんなことはわかっている! 我が問うたのは、何故お主はここで飯を食っているのかと聞いているのだ!」


「何故って……暇だから?」


「暇だから!? 暇だからなんて理由でここにくる阿呆がいるか!? 何だお主、友達いないのか!?」


「ばっ!? ふざっ、いるよ! 友達くらいいるに決まってるだろ!」


「ならその者達と食べればいいであろう! 何故我の前で食うのだ!?」


「いやだって、ドラゴンだぜ? しかも話ができるドラゴンとか、スゲーじゃん! そりゃ見に来るって」


「確かにワシにも、『こいつまた来そうだな?』という予感はちょっとあったのじゃ! じゃがせめて翌日じゃろ! 何でその日に、しかも三時間くらいで再訪してくるのじゃ! これじゃ情緒も余韻も何もないのじゃ! シブく決めたワシの一人語りが台無しなのじゃ!」


「そんなこと俺に言われてもなぁ……てか、あれ? また口調が変わってない?」


「むぐっ!? そ、そんなことはない。我は威厳たっぷりの最強ドラゴンなのじゃ……だ」


「もう駄目じゃん。てか何で口調を変えてるんだ? 普通に話した方が楽じゃね?」


「場には求められる空気感というのがあるのだ。幾つもの試練を超え、やっと邂逅した強大なドラゴンに気安く話しかけられても、それはそれで困惑するのではないか?」


「それはまあ、そうかも? でも俺は気にしないぜ?」


「我が気にするのだ! こういうのは普段から心がけておかぬと、あっという間にボロが出るからな」


「あー…………」


 ドラゴンの言葉に、剣一は何とも言えない声を返す。実際ボロがボロボロしまくっているので、慰めに否定するのは難しかった。


「じゃあまあ、それはいいや。あ、そうだドラゴン。焼きまんじゅう食う?」


「あまりよくはないのだが……焼きまんじゅう? 何だそれは?」


「何って言われると、味噌を付けて焼いたまんじゅうとしか……あーでも、このサイズだと味わかんないかな?」


 ドラゴンはその顔だけでもプレハブ小屋くらいの大きさがある。普通サイズの串焼きなんて人間に例えれば小指の爪の先くらいのものでしかない。


 実際ドラゴンは少しだけ残念そうな顔をしつつ、ゆっくり少しだけ首を横に振った。


「そうだな。流石にその大きさではわからぬ。だが匂いはいいな……」


「だろ? 何せ軍馬ぐんまのソウルフードだからな!」


 彩玉さいたま生まれの剣一だが、北の方の県境だと焼きまんじゅうは普通に売っていた。なので子供の頃から慣れ親しんだ味に舌鼓を打ち、買ってきた三本の焼きまんじゅうはペロリと剣一のお腹に収まる。


「ふーっ、食ったぜ……」


「そうか……満足したならもう帰るか?」


「いやいや、せっかく来たんだから話そうぜ! あと、そうだ。第一階層の転移罠、いい感じに隠れてた。ありがとな」


「ふむ、それはよかったが……話すと言ってもなぁ。一体どんな話がしたいのだ?」


「そうだな……じゃあとりあえず、何でお前がここにいるのかとか? あ、聞いたら駄目なやつだったら聞かないけど」


「我がここにいる理由か……」


 自分の前で無防備に床に座り込み、腹をさすりながら問うてくる小さな相手に呆れるべきか感心すべきか悩みつつ、ドラゴンの意識が過去に向かう。


「経緯は色々あるのだが、人に語るにはちと長すぎる。そのうえで要点だけを掻い摘まむなら、我がここにいるのは、偏に罪と罰のせいだ」


「えーっと、つまり悪いことをしたから閉じ込められたってことか?」


「大きな括りで言うならばな。ただし善や悪というのはそれを見る者の価値基準でしかない。なのでより正確には、誰かにとって我は都合が悪い存在であり、誰かにとって我は存在するだけで罪深く、それ故に誰かが己を正しきとして、我に罰を与えたのだ」


「何だよそれ!? そんなの自分勝手じゃねーか!」


「ははは、人に限らず、生物は皆自分勝手なものだ。誰もが自分を愛し、自分が正しいとし、自分の為に他を犠牲にする。それが他者からみればどれほど歪で理不尽であろうとも……生きるとはそういうことなのだ」


「むぅぅ……よくわかんねー……」


 感慨深く語るドラゴンの言葉は、しかし剣一には響かなかった。辛酸は一味唐辛子とレモンくらいまでしか舐めていない一四年の人生では、ドラゴンの含蓄は計り知れないのだ。


 そしてそんな剣一の姿を、ドラゴンは無知と笑ったりしない。小さなひな鳥が首を傾げる様に微笑ましげに目を細めると、フンと鼻を鳴らして息を吐く。


「わからずとも気にするな。むしろこんな勿体つけた言い回し、お主の年端でわからぬ方が幸せだ。ほれ、話は終わったぞ。さっさと帰れ」


「えー、そんな冷たいこと言うなよ! 一緒に焼きまんじゅうを食った仲じゃん!」


「いや、我は食っておらぬが?」


「細かいことを気にすんなって! あ、そうだ。そっちの話が終わりなら、俺の話を聞いてくれよ! さっきの願いごとの内容に関係してるんだけどさ、実は今日から新しい法律が――」


 ドラゴンは話を聞くなどと言ってはいなかったのだが、剣一は一方的に話し始めた。仕方ないのでドラゴンはそれを黙って聞き、ドラゴンなりの考えを答える。


「ふーむ。話はわかったが、理解ができぬ。法というのはそれを布いた者が、自分に都合よく弱者を従わせるためのものだ。だからこそ支配者は誰よりも強大な武力を保持し、法を破った、己の意に従わぬものを暴力によってねじ伏せるのだ。


 だが我のところに来られるお前であれば、人の武力そんなものなど意にも介さぬだろう? なのになぜ自分に都合の悪い法を遵守しようとするのだ?」


「え? それは……俺、犯罪者になりたくねーし」


「その罪の基準もまた、お主より弱き者に押しつけられただけはないか。弱者の負け惜しみなど聞き流せばよかろう」


「そうだけど、そうじゃねーんだよ! だってそんなことになったら父ちゃんがスゲー悲しむだろうし、母ちゃんはめっちゃ怒るだろうし、あと祐二とかメグにも迷惑かかるだろうし……」


「……やはりよくわからんな。お主が大事に思う者なら、それこそお主自身の力で庇護してやればよいではないか。弱者が強者の庇護を得るために多少の理不尽に我慢するというのはわかるが、強者が弱者の法に従って我慢するという理屈が、どうにもわからぬ」


「そっかー、その辺がドラゴンと人間の違いなのかも知れないな」


 同じ人間同士ですら、相容れない部分というのはある。ましてやそれが生物として根本から違うなら、理解し合えることの方が珍しい。


 その事実に少しだけ寂しさを感じ、剣一は床から腰をあげる。


「さて、それじゃそろそろ帰るよ。ってことで、送ってくれるか?」


「我頼りなのか……まあここにいられても困るので構わんが」


 ドラゴンの巨大な爪が、剣一の頭に乗せられる。そして次の瞬間には、「じゃあ、またな!」と笑顔で手を振る剣一の姿が消える。


「またな、か……まったく、おかしな人間だ」


 苦笑し、ドラゴンは改めて目を閉じる。奇跡は二度起きないから奇跡。然れどそれが日常であれば、当たり前に繰り返される。


「おーいドラゴン! バンズパン食う?」


「いや、おやつの時間にまで来るのは流石に来すぎじゃろ!?」


 だが流石に三時間おきくらいにやってこられるとちょっとイラッとしたのは、ここだけの秘密である。

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