第16話 ※七瀬沙織の最後〈七瀬視点〉

 

 沙織は遥を橋の下に突き落とした後、力なく歩いていた。

 なぜだろうか。

 さっきから足が恐ろしいほど重いのだ。

 足だけじゃない、歩けば息も上がり、まるで自分の体ではないみたいだ。

 しかも先程まで聞こえていたイケメンの声が聞こえなくなったし、その姿も見えなくなってしまった。

 

 イケメンの名前は彰人あきと

 年商10億の20代の実業家で今が旬のイケイケの男。

 数多の女にアプローチされていたが、一億年に一度の美少女である私に一目惚れをして、毎日チヤホヤしてくれる最高のイケメン。


 八代の女を橋から突き落とした後、頑張った私を労わり、慰めてくれた。

 沙織は悪くない、よくやったって。

 悪いのは沙織を虐めたあいつらだって。

 その後、彰人の家で私のことを可愛がってくれるはずだったのに。

 

 だけど、なぜか彰人の姿が見当たらないのだ。

 橋から八代の女を突き落とした後、一緒に歩いていたはずなのに、ぱったり姿を消してしまった。

 どこに、どこに行ってしまったのだろうか……。

 

 心の支えを失った沙織は途方に暮れるしかなかった。


 ドンと誰かと肩がぶつかり、水たまりに尻餅をついた。


「どこ見て歩いてんだ、ババア‼」


 見れば、パーカーを着た数人の如何にもといった風貌の若い男のグループだった。


――あぁ、本当にこういう野蛮な言葉を吐く非常識極まりない男は吐き気がする。女を労わるのが男の役目でしょうが。女にぶつかったら男の方から手を差し伸べるのが礼儀でしょうが。

 分かってる?

 女を大切にできない男はモテないし相手にもされないの。

 てか、あんたたちのせいでパンツもびしょびしょ。弁償しなさいよ。でも、あんた達みたい奴らが選ぶセンスの悪い下着はつけないけどね。というか、美しい私を突き飛ばすとは何事よ。

 万死に値するわ。

 本当にむかつく。

 こういうゴミ男は早く社会から消えてしまえばいいのに。


 チッと沙織は舌打ちをした。


「おい、みんな見ろよ! このババア。制服着ているぞ? いい年してコスプレしてんじゃねーよ!  しかも、似合ってねー‼ ぎゃはははは!」


 何を言っている。

 目の前にいるのはピチピチの女子高生だ。

 しかも、芸能事務所にスカウトされて、これから一億年に一度の美少女として芸能界に華々しくデビューして、周りからちやほやされて数多の栄光を掴み、彼氏が途切れないで、人気絶頂で結婚して引退するのを惜しまれながら仕方なく引退したけど、そこから可愛い子供ができて、ママタレントとしてまた一世を風靡ふうびする絶世の美女のはず……。

 それがコスプレババア……?

 どういうことだろうか?

 こいつらは頭が可笑しいのか?

 やっぱり野蛮で低知能な奴らに私の美しさは分からないのだ。

 ははっ、本当に救いようのないどうしようもない奴ら。


「ババアには興味ねーんだわ。じゃあな」


 男の吐いた唾が沙織の頬に当たった。


「てめぇは地べたの泥水すすってる姿がお似合いだわ」

「……な、何ですって!」


 あ、あれ、おかしい。

 声が掠れている? 

 沙織は立ち上がったが、足がもつれてしまい、水溜りに顔から突っ込んだ。


「本当に啜ってるわ、こいつ! しかも、自分で! ざまぁねぇな! 一生そうしてろや!」

「く、くぅぅぅ……」


 沙織は水溜りから這い上がれずにいると、男共の笑い声が遠くなる。

 沙織はなんとか体を起こし、壁を伝いながら、近くのお店のショーウインドまで歩く。


 そこで、ガラスに映る自分を見た。


「なにこれ……なによこれぇ……」


 そこには男たちが言うように制服を着た醜い老婆がいた。

 沙織は自分の顔を擦り、自分の顔にできた皺を伸ばそうとするが、元に戻らない。


 こんな顔じゃ、イケメンに愛してもらえない。

 彰人が愛想をつかすのは当然だ。

 美しくない自分に価値はない。

 イケメンに好かれない自分に価値はない。

 誰にも愛されない自分には価値がない。


 どうして、どうして、どうして――、どうしてこうなった⁉

 まさか――。

 ふと、先程銀髪美少女と交わした契約を思い出した。

 彼女に復讐を誓ったあの後、口づけをされた。

 すると、体の内から不思議な力が湧いて来て、妙に気分が高揚したのだ。

 自分なら何でもできる。

 できないわけがないと――。

 現に八代の女のことを想えばそこにテレポートができた。


 その結果……。

 これは自分が犯した罪の代償か、はたまた細やかな願いを叶えてもらった代償か。

 

 いずれにせよ、沙織は醜くなり、誰からも愛されなくなった。

 

 そして、二度と戻らないその醜い容姿に沙織の心の中でプツリと何かが切れた。

 沙織はトボトボと死んだ魚の眼をして歩き、気づかず赤信号の横断歩道へ足を踏み入れる。


――と、光が沙織を照らした。


「ははっ……」


 沙織の頬から一筋の涙が流れると、クラクションと共にやって来た自動車にかれ、地面を転がる。


 真っ暗闇な夜空を見て沙織は思う。


――死んでない。

――なにそれ。

――これからこの姿で生きていかなければならないなんて、とんでもない生き地獄じゃない……、本当に最悪、最悪ねぇ……。


 そして、沙織は嗚咽を漏らしながら、そのまま救急車で近くの病院へ救急搬送された。

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