第35話 第三章エピローグ ~雫は逢瀬の道しるべ~

 夏の風が吹く。場所は昼の阿弥陀市海岸。快晴の元で、その明るさに似合わぬ黒のワンピースを纏った少女が裸足で足跡をつけていく。少女はタップダンスのような軽い音が出る木箱を抱えていた。


 新田は親類縁者がおらず、天涯孤独の身であった。そこで知り合いとしてモノノケダンスフロアの面子が彼の遺体を引き取ることになった。骸田によると、新田は生前に海へと散骨してほしいと遺言を唱えていたらしい。そこで、彼らは休日を利用して阿弥陀市海岸へ弔いに訪れていたのだ。


 徐々に浅瀬に入る茉莉を、鴨達は静かに見守っていた。和泉と潮島も立ち会っており、ただ真剣に骨壺を見つめている。茉莉は膝程度の深さまで来ると、ゆっくりと木箱を傾けた。真っ白な粉が、海に浮かび小さな青空を作り上げる。しかし、それは波に飲み込まれて底に沈んでいった。


 そのとき、和泉が口を開いた。


「八百の会の関係者はほとんど捕まった。教祖や幹部は死んで、下っ端どもも炙り出された。謂わば、実質解散や」


 和泉はそう言うと、こちらに背を向けた。鴨はそれを目で追った。


「和泉さん、行くんですか?」


「ああ。事後処理や書類整理が大量に待っとるからな……。京都の本部に帰るわ。あぁ、せや、これ忘れ取った」


 和泉は胸元をまさぐると、一枚の書類を取り出して鴨に投げ渡した。


「これは……。」


「開業許可証や。ナギサちゃんは残念やったけど、あんたらにはよう働いてもろたし。ほんじゃ、さいならやな。次は人魚なんか食わんバディを見つけるわ」


 それだけ言い残すと、和泉は颯爽と浜を立ち去っていった。その背を、鴨達は頭を下げて別れの挨拶を唱えた。そのとき、鴨は散骨を終えて浅瀬に立ち尽くしている茉莉に気づいた。そっと彼女に近づけば、茉莉はこちらに振り返らず口を開いた。


「マスター、本当にこれで良かったんですかね?」


 茉莉の声はどこか震えていた。恐らく彼女は未だに、今回の結末を受け止めきれていないのだろう。鴨は隣に並ぶと、そっと空を仰いだ。


「いいんだよ、これで」


「でも、二人は、結局……」


 茉莉は耐え切れず、口を覆って嗚咽し始めた。その肩に、鴨は優しく手を置いた。


「ナギサちゃんの傷、モノノケの彼女なら治せたはずだ」


「え?」


「モノノケは不死ではないけど、大概の傷なら治癒できる。でも、ナギサちゃんはそうしなかった」


「じゃ、じゃあナギサちゃんは望んで死んだっていうんですか!?」


 茉莉は目を見開いた。それに対して、鴨は首を縦に振った。そして目の前の大海原を見つめた。


「人魚、いやモノノケ自体寿命が長い。人間の寿命では添い遂げることなんて、不可能に等しいんだ……。憶測だけどね、ナギサちゃんは新田さんに置いて行かれることが怖かったんじゃないかな。やっと会えた二人。離れ離れになるなんて、誰だって耐え切れないよ」


 鴨の言葉に、茉莉は泣くのを止めて同じく海を見つめた。そうか、ナギサはわざと回復しなかったのだ。愛する新田と最期をともにするために。


 此世を離れた二人は出会えたのだろうか。いや、絶対に会える。泡は空に昇れば、雨となって海に降り落ちる。海を旅する新田の元に、きっとナギサは舞い戻ってこれるだろう。誰にも邪魔されない深い海の中で。


 茉莉は頬に張り付く雫を拭うと、鴨に向き直ってはにかんだ。


「さ、行きましょう!私、お腹空いちゃいました。潮島さんに何かごちそうしてもらおうかなぁ」


 能天気な発言であったが、今の鴨にとってはそれがどうしようもなく心に沁みた。そして次の瞬間には、彼女の手を取った。


「全く、このマドモアゼルはお転婆なようで」


「な、お転婆は取り下げてください!」


 そして、二人は浜で待つモノノケ三人衆の元へ戻っていった。空は輝いて、向こうからは雲がやってきた。あぁ、雨が降るのだ。恋人達の逢瀬は近いのだ。



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