第41話 抱かれた女は、皆、被害者

「はい」


 病室の中から来紀の声が聞こえた。


 扉を開け中に入ると、そこには頭を包帯で巻かれ、左足を吊るされた来紀の姿があった。


「おはようございます、お兄様」


「おせえよ」


 来紀は顔に笑みを浮かべて言った。


「いやあ、スマートフォンの電源を切ってたからさ、連絡が来ていたこと朝まで気づかなかったんだよ」


「ひょっとして、女の所にいたのか?」


「まあ、平たく言えば」


「どうしようもない奴だな」


「うん。知ってる」


 二人は互いに軽く笑い合った。


「由佳さん、怒ってたろ?」


「それが、全くお咎めなし」


「えっ? そうなんだ」


「やっぱり、おかしいよね」


「大世。莉凛の神のお告げ覚えているか?」


「異性問題に注意しろって、言われたやつ?」


「ああ。俺はお前が由佳さんに叱られることが、それだと思ってたんだよ」


「兄さん、あんなの信じていたの? 偶然に決まってるじゃん」


「そうかもしれない。だけど、俺は莉凛が裏で何かしら手を回しているんじゃないかと疑っているんだ」


 来紀の表情を見る限り、彼は本気で言っているようだった。


「確証はあるの?」


「ない。だが事が起きるタイミングがあまりにも良すぎる。大世、くれぐれも女には気をつけろよ」


「分かった」


 来紀の言葉を聞いて、大世は一応、心に留めておくことにした。




 病室を出て、先ほど来た道を戻ると、エスカレーター前の待合室で由佳がイスに座って大世を待っていた。


 由佳はこちらの姿に気がつくと、イスから立ち上がり、こちらへ向かって来た。


「ご苦労様でした」


「ああ」


「これから、本部に行きますよね? 私、車で来たんで送りますよ。ついて来てください」


「分かった」


 大世は言われた通り、由佳の後ろをついて行った。


 移動の最中も、大世は由佳に話しかけることが出来なかった。


 気軽に話しかけられない雰囲気を、彼女がまだ醸し出していたからだ。


 彼女の方もずっと口を閉じたままだった。


 病院を出て駐車場に入ったところで、やっと由佳が口を開いた。


「大世さん。昨日の夜からずっとジュリアさんの所にいたんですか?」


「ああ」


 今、なぜそんなことを聞くのか分からなかったが、誤魔化す必要もないので、大世は正直に答えた。


「そうですか」


 由佳は足を止めた。


 大世も彼女に合わせて立ち止まった。


「大世さん。私、なんだかんだ言って、最後は私のところへ戻って来てくれるって信じていました。だから、大世さんが浮気しても、怒りはしましたが、それ以上、責めなかったんです。でも、それ間違っていました。大世さんにとって、私は遊び相手の一人だったんですね」


 由佳は持っていたバックに右手を入れながら、笑顔で大世の体にぶつかって来た。


 すぐにお腹の辺りに、痛みが走った。


 由佳が体から離れたのでお腹を見ると、ナイフが深く刺さっていた。


 そういうことか。


「もう嫌。これ以上、こんな思いしたくない」


 由佳が大声で叫んだ。


 大世は静かにその場に座り込んだ。


 近くで誰かの悲鳴が聞こえた気がした。


 だが、大世にとって、そんなこと、もうどうでも良かった。




 今大世が刺されたという通報は、N県警に大きな衝撃を与えた。


 被疑者の女性はすぐに捕まったが、銃撃事件があった矢先に起きたことなので、それと関連はないか慎重に捜査が進められることになった。


 刺された大世は、たまたま駐車場に医師がいたことで、かろうじて一命を取り留めることができた。


 秋田と喜代次は、上司からいつもより慎重に話を聞くよう命を受け、被疑者の取り調べを始めた。


「まず、名前と年齢を教えてください」



 喜代次はゆっくり被疑者の女性に話しかけた。


「下平由佳。年齢は31です」


「住所は?」


「N県N市大神町4–13です」


 由佳はたんたんとした口調で答えた。


「ご職業は何ですか?」


「宗教団体、新しき学びの宿で総務を担当しております」


「今大世さんのことは、もちろんご存知ですよね?」


「はい」


「今日の午前中、彼をナイフで刺しましたか?」


「はい。間違いありません」


 由佳は平然と答えた。


「なぜ、今さんを刺したのですか?」


「彼への天罰と、自身の心の解放を願い刺しました」


「天罰ということは、今さんは何か罪をおかしたのですか?」


「彼は兄が大怪我したにもかかわらず女の家にいて、すぐに病院へ駆けつけませんでした。それを見て、この男には天罰を喰らわす必要があると思ったんです」


「では、心の解放とは、どういう意味ですか?」


「彼のことでもう心を煩いたくないという意味です。私は以前から彼とお付き合いしていました。ですが、何度も浮気され、私が何度言っても止めてくれませんでした。今回のことで私は我慢の限界に達し、彼の存在を永遠に消してしまおうと思ったんです」


「そうだったんですか。刺したナイフはどこで手に入れましたか?」


「駅裏にある商店街の雑貨店で購入しました」


「それは最初から大世さんを殺すために購入したものですか?」


「そうです」


 由佳はあっさりと認めた。


「今回、今さんが遅れる原因になった女性のことはご存知ですか?」


「はい。松岡ジュリアというバー・トロピカルのホールスタッフです」


「彼女にも危害を加えようとは、思わなかったんですか?」


「なんで、そんなことするんですか? 彼に抱かれた女は、皆、被害者ですよ」


 表情を見る限り、彼女は本気でそう思っているようだった。

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