【29】ヌードモデルを雇いたかったの事情

 それから数日後、またエステルに昼食に誘われた。


「昼食を用意してもらってすまない、次はうちのプライベートルームで食事を出すから招待させてくれ」


 ルイスの家門は学院にプライベートルームを持っている。

 高位貴族のなかでも特別に許可された家門だけが持てる部屋である。


 またプライベートルームでは共通でシェフとメイドが何名か常駐しており、注文すれば食事が作られてホテルのように運ばれてくる。

 景色もよくて、外を眺めながら食事をとることもできる。


「いえ、こちらがお誘いしているので、気になさらないでください。あ、でもプライベートルームですか? 行ってみたかったんです! わあ、ありがとうございます!」


 まさかこんなに喜んでもらえるとは――


「あ」


 エステルが喜んでいるのが、あまりにも可愛らしくて思わず頭をなでてしまった。


「すまん。あまりにも喜んでくれるものだから、その、思わず」

「い、いえ。大丈夫です」


 思わず二人して照れたあと、エステルが沈黙を破る。


「あ! 早く行かないと良い場所なくなります!」


 エステルに手を引っ張られて中庭へ走る。


「……っ(こら、廊下ははし、はし…… うあああああ! 手を繋がれている!!)」


 エステルの後ろ姿を見ながら、ルイスはまた神と一方通行の対話をする。


 神様、オレは、まだ何故生きているんですか?

 生きていてもいいんですか!?

 

 ……昼休みの約束が途切れない。

 うれしい。


*****


 中庭のベンチを陣取ることができ、二人で昼食を食べる。


 その日の会話はこのまえに話した、誕生日に行く個展の話しだった。


 エステルによると、彼女が行きたいその個展の作家は、ビスクドールばかりを描いているそうだ。聞いていると、絵画というより絵本の挿絵のようだと感じた。


 その作家は、ビスクドールが大好きで自分が購入したビスクドールを使って絵物語のような絵画を描き続けているらしい。


 その作家の画集を持参して見せてくれた。


「油絵では……ないなこれは」


「そうなんですよー! 水彩画とパステルや色鉛筆を合わせて描かれていて、とても柔らかくて優しい画風なんです!」


「ほう……。これは実際のビスクドールの写し絵か。なるほど、絵の人形のほうは生き生きしているな」


 写し絵――光魔法で焼きこまれた実際の絵が巻末あたりにたくさん載せられていた。


「でしょう! まさに生命を吹き込まれているって感じです! ……あ、私この子が好きなんですよ!」


 エステルが見せてくれたビスクドールの写し絵は、金髪碧眼の可愛らしい少女でたくさんのフリルがついた薄水色のドレスを着ていた。

 日傘をもって、帽子を被ってのお出かけスタイルだ。


――そうだ、これのレプリカを発注して個展が終わった後に渡すか。


いくら個展に付き合うのが誕生日プレゼントだ、と言っても、流石に花やカード以外のプレゼントを渡せないのはオレが嫌だ。


どうやら、今年は無理だと思っていたサプライズプレゼントを渡せそうだ。


*****


その日の美術部で、増えた予算の話し合いが行われた。


「はい! モデルさんを雇ってみたいです!!」


 エステルが挙手した。

 ルイスはエステルをガン見した。


「(ヌードモデル、諦めてなかったー!!)」


「えーっと。モデルさんというのは、裸婦デッサンがやりたいということかい?」


 アートがチョークを手に振り返る。


「はい!!」


「……うーん、学院側が許すかなぁ。ヴィオラーノなら普通に許可が降りるんだけどね。こっちの国はそのあたりお固いから……」


 アートが顎に手をあてて、眉間に皺をよせた。


「たしかにヴィオラーノに比べれば、閉鎖的ではありますわね。芸術っていえば、そういうのはなんでも通るのかと思ってしまいますけれどねえ」


 カンデラリアが頬杖をついて言った。


「まあね。なんだかんだこの国でも裸婦画は売れてる。ただ、僕らはまだ未成年でもあるから、この国では余計に許可はおりないだろうね」


 ルイスは内心ホッとした。


「ダメ元で言ってみたのですが、やはり残念ですねぇ」


「エステルは、どうして裸婦デッサンをやりたいんだい?」


 アートが聞いた。


 ……あ、そういえば理由を聞いていなかった。

 やはり芸術に入れ込んでる者同士の会話とオレでは会話の質が違ってくるな……。


 ルイスは、すこししょんぼりした。


「じつは、キャバネルが描いた女神の誕生がとても好きで……私も、あのような絵を描いてみたくて」


「ああ、なるほどね。キャバネルみたいな作品を描いてみたいんだね」

 アートが手をポン、とした。


「たしかにああいった絵を描くならヌードデッサンはしたくなるね。でも、あれはかなりの大作だよ、エステル。あのレベルに達したいなら、ヌードデッサン以外にももっと勉強できることはある。今はまだそっちを優先してもいいんじゃないかな」


 アートが優しくエステルにそう促す。


「なるほど! わかりました!」


 エステルはその説明で、すぐに納得した返事をした。


「(か)」


 解決しただと!?

 そうか、そういう風に言えば、エステルも納得して引き下がったのか!!


 あの時話が変な方向へと転がっていったが、結局は最初に言っていた女性モデルがやっぱり良かったんだな。


 そうか、目標が……あったのか。

 気が回らなかった。

 もう少し聞き上手にならないとな……。


 しかし、裸婦デッサンが必要と思われるその絵画はどんな絵なんだ?


「……女神の誕生、とはどんな作品なんだ?」

 

 ルイスにとってはエステルが好きなものを知りたかっただけなのだが、その一言に、エステルとアートがギラっとした瞳で振り返った。


「!?」


 エステルが元気よく、ガタンと席を立つ。


「ルイス先輩! 図書館の画集の中に載っていますよ!! 行きましょうっ!!」


 いきなりエステルに手を取られて引っ張られるルイス。

 その瞳がキラッキラである。


「えっ!?」


 さらに、アートに肩に手を回された。


「いいね、僕もキャバネルは好きだ。ルイスくんにも知ってもらいたい! 行こう!」


 まるで双方から捕獲された気分である。


「よ、予算の話し合いは!?」


 謎の恐怖を覚えたルイスはそう叫んで話をそらそうとしたが。


 他の美術部員がプラプラと手を振って、まあキャバネル布教されてこいよ、とかキャバネルは見ておくべきだな、と口を揃えて言ってくる。


「ふ……布教!? 」


 布教とはなんだ!?


「あらあらまあまあ(まあ、懐かしい。前世でよくあったわねえ……『布教』。私もよくやったわ。布教用の漫画とか小説、いっぱい買ったわよねぇ)」


 その様子を見ながらカンデラリアは懐かしく思い目を細めていた。


「早く行きましょう!!」


 そして、エステルにガシッと、腕を組まれた。


「!? (これは行かざるを得ない……だが、エステル、さん?

 腕、腕組んでる。腕組んでます!! オレ、男だけど、エステルにエスコートされてます!?)」


 ルイスは目を見開いた宇宙猫(再)の顔でエステルに出口へと引っ張られていく。


「うふふ……ね、アート様。あなたはお残りなさいな。ある程度予算の話は他の部員でしておきましょう」


 カンデラリアがアートにニッコリ笑って言うと、


「あ~…、そうか。ここはエステル君に任せよう」


 アートは、カンデラリアの顔から『二人にしろ』の文字を読み取り空気を読んだ。


「任されましたー!!」

「あ、おい……」


 魂を抜かれたルイスはズルズルとエステルに引っ張られて行った。


 それを美術室のドアからバイバイと手を振り見送るカンデラリアとアート。


「カンデラリア……僕を止めておいて、キミがとっても行きたそうな顔してるね」

「よくおわかりで……くっ。どうして学院内は魔法が禁止されているのかしら……風魔法つかって盗聴したいですわ……」


「盗聴……? やれやれ、どうしてそんなにあの二人に固執するのか今度聞かせて欲しいものだ。いやぁ、我慢してえらいね、よしよし」


 アートはカンデラリアの頭をなでた。


「な……(何歳も年下の子供にヨシヨシされた!!) ……子供扱いは、よしてくださいまし」


「ああ、そんなつもりはなかったんだよ。……ただ、可愛くてね、キミが」

「……あ~。はいはい。予算の話にもどりますよ!! ほら、席にもどりましょ!!」


 すこし照れた顔をして席にもどるカンデラリアと、そのあとをニコニコしながらついて戻るアートだった。


*****


「見てくださいっ! これです!! ……あっ」


 図書室でエステルが、自分の身体の半分はありそうな大きな画集を取り出そうとして、のぞけった。


「あ、おい」


 それを後ろから受け止めるルイス。


「あ……、ご、ごめんなさい」


 ぽふっと、ルイスの腕の中に収まったエステルは、赤面して、すこしその布教の勢いが止まった。


「……ほら、あっちのテーブルもってくぞ」

 エステルから画集を奪って、先にスタスタ行くルイス。


「はい!」

 笑顔でルイスについていくエステルは、彼の顔面がいま、必死でポーカーフェイスで固まっていることを知らない。


「(……妖精さん? 妖精の仕業ですか? 妖精さんの仕業ならしょうがないな、いいぞ、もっとイタズラしても、妖精さん……)」


 心の中でそんな風に浮かれているとは思えない涼しい顔で、テーブルの上に画集を開くルイス。


「……どこだ?」

「えっと……このページです!」

「……ほう。これは他の絵とはちょっと……毛色がちがうな」


 見せてもらうと、リアルな海の波の上に、一糸まとわぬ全裸の女性――女神が気だるげに横たわっており、周りに羽の生えた赤ん坊が飛び交っている。

 その背景は海の水平線と空だが、エステルが好きそうな……すこしパステルがかった空だった。


「……(……正直に言おう。えっろ!!!!! これはエロい!!! こんな絵がこんな場所にあると知れたら男子が群がるぞ!!!)」


「見てください、この女神の白く滑らかな肌! 非常に美しいです!!」


「(ふぁっ!!)……おう」


 え、えすてるさん?

 あなた、何を仰ってるんですか?


「そして、他の裸婦画って、こう……なんていうか少しふくよかの女性が多いのに、この女神はスタイルが抜群です!! 女性が憧れるスタイルです!!」


「そ、そうか。たしかに……」


 確かに……今まで見たことがある裸婦たちより、ルイスもこの女神のスタイルは好みだ。むしろドンピシャだ。この作者わかってんな、って思う。


「そしてこちらを見ているこの、女神の目線!! 女神が目覚めたばかりでぼんやりとした瞳で世界を見ている……これから自分が何者か、何をすべきなのかをこれから把握していくんだろうっていう……物語性を感じます!!」


  エステルが興奮気味に説明してくる。


 も、物語性……!? そ、そこまで考えるものなのか!?


 たしかに、この気だるげな視線は、彼女とは違う意味でグッとは来ていた。

 しかし。


 ――すみません、神様!! オレは俗物的なようです、エロい目でしかこの絵を見れません……!! いや、たしかに美しい! 美しいけどエロい!!

 

「なるほどな。そういう思考に至らせる美しい絵ダ……」

「ルイス先輩ならそう言ってくれるって思ってました! さすがです!」


 エステルがキラキラしている笑顔なだけに、ルイスは汚れててすいません、と思った。

 だが、エロを抜いて考えてみても、たしかにこの絵は美しい。


「こんな絵が描けたらなぁ」


 少し寂しそうに絵を眺めるエステルに、ふとルイスは彼女が跡取り娘なことを思い出した。


 そうか、絵を描く時間が思うようにとれないんだよな、エステルは。


 そう思うと、気軽に『いつか描けるようになるさ』などと、ルイスは言えず、違う話題を持ち出した。


「……この絵、ヴィオラーノにある美術館で展示されてるんだな」

「あ、はい。そうなんですよ。そういえば、夏休みに見に行こうと思ってたのに忘れてました! 他のことが楽しすぎて!」


「冬休み、見に行くか?」

「え」

「アート部長とカンデラリア様の婚約式に参加して、ついでに……良ければ」

「あ……行きたいです! わあ、約束ですよ!」


 エステルが心底嬉しそうな顔をした。

 それを見てルイスは思った。


 この女神の絵の前で。

 もし勇気を、その時に出せたなら。


 ……婚約してほしいと、伝えよう、と。


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