【KAC20242】死の内見

雪うさこ

第1話 不審な死


「被害者は志久しく一郎、三十八歳。IT企業の営業マンです。今日は、妻と一緒に、住宅の内見中に突然、倒れたそうです」


 部下の荒川が説明している間、おれは目の前にうつ伏せに倒れている男の死体を眺めた。男は、灰色のセーターに、ベージュ色のパンツ姿で、いかにもラフな感じだった。目は見開かれ、かなり苦しんで死んだということが理解できた。


「妻、直子の話ですと、特に持病はなく健康体だったそうです」


「よし。とりあえず奥さんの話、聞いてみるか」


 荒川は小さく頷くと、部屋の片隅に呆然と立ち尽くしていた女を呼びつけた。彼女は「志久直子です」と名乗った。


「内見の約束が11時だったので、朝はいつもよりも遅く起きました。それから準備をして、現地で担当の方を待ち合わせをしたんです。で、中を見せてもらっていると、突然。夫が苦しみだして。あっという間に倒れてしまったのです」


「旦那さんは、いつもと変わったところはありませんでしたか」


「ありません。いつも通りです」


「念のためお聞きしますが、夫婦仲はどうでしたか?」


 荒川の質問に、直子は顔色を変え、声を荒上げた。


「なにか私がしたとでも思っているのですか? なにもありません。夫は突然倒れてしまったんですから。私が色々と聞かれる理由はないと思いますけど」


 おれは「まあまあ」と直子をたしなめた。


「一応です。一応、事件性があるかどうか確認しています。お気を悪くなさらないでください。旦那さんのご遺体は司法解剖に回ります。事件性がないかもしれませんけど。念のためですよ」


 彼女は大きな瞳をきょろきょろと左右に動かしていた。


 ——なにかあるぞ。


 刑事の勘が騒いだ。働き盛りの男が突然に、体調不良を起こし死亡した。そう考えるのが普通だろう。しかし、心臓などが原因の突然死の大半は、朝方に集中するものだ。こうして日中の活動中に突然死するというのは不自然だと思ったのだ。


「特に問題はありませんでしたよ。これから新居を手に入れようと思っていましたし。そうしたら子供だって欲しいって思っていましたから……。そうです。子供だって、欲しかったんです」


 それから、おれは不動産会社の担当者を呼びつけた。


さぎわたるです。梅沢不動産の営業をしております」といった。年のころは三十代。死亡した被害者たちと同年代だ。


「ええ、そうです。志久様から依頼を受けて、あちこちの物件をご紹介していたところでした」


「あちこち?」

 

 彼は「ええ」と頷く。


「奥様がこだわりがお強いようです。なかなか気に入ってくださらなくて。そうですね。一か月ほど前から、何件かご紹介しています」


「じゃあ、もうすっかり顔見知りってわけですね」


「ま、まあ。お客様ですから」


 彼は落ち着かない男のようだ。しきりに腕時計を見たり、ハンカチで額を拭いたりいている。今は冬だ。そう暑くはないはずだが。おれは室内を見渡した。そういえば、この部屋。気密性も高く、エアコン一つで随分と室温が上がるらしい。今時の家ってやつか。おれの家なんて、昭和の建造物だからな。隙間だらけで、24時間換気システムが端からついているのと一緒だ。


 ボロボロの我が家に思いを馳せていると、鑑識の長沼が「おやっさん、ご遺体、運んでいいですか」と声を上げた。おれは、鷺への対応を荒川に任せて、彼の元に歩み寄った。


「なにか出ないか? おもしれーもん」


「殺しだって言いたいんですか? 所持品はスマホ、財布、車のキーですね。ああ、あとこれ」


 彼はそう言うと、ビニール袋に入れられているピルケースを取り出した。


「これは?」


「さあ。なんの薬でしょうね。持ち帰って調べてみますけど。この薬に毒でも入っているなんて、バカなことする犯人はいないですよ。今時」


 長沼は愛嬌のある笑みを見せる。ピルケースはどこにでもあるようなプラスチックの小さい容器だった。フィルムから外されて、錠剤だけが入っていた。


「持病はないと言っていたが。——奥さん。ちょっといいですか」


 おれは直子を呼びつけて、薬のことを聞いた。彼女は、「ああ」と興味もなさそうな表情で「花粉症の薬ですよ」と答えた。


「昔から、アレルギー体質だったって話していましたから。最近は温暖化ですしね。まだ杉の時期じゃないですけど。くしゃみや目のかゆみを訴えてたようですよ」


「へえ」


 おれと直子の隣を、担架に乗せられた一郎が運ばれていった。おれはそれに手を合わせる。しかし、直子はただ黙ってみているだけだった。


 ——やっぱりなにかあるな。あんたの無念はおれが晴らす。



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