4)水曜日には雨が降る〈2〉



「天気は変わらず、晴天のままだねぇ」

 昼休みの保健室。仁科は窓の外に青く広がる空を眺めながらそう言った。

 天気予報の示す通り、朝から続く晴天は地表の熱を吸いとってなお、寒々しい青のまま。

 保健室には昼食を食べ終えた和都と春日がすでに来ていた。昨日試した『エンジェル様』の結果を受け、次はどう対応するか考えるためである。

「んで、春日クンと相模が書いた分は、相変わらず真っ白のまま?」

「はい。教材室にそのままにしておいたんですが、変化はありませんでした」

 二人は保健室へ来る前に御幸と合流し、そのままにしておいた教材室を一度確認して来たのだが、朝見たときと変わらない状態だった。

「あ、そういえば、御幸クンはどうしたの? 一緒に見てきたんじゃないの?」

 いれたてのコーヒーに口をつけながら、仁科は窓から離れる。

 二人と同様に談話テーブルを囲む椅子に座ろうとしたのだが、春日と和都がなぜか妙に距離をとるように席についていたので、仁科は不思議に思いつつ和都の隣に座った。

「こっちに来る途中で、新聞委員の一年生に呼び止められて。すぐ終わるから先に行っててって言われたんですけど」

「あらそう」

「それにしても、少し遅いな」

 話が込み入ったにしても、少々時間がかかり過ぎている。

「なんか、あったのかな?」

 嫌な予感がして、不安げに和都がそう呟くと、ノックと共にガラガラと保健室のドアが開いた。

 ようやく来たか、とそちらを見ると、立っていたのは確かに御幸だったのだが。

「……雨が降った」

 なぜか頭から全身、ずぶ濡れになっている。

 数分前に会った時はいつも通りの学ラン姿だったのが、髪の先から雫を滴らせるようにびっしょりだ。

「げ、どうしたそれ」

「先生ぇ、タオルください。あと着替えも……」

「ああ、うん。相模はタオル出してやって。俺は着替え出すから」

「は、はい」

 言われた和都はタオル類の棚へ向かい、仁科は替えのTシャツやジャージの入った棚を慌ただしく物色して用意する。

 一通りタオルで身体全体を拭くと、一番手前の、クリーム色のベッドカーテンを閉じ、御幸はその内側で着替え始めた。

「何があったんだ?」

 カーテン越しに尋ねると、御幸がどこか不服そうな声で返事をする。

「新聞委員の一年が、エンジェル様のお告げでケガしたヤツの話が聞けたって言うから、西棟の入り口んとこで話を聞いてたんですけど……」

「ああ、呼び止められてたな」

 昼食後に和都や春日と合流し、一緒に教材室の様子を確認した後のこと。保健室で作戦会議をしようと西棟から三人で、本校舎に向かう途中、渡り廊下を歩いていたら一年生が駆け寄ってきた。

 それは和都と春日も見ており、上の学年の生徒三人に囲まれては話しづらいだろうと、御幸に任せたのだ。

「んで、話聞いてたらさ、西棟の入り口横に、水道あんじゃん? そこを体育の保坂先生が使い始めたんだけど、蛇口開けた瞬間にぶっ壊れて水が勢いよく吹き出して……」

「うわぁ……」

 この寒空の下では、外の水道の水も相当に冷たかったはずである。

「他の人は、無事だったの?」

「一年はオレがいたから無事。保坂先生は体育教官室にタオルと着替えあるからって、そっち行ったよ」

 体育教官室は第一体育館の一階にあり、保健室に来るよりはそちらのほうが近いため、保坂先生はそちらへ行ってしまったのだろう。

「吹き出した水道はどうなったんだ?」

「野中さんが、蛇口に繋がってる水栓? みたいなところ締めて、応急処置してた。だから今は使用禁止になってる」

 水のかからなかった一年生がすぐに野中さんを呼びに行ってくれたので、被害は西棟周辺の渡り廊下の床と、御幸と保坂先生くらいで済んだようだ。

「とりあえず、お告げは本当になっちゃった、というわけか」

「御幸にだけ『雨が降った』と……」

 そこまで話して、クリーム色のカーテンがシャッと勢いよく開く。Tシャツとジャージに着替え終わった御幸が、口をへの字に曲げた顔で出てきた。

「いやー、まさかこういう形で被害に遭うとは思わなかったわ」

 改めてようやく四人とも席につき、本来の目的である作戦会議だ。

「しっかし、水道の蛇口なんてそう都合よく壊れるはずもないし、やっぱり怪異がらみ、なんだろうねぇ」

 仁科が腕を組んでしみじみと言う。

 狛犬騒動で休校した際、校内の老朽化等を由来とする不備はあらかた見つけ出して修理中だ。その点検項目に西棟の水道は問題なしとされていたので、急に壊れたとすれば怪異にしろ人の手にしろ、意図的なものだろう。

「やっぱり『エンジェル様』の正体を突き止めて、怪異ならお祓いするなりなんなり、するしかなさそうですね」

「そうね。俺らでどうしようもなければ『安曇』に連絡して来てもらって……」

「それって例の、先生のご親戚の方ですか?!」

 仁科の言葉に、御幸が目をキラキラさせて食いついた。どうもそういうものに対して、妙な憧れがあるらしい。

「まーね。……それより、御幸クンは一年生から何の話を聞いてきたんだい?」

 あまり深く詮索されないよう、仁科は御幸に話を振った。

「ああ、さっき情報くれた一年の話によると、エンジェル様は夜にならないと現れないらしいです」

 御幸がジャージのポケットからいつもの手帳を取り出し、パラパラめくりながら言う。いろんな情報を書き込んだ大事な手帳は学ランの内ポケットに入れていたため無事だったようだ。

「夜?」

「はい。前にケガをしたことがある生徒は、人目につくのが嫌だからって、早朝に質問を書いて置いてたそうなんです。でも、昼休みや放課後になっても書かれてなくて、やっぱりやめようと思って次の日の朝に紙を回収しに行ったら、書かれてたんだとか」

「なるほど」

 その話が本当であれば、エンジェル様のお告げは、放課後から翌朝にかけて、人目のない時間帯に書かれていることになる。

「西棟ってセキュリティどうなってるんでしたっけ?」

「ちゃんと警備システムは入れてるよ。一番最後になった先生がセキュリティシステムをオンにして出てる。特別教科棟とか本校舎以外の場所はそこを最後に出る先生がする感じ」

「自分が一番最後かどうかって、どうやって分かるんですか?」

「それぞれの場所のシステムの状態は、職員室で全部を確認できるようになっててな。本校舎以外のセキュリティがオンになってたら、自分が最後って分かる感じ」

「なるほど」

 一番最後になった職員は、職員室のある本校舎のセキュリティをオンにし、その後正門と裏門のセキュリティをオンにしてようやく退勤できるという仕組みだ。

 特別教科棟は、試験後や大会前でもない限り、居残る先生は殆どいないため、比較的早く閉められている。となると一般の生徒、人間には難しそうだ。

「やっぱり、人間じゃない奴が犯人なのかなぁ」

「人間と怪異が共謀してる可能性もあるけどな」

「ええっ、そんなのもあり?!」

「ありあり」

 御幸がどこか興奮したように声をあげたのに対し、仁科がケラケラ笑ってみせる。

「しかし、人がいない時間に現れるのだとすると、証拠を押さえるにはやっぱり隠しカメラを仕込むしかないか……」

「そうだね。そういうのって風紀委員とか生徒会で持ってないの?」

「隠し撮り用ではないが、長時間撮影可能なハンディカメラなら生徒会が持っている。あとで使用申請を出して借りてこよう」

 教材室は棚や荷物も多いので、配置を気にすれば上手いこと隠し撮りもできるはずだ。

「じゃあそれで撮影すれば犯人も分かりそうだね」

 お告げを書き込む犯人さえ見つかれば、あとは何とかなるだろう。思ったよりも早く解決できそうで、和都はホッと胸を撫で下ろした。

 が、うーん、と御幸は腕を組んだまま唸る。

「……どうせなら、現行犯で捕まえたいよなぁ」

「えっ」

 嫌な予感。

 不意にキリッとした顔で御幸が仁科のほうを見た。

「付き添いの先生がいれば、生徒は結構遅くまで居残っても大丈夫でしたよね!」

「あー、まー、うん。最後の施錠をする先生がいればいいからねぇ」

 すると、よしっ! と御幸が拳を握りしめて立ち上がる。

「人間の不審者なら取っ捕まえりゃいーし、例えお化けでも相模と先生がいれば何とかなるだろうし、張り込みましょう!」

「えぇーー!」

 やたらイキイキとする御幸に、和都は不満の声をあげた。が、御幸はすっかりやる気満々の様子。

「なんで?! お化けだったらどうすんの?!」

「お化けだったとしても取っ捕まえて、水ぶっかけやがったことを謝らせるんだよ! あと、これまでの事件のあれこれを、どうやってやったか聞く!」

「……なにそれっ」

 どうやら御幸は、犯人であるお化けに取材だかインタビューだかをしたいらしい。

 呆れ果てる和都とは対照的に、仁科は面白がって笑っていた。

「いーねぇ、御幸クン。そういうことなら協力しちゃう♡」

「やったぁ! じゃあお願いします!」

「えぇ……」

「張り込みするんなら、明日にしよう。今日は塾がある」

 黙って御幸の話を聞いていた春日も、考えた顔をしていたがどうやら乗り気らしい。

「さすがにオレも今日は帰って着替えたい……」

「よし、じゃあ明日、やってみましょうかね」

「マジかぁ……」

 三人はすでに夜の学校に張り込む気満々で、やる気のない和都は一人だけ項垂うなだれるしかなかった。

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