2話 異世界での目覚め。この子は誰?

「う、んぅ……」


 まぶたの裏からかすかに光を感じゆっくりと目を開いていく。


「ここは?」


 気持ちのいい日差しのまぶしさに目をしぱしぱさせながら徐々に目が慣れていくと、たくさんの木々が密集し見事としか言いようがない木漏れ日を作り出している空間に寝そべっていた。


「夢じゃ、なかった……」


 誰かに連れ去られたでもない限り、自室とあまりにもかけ離れた場所にそう確信せずにいられない。

 僕は、異世界にやってきた――のだと。


「すぅー……はぁー……」


 一度目を閉じて息を深く吸ってから吐いていく。

 草の匂い? それに苔や土の匂い――。

 森のど真ん中だというのに青臭さや泥臭さのようなものは感じない、むしろみずみずしさのような清涼感すらある。

 吐く動作と共にまるで身体中を自然の大気がめぐるように思える感覚が心地いい。


「よしっ」


 このまま森林浴を楽しみたい気持ちもあるけど、それよりもまずは人がいる場所を探さないとな。

 起きあがろうと上半身を起こそうとする、と――。


「ん?」


 なんだ? なんか腰の辺りに違和感が……。


「んぅ……」

「えっ」


 違和感のあるところに視線を向けると、なんとそこには自分に寄り添うように丸くなって眠っている長い黒髪の少女が眠っているではないか……。


「だ、だれ? この子……」


 幸せそうに眠っている少女とは裏腹に反射的に冷や汗が額から流れてくるのが嫌というほどわかる。

 29という歳だけ食って恋愛経験が中学生レベルでストップしているんだ、この状況に思考が停止するのは仕方ない、仕方ないんだ。


「……かわいいな、この子」


 硬直したことで結果的にまじまじと見ることになった少女の容姿に、思わずつぶやいてしまう。

 薄手のパジャマ姿の上からはかなり華奢で小柄な体格であることが分かる。中学生? いや、そこまで幼くは見えないから高校生ぐらいか?

 目にかかる程度まで伸びた黒髪は腰までの長さがあり、前髪の隙間から覗く整いながらもあどけない少女の寝顔を見れば99%の男が自分と同じ感想を言うだろう。


「でも、なんで?」


 なんで女の子がこんなところに……。


「むにゃ……」

「ふぃッ!」


 もぞもぞと体を揺らす仕草から伝わる感触に気色悪い奇声を発してしまい再び思考が吹っ飛ぶ。

 ていうか、ていうかですね……〝当たってる〟んですけど――。

 華奢な見た目に反して出るところは出ているのか、少女が密着している場所からは女性特有の柔らかさがこれでもかというほど伝わってくる。

 いやいや、正直勘弁してくれ! 男として嬉しいけどこんな凶器を当てられてちゃ僕の理性がやばい!

 女性経験がまともにない我が身からすれば、今すぐにも襲いかからないだけでも大したものではないかと褒めてしまいたいぐらいなわけで。

 し、仕方がない、ここはひとまず――。


「お、起きるなよー?」


 少女を起こさないようにそっと体から引き剥がす方向でいく。

 下手をしたら起きた瞬間に痴漢やセクハラ扱いをされるかもしれないが、このままの状態でいるほうが色々と僕の身が危険だ。

 幸い寄り添っているだけで抱き枕のようにしがみつかれているわけじゃない、少しずつ手をはがしてから体をずらしていけばなんとかいけるはず。

 そろーっと手を伸ばしてから少女の体をわずかに押しのけるようにしながら自分の体をずらしていく。


「よ、よし、いい感じ」


 うまいこと少しずつずらせていくが、そこで僕はふと別の違和感を感じる。

 あれ? 僕の目線ってこんなに高かったっけ?

 目線の高さなんて普段は毛ほども気しないはずなのに、このときは明らかに普段とは違う体の〝感覚〟に微妙な違和感を覚えた。

 それだけじゃない、目元に手を当てれば眼鏡をかけていないことがわかり、だというのに近眼であるはずの僕の視界は眼鏡をかけていたときよりも鮮明によく見えている。

 これは、一体――。


「にゅぅ……」

「どぉわはッ!」


 かんっぜんに油断していたところで少女が抱きつくようにしがみついてきたことで突発的に体を跳ね起こしてしまう。


「っ! た、たかい――?」


 僕の知っているよりも明らかに高い視界に軽く混乱しながら、そのままバランスを崩して倒れていく。


「ど、どうしてこうなった……」


 少女がしがみついていたから起きた事故かそれとも神のいたずらか。

 なんとか両腕で支えるように倒れた僕だったが、見事に少女に覆いかぶさるような姿勢になり頭の中が真っ白になる。


「んぅ……?」


 ああ……目を覚ます、目を覚ましちゃうよ。こんなことなら小細工なんかせず普通に起こしてやればよかったよ。


「あっ――」

「や、やあ、おはよう……?」


 おはようじゃねえよバカ! と、とにかくなにか言い訳……じゃなくて弁明を!


「……クロマメ、さん?」

「へっ?」


 クロマメ? クロマメってゲーム内での僕の名前? なんでそれを――。

 もしかしてサバカン? いや、ダイフク? 違う――ボイスチャットの声質からして2人は男だし、なによりこの子の声には覚えがあった。


「もしかして……ラスク?」

「クロマメさん!」

「うわっぷ!」


 少女の目に涙が溜まっていったかと思うと、いきなりこちらの頭を強い力で掴み胸に抱き寄せてきた。


「クロマメさん! クロマメさん!」


 形容できない柔らかさと幸せな感触に顔が包まれ、息苦しさなんかどこ吹く風。

 別に巨乳が特別好きというわけじゃないはずなんだけど、なるほどこれはなんというか魔性の魅力だ。

 好きとか嫌いとかそういう次元の話じゃない、これに抗うには本能を超越した意識が必要だな。


「会いたかった、クロマメさん! ……クロマメさん?」

「…………」


 もっとも、この柔らかさに包まれて昇天するのならば、それはそれで本望と言えるのかもしれない――。





「……あー、死ぬかと思ったぜ」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 程なくして意識が飛びそうになる前に解放された僕は、目の前で何度も少女にお辞儀されていた。

 お辞儀の度に揺れる大きなふくらみはこの際見えないふりをして、正面に立つ少女を改めて眺める。


 薄手のパジャマの上からはっきりとわかるぐらいには小柄で身長にして150前半ぐらいか?

 ほっそりとした腕や足から華奢な体つきなのは間違いないが、要所要所の肉付きはしっかりとしているからか不健康という印象はまったく感じない。

 顔は美人というよりかはかわいい系と言っていい。どこかあどけなさの残る顔から幼さを感じるが、子供の雰囲気というわけではなくやはり高校生辺りだろう。

 片目が隠れた前髪と腰まで伸びた髪はくせ毛があるが艶のある綺麗な黒髪で、思わず触れてしまいたくなるような衝動に駆られるぐらいだ。

 申し訳なさそうに謝って伏せ目ではあるが時折覗かせる瞳はキラキラとしていて、大事に育てられたんであろうことがわかって自然と笑みがこぼれる。


「い、いや、堪能……じゃなくて驚かせたこっちも悪かったわけだから気にするなって」

「あ、あうぅ……」


 そんな愛らしい少女の反応にひどく懐かしさを感じる。体感時間にして特に経っていないと思うのに不思議な感覚だ。

 ま、それそれとして確認をしておかないと。


「なんていうのかな、どう聞けばいいのかあれなんだが……ラスク、なんだよな?」

「うん、ラスクです。クロマメさんたちと一緒にいた。あのラスクです」


 ぱぁっと輝かせる彼女の表情にこちらも嬉しさを覚える。正直、こういう出会いを期待していなかったと言えば嘘だ。

 異世界に転移し少女と出会う……ファンタジーやそういうのに興味があるやつなら誰もが一度はしたであろう妄想。

 しかし、さすがにこういう出会い方は想定外。偶然? それとも必然? いや、そもそもとして僕は願ったはずなんだ――。

 〝僕に関わってきた人たちから、僕に関する記憶を消してほしい〟……って。あのおっさんが願いを反故にするとは思えない、そういう人には見えない。


「どうしてぼ……俺がクロマメだってわかったんだ?」


 なら例外? 僕じゃなくてゲーム内の僕――クロマメという存在に関する記憶は消せなかったとか?


「分かりますよ。声も喋り方も……それに願ったんです。クロマメさんに会いたいって」


 胸の上で両手を組むラスク。


「願った?」


 願ったって……まさか……まさかまさか!


「ラスク、君はもしかして?」

「うん……」


 さすがに罰が悪そうにわずかにラスクは顔を伏せながら上目遣いになっていく。


「わたしもクロマメさんと一緒、死んでしまったみたいなんです」

「…………」


 またこうして出会えたこと、だけどそれが現世での死を意味することに喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な気持ちになる。


「……それじゃ、ラスクもガラス張りみたいな空間に?」


 どう言っていいか分からないけどなんとか質問を投げかけた。


「うん、怖そうなおじさんもいたけど……クロマメさんも会いました?」

「あ、ああ、まあね」


 異世界に転移させてくれたことには素直に感謝したいけど、それはそれこれはこれでやっぱり怖いあの見た目はあまり思い出したくない。


「そこでわたしが死んだことを告げられたんです……来世が人間ではなくて蝶になることも、人間として生まれ変わるためには異世界に行ってがんばる必要があるって……」

「そっか」


 おおむね僕のときと同じ。ならそういうもんなんだろうとますます説得力が増した。


「それで能力を選びなさいって言われたからお願いしたんです。『クロマメさんに会いたい』って」


 バカでもいい加減に気付ける好意に顔が赤くなるのを感じるのと同時に、どこか後ろめたさのような良くない感情も出てくる。


「だけど俺は……」

「うん、〝聞きました〟」

「聞いた?」


 こちらの問いかけに、ラスクは組んでいた両手を解いてにこやかに笑みを見せてきた。


「あのこわーいおじさんが言ってました。『貴方の後にクロマメさんが亡くなります』って」

「なっ」


 あのおっさん未来までわかるのか……いや、ああいうことが現実に起きてるんだ。時間とか空間とか超越するなにかがあっても、いまさら不思議なことでもないか。


「クロマメさんの願いも教えてもらいました。ふふ、ひどい人、わたしたちから記憶を消してもらうだなんて、クロマメさんらしいですけど」

「そ、それは……」


 僕が僕の矜持きょうじを通すための願いとはいえ、まさか当人から指摘されることになるなんて思いもしなかったぞ。

 ていうか僕が押されている? この子ってこんなにぐいぐいくる子だったっけ?


「でもざーんねんでした。おじさんが言うには、クロマメさんの願いが叶う前に死んでしまったわたしに、その願いは〝無効〟になるんですって」

「は? なんだそりゃ、そんなこと俺は一言も言われてねえぞ?」

「聞かなかったんじゃないですか? 聞けばたくさん答えてくれましたよ」

「うっ……」


 た、確かに勝手に解釈して根掘り葉掘りとは聞かなかった。

 ――思い出してみれば、こっちの質問に対してしっかりと答えてはくれていたんだ……くそ、怖い怖いってびびらずに色々と聞き出しておけばよかったよ。


「それでクロマメさんも異世界に旅立つって聞いて、改めてわたしは願ったんです。『クロマメさんと一緒に居たい』って……だから一目でわかったんです。クロマメさんだって……クロマメさんしか居ないんだっ、て……」

「ラスク?」


 ふと彼女の肩が震えているのに気づく。


「サバカンさんもダイフクさんも居ないけど……クロマメさんだけはやっぱり居てくれた。クロマメさん、わたし……クロマメさんと一緒に行っても……いいですか?」

「…………」


 ラスクの瞳に溜まった涙を見て僕は察した。

 傍から聞けば彼女の物言いは一緒に居たいと思う人さえいれば、それ以外はどうでもいいと捉えられかねないだろう。

 極限状態に近づき感情を優先すれば人はそういう考えや発想に陥るものなのは嫌というほどわかる。

 だけど違う、だからといって人の想いをそういう二元論的なもので測っていいものじゃないんだ。

 彼女が僕に対して憎からず思っていることは自覚できる。でもそれは僕だけが居ればいいって意味じゃあない。

 サバカンにダイフク――みんなが居て僕もいるそんな当たり前で当然の気持ちがあって、だけど一番居てほしかったのが彼女にとってたまたま僕だっただけのこと。

 彼女は本当に怖かったんだ……もしかして目覚めたとき周りに誰も居らず独りになっていたかもしれない。

 仮に居たとしても、なんなら僕から拒絶される可能性だってある。

 でも彼女は勇気を奮ってすべてを話してくれた、僕に拒絶されるかもしれないというのにだ。

 ……彼女の好意に応えるわけじゃない、だけど彼女の願いに応えない理由も特にない。

 なら、答えは決まってる。僕はもう決めている。


「――うい、一緒に行こうぜ、ラスク」

「クロマメさん!」


 今にも泣き出してしまいそうな彼女に手を差し出し、その上に置く彼女の手を握り僕たちは森の中へと歩き出す。

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