第20話 海の異形たち


「来たわね、阿弥陀海水浴場!」


 宵闇の浜辺。モノノケダンスフロアの面子は、真菜子と合流すると早速海水浴場の監視を始めた。しかし内三名は水着を着こなし、あたかもこれから海水浴に挑む風体である。


 お糸はお気に入りのサングラスをかけ直すと、ビキニのから覗く谷間から日焼け止めを取り出した。


「日焼け止め、欲しい人―?」


「はいはーい!アッカに頂戴!」


「いやいやいや、緊張感は!?」


 バカンス気分の同僚に、茉莉は目を見開いた。かく言う彼女もハイネックホルダーを身に着けている。鴨は呆れた様子で、彼女を見つめた。


「ミス・マリ、君も人のこといえないぞ」


「こ、これは二人に無理やり着せられただけで!」


 そう言うと、茉莉は顔を赤らめて水着の裾を引っ張った。本当のことを言えば、限界まで躊躇っていたところを、同僚達に襲われて強引に水着を着させられたのだ。とはいえ、もしかしたら海に入る用事があるかもしれない。万が一のためだ。決して、誰かさんの反応が見たかったという訳ではなく。


「んでも、茉莉ちゃん。似合ってるね、素材がいいな」


 骸田としては褒め言葉のつもりらしいが、モノノケのコックから「素材」という言葉が出てきて茉莉は背筋が少し冷えて、苦笑いをした。ごたごたしているモノノケ軍団に、長である鴨はやれやれと溜息をついて、手を叩いた。


「さぁさぁ、君達。時間が勿体ない、早く任務に移ろう。それにミス・マナコを待たせている」


 そう言うと、鴨は真顔で立っている真菜子に目配せをした。彼女はそれに頷くと、口を開いた。


「まずはそれぞれ分散して浜辺をパトロールしましょう。不審な人物を見かけたら、直ぐに私に連絡を」


「だそうだ。緊急に備えて、戦力の配分も行おう」


 そこまで鴨は伝えると、メンバー全員を三つのグループに分けた。茉莉は真菜子と、鴨はアッカと、お糸は骸田と組むことになった。チーム分けが決まると、全員が持ち場に向かって四方八方に解散した。去り際、茉莉は鴨に呼び止められた。振り返った途端、鴨は急接近をして彼女の肩に手を回した。茉莉は一瞬抱きすくめられるのかと思ったが、彼はただ自身のマントを少女にかけてやっただけであった。


「夜風は冷えるぞ、ミス・マリ」


「あ、ありがとうございます」


 茉莉はマントを握り、頬を赤らめた。それに対し、鴨は僅かに口元を緩めるとこちらに背を向けた。


「我らが友を襲う、悪しき八百の会には気を付けたまえ。そのよく似合った水着を血で染めたくなければな」


 褒めているのか、いないのか。茉莉は鴨が水着に反応してくれたことに対して、微かに笑みを漏らした。しかし、真菜子のもの言いたげな視線に気づいて、急いで監視へと繰り出されていったのだった。


 夜の浜辺をひたすら練り歩く。周囲から見れば、不審人物扱いされそうだが、付近の警察署には話を通してある。茉莉は鴨のマントをひらめかせながら、先を行く真菜子に追いついていった。


「もう、早いですよー。東条さん」


「これぐらい我慢してください」


 真菜子はこちらに振り返りもせずに答えた。見た目の通り、彼女は冷静沈着であり、隙がない性格である。それからはお互いだんまりであったが、流石に茉莉も沈黙に耐えられず、何か話を切り出そうとした。そこで真菜子の相棒である、和泉の顔が浮かび上がった。


「和泉さんとは、仲がいいんですか?」


「……ただの上司と部下です。だけど………」


「けど?」


 そこで真菜子は左目に装着している眼帯に触れた。茉莉は彼女が何を言いだすのかドギマギしたが、真菜子はただ手を下ろしてこう呟いた。


「任務の途中です。無駄口はやめましょう」


「す、すみません」 


 冷めた一言に、茉莉は肩を縮こまらせて引き下がった。それからは二人は何も言わず、同時に浜辺では何も起こらなかった。監視を始めてから二時間が経ったとき、集合して一度休憩を挟むことになった。


 それぞれ報告をし合って、腰を下ろしているとき、浜辺の石段近くにある海の家から何者かが出てきた。その者は赤い半被を着た大柄で小太りな男性らしく、じりじりとこちらに歩み寄ってくる。茉莉と真菜子はその姿を射止めるなり、警戒態勢をとったが、鴨とモノノケ達はパッと顔を輝かせた。そして鴨は両手を広げた。


「なんと、潮島さんじゃないか!」


「え、知り合い!?」


 茉莉は第三者と上司の関係性に目を見開いた。潮島と呼ばれた男性はその膨れた顔でにんまりと笑みを作った。


「久しぶりだねー、マスターさん。こっちに来るって連絡があったから、来てみたら本当にいたなんて。」


「会えて嬉しいよ!」


 そう言うと鴨と潮島は抱き合った。茉莉は訳が分からずあたふたしていると、横からアッカが耳打ちしてきた。


「あの人、潮島さんっていう、マスターのお友達なの!勿論、モノノケだよ!」


「え、モノノケなの!?」


 茉莉が思わず大声を出すと、潮島がこちらを向いた。


「おやまぁ、可愛らしい人間のお嬢さん!あの子が例の新入りかい?」


「ああ、そうだよ。ミス・マリ、紹介しよう、こちらは阿弥陀海水浴場で海の家をやってる、友人の潮島平しおじまたいらさんさ!彼は海坊主なんだよ」


「うみぼうず?」


 茉莉は首を傾げた。そのとき、背後からお糸が煙管を吹かして答えた。


「海のモノノケさ。いまは人間に化けてるけど、本当の姿は海と同化した巨人になる」


「潮島さんは本気を出したら宇宙にも行けるぐらい、大きくなれるんだよ」


 骸田の言葉に、潮島は胸を叩いた。


「そうとも!茉莉さんや、いまここで見てみるかい?」



「それは遠慮しておきます…」


 茉莉は苦笑して、丁重に断った。そこで、潮島はハッとして手元に持つものを掲げた。なんと彼はお盆の上に、コップとレモンが浮いたミネラルウォーターのポットを置いていたのだ。


「暫く熱帯夜が続くからね。熱中症対策にどうぞ。」


「うわぁ、ありがとうございます!」


 丁度喉が渇いていた茉莉は目を煌めかせて、コップを手に取った。他の皆もそれに続き、途端に潮島は真菜子のいる方向を見つめた。


「そちらの物騒なお嬢さんもいかがかな?」


 真菜子は彼を警戒して短刀を握っていたが、彼が無害なのが分かるとそっと下ろした。


「……では、お言葉に甘えて」


 そうして真菜子もコップに口をつけた。そのとき、口元から微かに「美味しい」という言葉が聞こえ、茉莉も自然と笑みを漏らした。そこから暫く各自自由行動となり、茉莉は近くにあった岩場の陰に腰を下ろした。手持ち無沙汰だったので、彼女は取り敢えずスマホを取り出して試しに人魚について調べてみた。


「人魚、下半身もしくは上半身が魚である妖怪。美しい外見をしている、か。」


 記事を書いている人間のなかには本当に人魚を見たという者も混じっているだろう。そう思えたのは、少し前に出会った老人を思い出したからだ。彼は美しい人魚と出会い、婚約までしたと語ったからだ。何も知らない他人から見れば、老人の虚言と吐き捨てるだろうが、モノノケが見える茉莉には彼の過去にあったことは事実だろうと信じることができた。


 茉莉は休憩もこれぐらいにしようと、スマホの電源を落そうとした。そのときだった。


「ウワァオ!ソレがニンゲンが使う、ス・マ・ホという奴デスネ!」


 耳元に、陽気な女性の声が響いた。恐る恐る振り返ってみると、茉莉の真横には、艶やかな黒髪をもつ、びしょ濡れの美女がいた。美女は茉莉のスマホに興味津々となっている。そのまま茉莉は美女の首から下を辿っていくと、あっと目を見開いた。


「に、人魚!?」


 なんと美女の下肢は魚の尾となっていたのだ。その鱗は紺色と水色のグラデーションとなっており、月光に照らされて宝石のように煌めている。美女は岩によじ登って、その尾をはためかせている。


 茉莉は突然の遭遇に、バッと彼女から離れて指さした。


「あなた人魚なの!?」


 美女はその問いに、ポカンとしていたがすぐに意味を理解して大きく首を振った。


「イカァにも、ワタシ、ガイコクから来た人魚の“ナギサ”といいマース!ニッポンはハージメテなのでドッキドッキデース!」


 そう言うと、ナギサは海に飛び込んで何回も宙を飛び跳ねた。茉莉は初めて出会った人魚に若干胸を躍らせていたが、直ぐに自分の任務を思い出した。そして岩場に戻ってきて、ニコニコと笑みを浮かべる彼女の腕を握った。


「みなさーん!人魚さん、見つけましたよ!!」

 

 茉莉の叫びに、ナギサは首を傾げることしかできないのだった。


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