4「家族にはなれない」

「なーんか、肩透かしって感じだったね」


 社務所での会話のあと、俺たちは讃岐神社の近くにある造健さんの家で一泊することになった。本当はすぐにでも出発したかったけれど、気になることがあったので彼の厚意を素直に受け取ることにした。

 で、その気になることっていうのは、やっぱり笹貫のこと。


「造健さんに会えば、いろいろわかるかと思ってたんだけどね」


 彼の家にいては話せることも話せない。

 そう思ったから、家の裏手に広がっていた竹林に来ていた。


「…………うん」


 努めて明るい声で笑ってみたけれど、彼女の返事は遅く、そして小さかった。

 思わず漏れそうになった溜息を噛み殺して、また口を開いた。


「あのさ、どうして造健さんの顔、見なかったの?」


 初めは、造健さんを巻き込むことに後ろめたさを感じているから、笹貫は黙り込んだのだと思ってた。でもひょっとしたら、そうじゃなかったのかもしれない。

 思い返せば、彼女は造健さんの顔を一度も見ていない。そのくせなにかを言いたそうに口元をもごもごさせて、それで結局諦めたような溜息を吐くばかり。


 言いたいことがあるなら、もっとはっきり言えばいいのに。

 そう思ってしまうのはきっと無責任なことなんだと思う。本心が上手く言葉になってくれないもどかしさや苦しさは、俺もよく知ってるつもりだったから。


「鳴海謙一と、鳴海蓮子と、鳴海螢。それが、みんなの名前だよ」

「へ……?」


 いきなり俺がそんなことを言い出したので、彼女は目を丸くした。そりゃそうか、と少しだけ笑う。力なく、それでいて寂しげな笑いだったと自分でもわかる。

 軽く伸びをしながら、なんてことない話をするように告げる。


「謙一は警察官で、蓮子は専業主婦。螢は受験生。いい人たちだよ。で、仲が良いんだ。謙一は忙しいからあんまり休みとかなくてさ。でも、たまの休みの日には、家族で一緒にゲームとかして遊ぶんだよ。そのときばっかりは螢も勉強しないんだ」


 笹貫に話せと迫る前に、俺がどれだけちっぽけで情けないヤツなのかっての知ってもらおうと思ったんだ。そうすれば、もう少し彼女も話しやすくなるかもしれない。


「でも、それは俺以外の話。いっつも俺は蚊帳の外にいようとしてた。お父さんお母さんって呼んだことはないし、一緒にゲームしようって誘われても断ってきた」


 だからかなぁ。

 空を見上げたまま目を細め、心の底で澱んていたヘドロみたいな本心を吐露してみた。苦いつばの味が口の中に広がっていく気がして、目元に血が集まった。

 泣きそうになりながら、声を震わせた。


「……あの夜、玉枝と戦った夜ね、家を出る前にみんなと喧嘩したんだ。……ううん。ちがうかな。喧嘩じゃない。俺が一人で駄々こねて困らせちゃっただけ。『家族じゃない』って、言いたくもないことを言っちゃったんだ」


 あの優しい人たちは、そんな俺を叱るでもなく、睨むでもなく、ただ悲しんだ。俺と家族になろうと懸命に歩み寄ってくれていた人たちを、俺が拒んでしまったんだ。

 最低なことをした。最低なことを言った。

 だから──。


「あの瞬間、俺は本当の意味であの人たちの家族にはなれなくなった。そんな気がして……だからもう、あの家には帰れない。あの夜俺は、遠くに行こうと思ってた」


 俺の居場所は、きっとここではないどこかにある。

 そんな言い訳で身を守って、当てもなく旅に出ようと思った。


「……うん」


「俺はさ、ずっと、生まれてすぐ親に捨てられたんだと思ってたよ」


 月の都だとか〈月堕〉だとか。そういうのは全部知らなかったんだから。

 ただ、捨てられただけ。要らない子だったから。俺の存在が、俺の本当の両親の足かせになってしまうから。あるいは──。


「でもね、そのことで親を恨んだことはなかったよ。顔も名前も知らない両親のことなんて、恨めるはずもなかったんだ。だから俺は、俺自身に理由を求めるしかなかった。……俺が悪いヤツだったから、とかね」


 それが間違った論理だってことは、よく知っている。赤ん坊ができる悪事なんてたかが知れてるし。でも、そのくらいしか思いつかない程度のバカだったんだ。


「俺が悪い子だったなら、祝福されずに生まれた子供なら、きっとその人生は碌なもんじゃない。いつかきっと、鳴海家のみんなにも捨てられる。ちっぽけでくだらなくてゆがんだ性根がみんなにバレて、呆れられて見限られて捨てられる」


 それがくだらない被害妄想だってことも、とっくの昔に知っている。

 彼らはきっと俺を家族として愛してくれる。いつまでも、ずっと。

 けれどそれこそが、俺の不安の源泉だった。

 一方的に押し付けられるように与えられる愛情に、俺は責任を負えないから。


「俺はなにも返せないのに、どうしてみんなは俺を家族として扱うんだろう。……いろんなものを買ってくれたり、学校にだって通わせてくれたりしたのに、その恩に報いることもせず、そんなことばっかり考えてきたんだ」


 端的に表現するのなら、それは愛情に怯えていただけ。

 もらったものの大きさに耐え切れなくって、だから逃げたくなったんだ。

 そう言って笑ってみせると、彼女はおずおずと問いかけた。


「……少し、訊いてもいい?」


 その問いかけが、彼女が俺を知ろうとしてくれていることのように思えたので堪らなく嬉しかった。俄かに浮足立つ心を諫め、微笑みながら呟く。


「いいよ。なんでも訊いてよ」


「……月に帰ることとか、家族とちゃんと話さなかったこととか……後悔してる?」


「おぉ……考えないようにしてたことじゃん」


 予想外の言葉をぶつけられて、つま先で地面を叩く。

 それから髪を触って目を閉じて、心を落ち着けてから呟いた。

 本心は、意外にもすんなり零れ落ちた。


「後悔。うん。してるよ。もっとちゃんと話をすればよかった。もっとちゃんと仲良くしておけばよかった。もっとちゃんと…………恩返し、したかったなぁ……」


 口にした瞬間、ぶわぁ、っていろんなことを思い出した。

 熱を出したときに手を繋いでくれたこととか、夕食の買い出しをしたときにお菓子を買ってくれたこととか、高校に受かったときに涙を流して喜んでくれたこととか。

 本当に、ちゃんとわかってたんだよ。

 愛されてたことくらい。

 だってのに、俺はあの人たちを信じられなかったんだ。


 なんだか大声で泣き叫びたくなって、誤魔化そうと思って早口で続けた。


「ぁ、え、まぁ、あれだよな。ほんっと、意味わかんないよ! 〈月堕〉とか、月の都とかさぁ! 意味わかんないといえば、一番はあれだよ。珂瑠はなんで不老不死に成りたがってるんだろうな。不死なんだからそこで満足しとけよって感じ!」


 独りで無駄に笑ってから、溜息を零して改めて自分語りの終わりを告げる。


「少し長くなったけど、それだけ。これだけが、俺のこれまで」


 自分語りにしては無駄に長くて、でも、人生の足跡としてみればひどく短い。

 たった十六年の、俺のすべてだった。

 家族との距離感が掴めなくて悩むなんて、よくある話だと思う。

 だけどやっぱり、俺にとっては人生レベルの大問題。


「さて。笹貫。今度はそっちの番だよ。笹貫郁子のこれまでは、どうだったの?」


 いやなら話さなくてもいいけどさ。なんて逃げ道は用意してあげない。


 俯く彼女を横凪ぎに照らす斜陽がまっすぐ伸びた鼻梁に当たり、その反対側に影を彫る。筋状の黒色は、血の涙が乾いたあとのように見えた。

 多分、笹貫の両親はもうこの世にいないんだと思う。だって、旅に出るっていうのに、彼女は家族の心配はおろか、連絡を取ってる様子さえ見せなかったから。

 彼女が携帯電話を持っていることを知ったのは、駅で造健さんに連絡すると言い出したときだったくらいだし。


 いつかの夜に聞いた話は断片的で、だからこそ、いくつもの最悪のイメージが脳裏に浮かんでは消えていく。

 正直なところ、聞くのが怖かった。目を閉じて、耳を塞いでしまいたい。

 けれど、それ以上に、俺は知りたかったんだ。

 そして叶うことなら、一緒に背負ってあげたいんだ。

 だって俺たちは、同じように孤独に怯えて生きる同士だから。

 友達になりたいって、そう思うから。


「わた、しは……、本当はね──」


 しばらくの沈黙のあと、ようやく彼女は口を開いた。

 竹林を走り渡る風の音にかき消されてしまいそうなほどに、弱々しい声。

 その一音も聞き逃さぬように、俺は耳を澄ませた。

 でも。


「やぁやぁ。こんなところで会えるとは奇遇じゃないか」


 割り込む声に、俺と笹貫の時間が停まった。

 西空の赤を押しのけるように、東の空に昇った月が紺色を引き連れる。両色はちょうど天頂上で混ざり合い、紫とも言い難い不完全な色となる。叢雲の隙間からときおり覗く一番星が、ちかちかと切れかけのまめ電球みたいに瞬いた。

 赤にも青にも染まれずに、そのうえ道標さえ不確かな黄昏を背に──


「……燕貝」


「あぁそうさ。僕だよ。瓜丈高」


 会いたかったよ、と狂人は笑った。

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