6話 森の探索、湖の少女

 気持ちのいい木漏れ日の下、僕たちは身支度を整えていた。

 もっとも僕らには荷物という荷物もないから、もっぱら片付けの手伝いなわけだけど。


「傷の具合はどうだ?」

「はい、まだ少し違和感はあるけど、もうすっかり治った気がします」

「もしかしたらもある、これを持ってゆけ」

「おっとと!」


 そういうとおっちゃんから小さな手さげバッグが放られ受け取る。


「軟膏や包帯が必要最低限入っている。もし傷が悪化するようだったら使え」

「あ、ありがとうございます」

「ありがとう、おじさま」

「ハッハッ、おじさまか。あとこれも持ってゆけい」

「これは?」


 バッグに続いて手のひらに収まる小さな平べったい皿のようなものを手渡された。

 皿には蓋がされており中は透明で理科の実験とかで見るシャーレっていうのに少し似ている気がする。中では針のようなものが揺れているのが見え、もしかしてコンパスか?


「これを使えば方角を見失わずにすむ。ここから北東のほうに行けば湖が見えてくるはずだ、そうしたら湖をぐるりと迂回してまた北東に進めば村にたどり着ける。村の者は気難しいところもあるが良い者たちだ、事情をしっかりと話せば色々と力を貸してくれるだろう」

「うん、わかった」

「それと昨夜炊いた香の匂いが服に移っているだろうから、数時間は獣などに襲われる心配もない」

「それじゃ、安心して進めますね」


 なんというかこれでもかというほど面倒を見てもらって、ほんと頭が上がらないや。


「本当はワシが村まで案内するか帝都まで連れて行ってもよいのだが、生憎と今は仕事中でのう、手を割く余裕がないのだ」

「いやいや、ここまでしてくれただけでも十分すぎるって」

「そうですよ、何から何まで本当にありがとうごいます」


 おっちゃんの面倒見の良さはある意味親バカってやつなのかもな、自分より若い奴を見ると面倒を見てしまうとか。


「じゃ、そろそろ行くか」

「うん」

「達者でな」

「おっちゃんも」


 軽くお辞儀をしてからおっちゃんに見送られる形になりながら、名残惜しさを感じながらもラスクと共にきびすを返して歩き出す。


「ケイヤ!」

「っ! おっちゃん?」


 突然のおっちゃんの力強い声に思わず振り返る。


「ケイヤ、お主は強くなれる。自信を持てワシが保証する」

「お、おっちゃん……」


 豪胆さで力強い眼差しに誇らしげな笑みを浮かべていくのが見えた。


「なにせお主は、ワシのもう1人の立派な〝息子〟なのだからのう」

「おっちゃん――!」


 いつもなら期待なんてものはただの重荷にしかならなかったはずなのに、今の僕にとってこれ以上の後押しはない。


「カヤちゃん、この無鉄砲でバカな子を頼んだぞ」

「うん、まかせてください!」


 なんかしれっとひどい言われようだった気がするけど……それはいいや。

 ……おっちゃん、僕は強くなるよ。強くなって、いつかおっちゃんを超える男になってみせる。

 感極まる思いに引きずられないよう最後にもう一度小さくお辞儀をしてから、おっちゃんに背を向けて歩き出す。

 背中のほうからガッハッハッハッと、とても気持ちのよい豪快な笑い声が響いていた――。





「気持ちのいい人でしたね」

「ああ、本当に」


 おっちゃんと別れて少し経ち会話をしながら森を進んでいく。

 朝の森は澄んでいるとよく言うがまさにその通りで、朝露が見える森は清涼感で満たされている。


「あ、ところで、カヤ……さん?」

「ラスクでいいですよ、クロマメさん」


 どうしても本名を知ってしまった以上、どっちで呼べばいいのか悩んでいるとラスクがはっきりと答えてくれた。


「確かにわたしの名前は伽耶ですけど、ラスクって名前もそれに負けないぐらい思い出のある大切な名前なんです。だからクロマメさんにはこれまで通りラスクって呼んでほしいです」

「そっか」

「クロマメさんはどうです? やっぱり名前で呼んだほうがよかったでしょうか?」

「そうだなぁ……」


 名前を変えたからといって陸敬哉という人間の、僕がこれまで歩んできた歴史がどうかなるわけじゃない。

 だけど僕がこの世界で生きていくとなった以上は、なんていうかケジメのような割り切りのような……そういうのを持ちたいというか……。

 いや、そういう理屈っぽいのじゃない、僕が彼女にどっちで呼ばれたいかって聞かれたらそりゃ決まってる。


「俺もクロマメって呼ばれるほうがいいかな」

「ですよね!」


 運命なんて言葉を使うなら、こうしてラスクと出会えたことが運命だ。

 ラスクと出会わなければ僕はクロマメなんて名前を使わなかっただろうし呼ばれもしなかった。

 ならこの出会いも名前も意味のあることで運命ってやつなんだろう。

 だから陸敬哉という名前だけでなく、僕がラスクと呼び彼女にクロマメと呼んでもらう。そういう〝特別〟を望んだってバチは当たらないよな……。


「それはそうとしてなにか用があったんじゃないですか?」

「あ、いや……」


 呼び名の確認がてらで声をかけたからあまり深くは考えてなかったんだよな。


「えーっと、村。そう、村に着いてからのことをどうしようかなって」

「そうですねぇ、やっぱりまずは服をどうにかしたいです。なにをするにしてもこの格好ではさすがにですから」

「だな」


 寝巻き姿であることを意識したからか、ラスクがどことなく恥ずかしそうにもじもじしている。かわいい。


「クロマメさんはどうですか? 村に着いてからのことはなにかあったり?」

「いや、特に」


 ポーズでもなんでもなく本当に何も考えがない。というより何があるかわからないから思いつきたくても思いつかないといったところ。


「よさそうなところだったら、しばらくはやっかいになろうかとぐらいは考えてるけど。まあ、着いてから考えてもいいかなと」

「意外と行き当たりばったりなんですね」

「そう? なんにもなければ俺は普段こういうもんよ?」


 気が張らなければこういうもんで雑な考えしか浮かばないってね。


「……もしかしてクロマメさん」

「ほ?」


 あれ、なんだろう? なんかラスクから物騒な空気が漂っている気が……気のせいかな、それともなんかマズいこと言ってしまったか?


「まさかわたしを村に置いていこうだなんて考えていないですよね?」

「しないしない! そんなことかけらも考えていない!」


 ニコニコと笑顔なんだが髪がざわついて、黒いオーラをまとっているように見えてめっちゃ怖いんですけど!


「ならいいんですけど、もしも置いていくようでしたら地獄の底まで追いかけていくつもりでした」

「マジすか」


 会ったばかりならそんなバカなと思ってしまうどころだけど、今のこの子なら本当にやりかねないと思えて慣れってすごいな。

 ていうか一度死んだ身である僕らからしたら微妙に洒落になっていないというか……。


「ああでも、それはそれで追いかけようとするわたしの想いが燃え上がって、悪くないかもしれないですね。ハァッ……想像したら少し興奮してきました」

「おーい、もどってこい」


 黒いオーラが引っ込んだのはいいけど、今度は変な妄想を始めちゃったよ。

 うーん、この妄想っ子。中々どうしてたくましくてある意味では頼もしいじゃないか。


「っと、ちょうどよく湖が見えてきたな」


 手を組んで妄想に耽るラスクもはっとしながら僕に続いてくる。


「えっと、確かこれを迂回するんでしたよね?」

「ああ、ぐるっと……結構ありそうだけど回っていこう」


 思ったよりもかなりの広さがあり、学校の運動場かどうかすれば学校の敷地ぐらいはありそうで迂回するだけでもそこそこ距離がありそうだ。

 まあ、まだまだ昼にもなっていないことだしゆっくりと行きますかね。


 湖を迂回するように歩いていくと、水を飲みに来た森の動物たちの姿をちらほらと見かける。


「なんだか神秘的ですね」

「んだな」


 鹿や小鳥などの小動物ばかりで、ぱっと見凶暴そうな動物が見えなくて思わず内心ほっとしてしまう。

 はぁ……やっぱせめて武器ぐらいは欲しいところだよな……。

 猛獣だけじゃない。おっちゃんの風貌からすれば、この世界がおおよそ中世ヨーロッパ辺りをイメージさせてくれる。

 そうなると盗賊とかのならず者だって少なからず居るだろう。今後のことを考えれば護身用の武器とそれを使いこなせるだけの技量が必要だ。

 使うならやはり剣だろうか? 堅実にいくなら槍……いっそおっちゃんにならって巨大な斧でも……。

 それに接近戦だけでもあれだ、柔軟に対応できるように弓なども使えるようになっておきたい。

 できればどこかで師事したいところだけど、どうしたものか――。


「……えいっ」

「ほわぃッ!」


 いきなり手を握られた不意打ちにキョドった声を上げてしまった。


「ら、ラスク? いきなりどうしたんだい?」

「え? 手を握っただけですけど?」

「い、いや、そういう意味じゃなくてですね」


 握れば伝わってくる小さな手の感触に庇護欲のようなものが刺激されて愛おしさを感じる。


「えへへ、クロマメさんの手、おっきいです」


 そういうの反則だって! 卑怯だって! こちとら恋愛経験中学生レベルのヘタレなんだぞ? 手を握られただけでもヤバいのにそんなことまで言われたら頭が蒸発してしまう!

 ああ、汗がめっちゃくそ出てきて手のひらがじとーってなっていってるよ。こうなるからあまり手を繋ぎたくないんだ。


「ら、ラスク……汗で、ほら、わかるだろ? その……な?」


 いやもうひどいしどろもどろだよ。だけど、さすがにこれでいったんは手を離し――。


「クロマメさん、手を離したらイヤですよ?」


 いや、だからってなんで逆に握り込んでくるの? ヤバいって、指が合わさってきて外れにくくなっているって。


「…………」


 なんかすごいもじもじし始めてるし! あかんって萌えてしまう、僕の中のキモいテンションが燃え上がりそうになってるっての!


「ら、ラスク……これ以上は……」

「クロマメさん、わたし……」


 ダメだ! 流されるな! ここで流されるようならば、僕の男の底が知れるというものだ!

 僕は、僕なりにカッコつけていきたいんだ。ここはうかつに流されずなんとか……。


「…………」


 あ、ダメだ……僕の意志の弱さが瓦解していく音が聞こえてくる。

 いやだって手を握られただけでなく体まで寄り添ってきたんだぜ? 脳内会議で自分で自分に納得の言葉を投げかけるぐらいには興奮するってもんだろう?


「ら、ラスク……」


 だが落ち着け! 落ち着け僕ッ! ここで落ち着かなければいけないという場面で先走って痛い目にあってきたことはいくらでもあったはずだ!

 だから落ち着け、今の僕ならそれができるは――ッ!


「キャッ」

「…………」


 動物ではない気配を不意に感じ、とっさにラスクを引っ張り湖近くの茂みに一緒に身を隠す。


「く、クロマメさん? ここでするんですか意外と大胆……」

「しっ……静かに……」

「クロマメさん?」


 耳を澄まし辺りの気配を探る――。

 水の跳ねる音……だけど石が水に落ちたような音じゃないところから魚が跳ねる音じゃない。

 小鳥かなにかが水浴びをしている? いや、音の響き方や大きさからして地面付近で水浴びをしているような音じゃない、もっと明確的にまとまった水を上から落とす音……音を言葉にするならジャブッ、バシャッ、これだ。

 そんなことができる野生動物がいるとは思えない、ならば答えは1つ。


「誰かいる……」

「えっ」


 順当に考えればおっちゃんの言っていた村の人が水を汲みに来たと考えるのが自然だろう。

 だけどもし違ったら? もしも森に潜む野盗のような奴が居て、それが偶発的に水を汲みに来ていただけだったとしたら?

 そうと知らずに、僕たちがなんの警戒もせずに近寄ってしまっていたら?

 その先を考えるぐらいなら……熊の件を思い出せば、これぐらいの警戒しすぎでビビりすぎなぐらいがちょうどいい。

 ならさっさと逃げればいいという話だが村の人だった場合、会わずに逃げるのはマズイと僕の勘が告げる。


「まず俺が様子を見てくる……ラスクは周りを警戒しながら、何かあったら大声を上げるんだ」

「うん、わかりました……気をつけて」

「ああ」


 もうあんな想いはさせない、あんな顔もさせない。

 危険だと少しでもわかれば即座に逃げる。ここには他にも野生動物がたくさんいるし、上手く利用できれば逃げるタイミングぐらいは確保できるはず。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか……。

 手当たり次第に避けていくのと警戒して慎重に動くのは違う、避けすぎたら脅威の正体すら掴めないし状況的にはチャンスすら逃す可能性だってあるんだ。

 そしてここは意を決する場面、さあ、何が出る!


「あっ……」


 目が釘付けになるというのは、きっと今の状態のことを言うのだろう。

 視線に映り込んだのは湖に太ももまでを浸からせ、森林浴をしている裸の少女の姿だった。


 そう、少女は裸なのだ……。

 これがなにを意味するかというと僕というむっつりすけべな男が出る行動は決まっていて、目を離すようにはしながらも視界には収めているというヘタレな挙動を取るということ。


 しっかりと視界に収める少女のシルエットは神秘的で大人びた雰囲気はありながらも、少女のような純朴な未成熟さのようなものも感じさせる。

 流れるような美しく淡い金髪は膝近くまで伸びており、水滴を帯びた光沢が光を反射させ幻想的。

 遠目でも分かるほどに整った体つきはほっそりとしたラインながらも大きすぎず小さすぎない絶妙な膨らみを形成しており、扇情的せんじょうてきではあるはずだけど不思議と劣情れつじょうが出ず見惚れる一方になる。

 横顔しか確認できないがそれだけでも分かるほどに端正な顔立ちで、かと見ればあどけなさもいい感じに残っており、湖のように鮮やかな瞳はいわゆる碧眼へきがんのようだ。

 とりわけ目についたのは縦に長く尖った耳で、ありていに言えばファンタジーに出てくるエルフを彷彿ほうふつとさせる。


「綺麗だ……」


 少女の裸体を眺める今の僕の姿を男であるならば誰が咎められるだろうか。

 小鳥と戯れながら森林浴をしている少女の姿に、脳が思考を奪ってバグっているのがわかる。

 そもそも女性に対して免疫が皆無の自分がこうして見続けられるということは、ある種の芸術を見ているようなものなのかもしれない。


「…………」


 もはや心ここにあらずの状態で眺めていると、少女がこちらへと視線を向けてきた。


「ふへっ!」


 素っ頓狂もいいところの声を思わず上げてしまい少女と目が合ってしまう。

 バカッ! な、なにをやっていたんだ僕は! とにかくまずは弁明と説明を――。


「へ……?」


 すると、少女がこちらへニコッと微笑みながら指を向けていくのが見えた気がした。


「ぶべらっ!」


 ──かと思えば顔面に強い衝撃が走り、朦朧もうろうとする意識と共にうつ伏せに倒れていくのを感じそこで意識を手放した……。

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