第15話 皆の門出


「兄ちゃん、キーちゃんのこと、本当はどう思ってるの?」


「…どうした突然。」


 商店街の屋根、二匹の化け猫達は夜空を眺めていた。又三郎の疑問に、雪次郎は眉をしかめた。それでも又三郎は続けた。


「僕ね、もうほとんど覚えてないけどキーちゃんに抱きしめられた記憶があるんだ。キーちゃん、本当は僕たちのこと愛していたと思うんだよ。どうして僕たちのこと、殺したのかな?」


「知るか。」


 雪次郎は寝転がり、そっぽを向いた。


「あの女は、俺達の仇だ。俺達にあんな目に遭わせたクソ野郎だよ。愛されていようが、俺は…。」


「兄ちゃん、まだキーちゃんのこと…。」


「うるせぇんだよ!」


 雪次郎はむくりと起き上がると、又三郎を睨んだ。


「さっきからキーちゃん、キーちゃんって。あいつはただの復讐相手でしかないんだ。あの茉莉とかいう娘が連れてきた暁にはぐちゃぐちゃに_。」


「誰か来る!?」


 二匹はそのとき、何者かの気配を感じ空を見上げた。すると、茉莉達を乗せたカラス天狗がこちらに向かって飛行してきていた。


「っふ、思ったより早かったみてぇだな。」


「茉莉、見つけたんだ!」


 二匹は地上に降り立ったカラス天狗に走っていった。茉莉は屋根に向かって飛び降りると、彼らに向かって手を振った。


「おーい、二人ともー!」


 雪次郎は茉莉の前まで来ると、拳を構えた。


「おい、娘!早く仇を!」


「まぁ、待ちたまえ。化け猫君。」


 そのとき、カラス天狗から鴨が降りてきた。彼はしゃがみ込んで、雪次郎と目線を合わせた。


「君が飼い主さんに怒っているのはよく分かる。だが、殺しはダメだ。飼い主と話して気持ちに蹴りをつけてくれ。」


「誰がテメェの指図なんて!」


「兄さん!」


 そのとき、又三郎が兄を押さえた。彼は兄を今までになく真剣な表情で見つめた、すると、雪次郎は歯を食いしばって引き下がった。


「っち、分かったよ!早く奴を出しやがれ!」


「いい子だ。宮木さん、こっちに来てくれ!」


 そうすると宮木は蜘蛛糸に縛られたままカラスの羽から降りてきた。その途端、猫兄弟は目を見開いた。どうやら宮木で当たりだったようだ。彼女の方も兄弟を見て、口をあわあわと動かしている。


「キー、ちゃん?」


 雪次郎の口からその言葉が漏れ出た。まるで幼子のような声音であり、先ほどまでの殺意など感じられなかった。その光景を見計らい、お糸が指を一振りして蜘蛛糸を解いてやった。


 宮木は兄弟の近くまで歩み寄っていき、その頬を恐る恐る触った。


「雪次郎、又三郎?本当にあなた達なの?その姿…。」


「あんたがやったんだろ?」


 雪次郎が憎悪の声で言った。そして自身の継ぎ接ぎだらけの体を叩いた。


「あんたが俺達をこんな化け物にしたんだろ?なんでだよ!俺達のこと、愛してたんじゃなかったのかよ!」


「キーちゃん、どうして僕たちのこと殺したの?」


 愛猫たちの言葉に、宮木は黙って彼らを抱きしめた。


「ごめん、ごめんなさい!二人のことは本当に大好きだったわ!でも、私は傷つけてしまう性分なの!私は頭のおかしい部類だったの!ダメなママでごめん…。でも、愛しているのは本当よ。」


 宮木はそう言うと、二匹の両手を握った。兄弟は彼女の目を見て、悔しそうに顔を歪めた。そして彼女に縋りついた。


「畜生!あんたのこと殺したくて仕方なかったのに!どうして…。」


「キーちゃん、僕たちもキーちゃんのことが大好きだったんだよ?」


「ごめんなさい…。」


 そうすると二匹と一人は抱き合った。あの殺伐とした雰囲気はとっくに消え去っていた。茉莉は胸を押さえて鴨も見つめた。彼も満足そうに微笑んでいる。宮木は二匹を離すと、彼らの頭を撫でた。


「私、ちゃんと罪を償う。今まで好き勝手してきた分、全部しっかりと背負うよ。」


「…そうかよ、ちゃんと反省しろよな。」


「キーちゃんがそう思ってくれてよかった。」


 宮木は立ち上がると、鴨たちを見つめて頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ございませんでした。四辻さんも、本当にどう謝ればよいか…。」


「自首するんですか?」


「ええ。」


 宮木は茉莉の言葉に頷くと、猫兄弟に微笑んだ。


「この子達と再会して分かった。自分がどれだけあくどいことをしてきたかって。今なら自分を正せる気がする。」


「そうですか…。ちゃんと変わってくださいね。」


 そう言うと、茉莉は宮木に向かってふっと笑った。その途端、屋根から黒い煙が上がった。


「な、何!?」


 茉莉は咄嗟に後ずさり、鴨は彼女を背に隠した。彼女はマントの背から、煙が上がっている位置を見た。するとそこには、底が見えない暗黒の穴が出てきており、尋常ではない程黒煙が立ち上っていた。鴨がそれを射止めた瞬間、呟いた。


「あれは、奈落門?」


「ならくもん?」


 茉莉が首を傾げた。


「“地獄”への入り口だよ。どうしてここに…。」


「どうやら、お迎えのようだな。」


 そのとき、雪次郎が口を開いた。彼は憑き物が取れたような顔をして笑っている。


「雪次郎、あなた地獄に行くの?」


「当たり前だろう、八つ当たりで結構な人間を殺しちまった。俺らはとんでもない罪人だよ。それに、娘、お前の親も殺してるんだぞ?そんな俺達が地獄に行かないでどうするっていうんだ。」


「そ、そうだね…。」


 そのとき、茉莉は雪次郎達が両親の死の引き金だと再認識した。しかし、それは

彼らに憎悪を持たせた宮木のせいでもある。はっきり言って彼女は思い立って彼らに憎しみをぶつける気にはなれなかった。だが、彼らが行ったことは易々と許されるべきものではない。


 茉莉は又三郎を見つめた。


「又三郎、君はいいの?」


 茉莉の問いに、彼はハッとしたがすぐにポンと胸を叩いた。


「平気だよ!キーちゃんも反省しているなら、僕たちもちゃんと償わないとね.。それに僕、兄ちゃんと一緒なら何でも乗り越えられるよ!」


「又三郎…。」


 雪次郎は弟に優しい眼差しを向けると、二匹で手を握った。そして奈落門に向かって、歩んでいった。去り際、茉莉は衝動的に二人に声をかけてしまった。しかし、彼らはただ振り向いてこう言った。


「娘、お前の両親のことは、本当にすまなかった。地獄でちゃんとしばかれてくるよ。それと、キーちゃんを連れてきてくれてありがとな。」


「僕、茉莉達のこと絶対忘れないよ。これからもモノノケ達を助けてあげてね。」


「又三郎、雪次郎!」


 やがて二匹は奈落門に踏み出して、闇の中に吸い込まれていった。茉莉はいつまでたってもそれを見つめていた。しかし、奈落門は黒煙を纏わせながら、蒸発するように消失した。最後に残った煙は、月に手を伸ばすように上空に飛んで行った。


 茉莉はじっと夜空を見ていたが、鴨に肩を掴まれた。


「大丈夫さ、ミス・マリ。彼らなら罪を償える。」


「そう願います…。」


 見つめ合う二人の間に、声がかかった。見れば、モノノケ従業員たちがこちらに手を振っている。


「マスター、茉莉、風邪をひくよ。早く、この女をムショにぶち込んで帰ろうさ。」


「早く早く!アッカ、まだお掃除残ってるの!」


「オレも明日の仕込みが…。」


 従業員たちの文句に、鴨は吹き出すと急いで駆け寄っていった。談笑する仲間達の姿を見て、茉莉はうっすらと綻んだ。そして、すぐに自分も呼ばれると浮足立って地面を蹴ったのだった。


 それからカラス天狗に運ばれ、宮木の警察署での出頭を見届けると彼らはモノノケビルに帰っていった。漸くひと段落つき、従業員たちはウンザリした様子でビルの中に入っていった。茉莉もそれに続こうとした途端、背後から犬の鳴き声が聞こえた。


「茶々丸?」


 振り返ってみたが、そこには何もいない。辺りを見回してみると、電信柱から柴犬の影が覗いている。


「行ってあげなよ、茉莉ちゃん。」


 背後から、仮面を外した鴨が呼びかけた。茉莉は、少しためらった。未だに頭の中に、茶々丸の最期がこびりついているからだ。きっと、彼も死亡時の姿のままモノノケとなっているのだろう。そんなものを見てしまえば、自分はどれ程取り乱すか分からない。


 もじもじする少女に、青年はその肩を抱いた。


「茶々丸はずっと君のことを守っていた。今日、君に駆け付けられたのも彼が僕たちを呼びに来てくれたからだ。」


「え?」


 ハッとする茉莉に、鴨は頷いた。彼は、店で茉莉を待っていた自分達に茶々丸が駆け込み、「茉莉を助けて。」と懇願したと語った。今日、自分が生き永らえたのは茶々丸のおかげだったのだ。


「茶々丸…。」


「本当は君に抱きしめてほしいらしいけど、今の姿を見せたくないらしいよ。」


 鴨の言葉に、茉莉は自然と涙が出てきた。彼は茉莉をただ守るのではなく、彼女の精神も心配してくれていたのだ。ただその愛に、彼女は我慢しきれなくなって口元を覆って嗚咽を漏らした。


 駄目だ、泣いていちゃ駄目だ。茉莉は首を振った。こんなドジで向こう見ずで脆い飼い主を守ってくれたのだ。今こそ、茶々丸に目一杯の礼をしなくてはならない。


「おいで、茶々丸。顔を見せて。」


 茉莉の言葉に、茶々丸はぴくっと反応すると柱から顔を覗かせてやがて姿を現した。


 案の定、茶々丸の顔は事故当時のまま潰れていた。その傷跡から血が滴ってはまた消えていく。しかし、今の茉莉は茶々丸が愛おしくて仕方なかった。彼女は手を伸ばすと、愛犬をこちらに引き寄せた。


「いい子ね、ほらおいで。」


 ついに茶々丸は茉莉の腕の中に収まった。彼女は腕の中の冷たい体温を楽しんで、頬を摺り寄せた。


「茶々丸、茶々丸だぁ。」


 茶々丸はひと鳴きすると、茉莉の頬を舐めた。少女はくすぐったそうに笑うと、愛犬の額にキスを落した。


「茶々丸、助けてくれてありがとう。私、あんたがいなくても頑張るよ。馬鹿でビビりな飼い主だけど、ちゃんとやるよ。だからさ、安心して天国に行ってね。」


「ワン!」


 茉莉の言葉の意味を感じ取ったのか、茶々丸は溌剌に答えた。すると茶々丸の体が空に浮き出した。別れのときが来たのだろう。どんどん浮遊する愛犬の手を、茉莉はずっと握り、そして限界になってそっと離した。茶々丸はフカフカと羊水に浮かぶ胎児のように、空を楽しんだ。そうして次の瞬間には、光の玉に包まれて、シャボン玉が弾けるように星の一つへと生まれ変わっていった。


 茉莉の耳には、少年のような声で「バイバイ。」と聞こえた気がした。それは幻聴か、家族への餞別か。鴨はただ、空に見惚れる茉莉を見守っていたのだった。


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