十五錠目 女学生たちは天候を服用する。

 「あーし、雨女でさ。困んのよね大事なときには雨ばっか」

と、未知が視線を向ける窓の外に広がるは重たい雨雲。今にも泣き出しそうとはこれか。

「まだ降ってないじゃん」

「もう降るよ」未知がスマホの画面をあたしに向ける。天気予報のアプリで、降水確率はゼロ%。「さすがあーし。気象庁を上回る絶大な能力。もはや呪い」

「みんなおんなじようなこと言うよ。かくいうあたしも雨女な気がする」

出掛けに振り始め、電車の中では雨が止み、駅を出ると降り始める。もうピンポイントで低気圧に狙われているとしか思えない。

「そういうのすっごいわかるわあ。あーしもそんな感じ。普通のひとは犬の散歩じゃん。あーしの場合は雨雲の散歩だもん」

「大袈裟なんじゃないのかなあ」

「六年前にさ、豪雨で洪水になって山ん中の村ひとつ流されちゃったの、覚えてねえ」

「そんなこともあったかね」

「あんときあーし、あの村にいたんだよね。やばいとこで助かったんだけど、知ってるひともなんにんか」

「それは未知とは関係ないよ」

あたしは即座に言った。ものの捉え方はいろいろそれぞれだから、世界人類の悪行のすべてが自分のせいと考えるのは、それがどれだけ本気であっても構わない。本当にそうであっても構わないくらいだけど、具体的に義務や責任を負って成したことではないのに悩むというのは健全なことではない。

 少なくともあたしは、そういう捉え方が嫌いだ。だけど未知が嫌いなわけではない。

 未知はあたしの勢いに動じることもなく、変わらぬ表情であたしを見る。

「関係あるかないか、そりゃどーでもいいよ。大雨が降ったって、必ず土砂崩れになるとは限らんし。そんときだって、警報が出てるのに逃げなかったひとが被害に遭ったって話だし」

「でも未知は関係あると思ってるよね。わざわざここでそんな話を持ち出すんだから」

あたしは追及せざるを得ない。他人の悩みなんか関係ないや、という気持ちを持ちつつ、でも相談されたら出来る限りをしておきたいというのは本心なのだ。だから、未知の気持ちがわかるから、と言い換えてもいい。

「ま、そうかもね。典は心配してくれてんだもんね」

「うん」

「心配してくれてるってことは、あーしが雨女だと思い込んでるってことも、なんとかしてくれるかも知んないってことよね」

「ま、まあ」

「思い込みなのかねえ」

連続した物音が響き始める。気がつけば大粒の雨が窓を叩いている。数人の女学生が残っている教室からは、暗い歓声が上がるほどの強い雨。

「ほら降り始めた。今日はこのあと、塾にいかなくちゃなんないんだけど、土砂降りの中カッパ着て自転車漕いで行くの、鬱っすよねえ」

雨雲のように重く深い未知の瞳。押し流されそうだ。いや、未知の思い込みを否定したあたしがこれではいけない。軽く首を振って気持ちを入れ替える。

 長引くことは遭っても、停滞したままの低気圧なんてものはないのだ。

「わかりました、偽薬を処方いたしますので少々お待ちを」

「お願いします」

未知のまじめな声は冗談めかしていて、それでいて切実だった。

 だから笑われるのを承知で相談に来たのだ。

 さて、雨とは気象現象である。地球の表面で発生する出来事なので、人間が理解できる範囲を越えている。

 何言ってんだ、科学の時間に習ったろ、水蒸気が発生して、上昇気流になって、冷やされて飽和して雨になる。どこも理解できないことなんかないじゃないか。

 ま、教師ならそう言うだろう。

 ではなぜ温められたら上昇しなければならないのか。冷えたら落ちなければならないのか。そこのところまで理解できるのか。

 こういう類を言葉で上手いこと説明したものを自然科学と言う。あたしは別に軽視してない。天気予報のお陰で傘の用意が出来るからだ。

 おかげで今日は傘なしで、このままならずぶ濡れで帰宅なのだが。

 でも、自分は雨女だと悩んでいる女の子にはなんの役にも立たない。科学的にこうなんだからその悩みは違うよ悩まなくていいんだよと偉い学者に言われて、未知が納得するか。もしかしたら納得するかも知れない。悩みとは頭の中の出来事で、科学的な説明も頭の中に流し込むものである。うまく融合して、脳内の現象として気持ちが落ち着く場合はあるだろう。

 しかもありがたく便利なことに、偉い学者がもたらした成果というのは、広く一般に知られている。どこでも調べが付くのだ。

 しかし、だ。未知が相談を持ちかけたのはあたしだ。科学的な説明が役に立たなかったからあたしのところに来る羽目になったのだ。

 科学が万能だなんて誰も言ってないから噛みつくつもりはないけど、科学では未知を助けることは、今のところ出来ない。

 いや、結局は科学でなんとかするのかなあ。あたしだって結果はわかんないんだよなあ。

 ざっくり調べた感じでは、生物はあまり降雨を気にしないようである。俗説では猫のヒゲだとか蛙とか燕とかいろいろあるのだが、あくまで俗説のようだ。概ね、動物が濡れるのを気にするのは人間で、動物の方はあまり気にしないようだ、という話ばかりであった。ただ、予知的な行動はしないまでも、雨宿りはするようだ。

 人間と変わらんじゃんか。

 雨を避けると言えば、外国人はあんまり傘をささないという話を聞いたことがある。インタビューされると、我々からしたら結構な雨の中にいるのに、なぜ傘をささないのかって、これくらいならすぐ乾くから傘なんかささないよ、邪魔だからね、みたいなことを言っていた。

 人間と雨の関わりですぐに思い浮かぶのは、雨乞いである。なぜかはわからんが、キャンプファイアーの前でふさふさのついた棒を振っている光景だ。何かで見たんだろうけどね。いや、実物じゃあないはずだ。

 実物を見たことがない理由は、雨乞いが必要とされない時代に生まれてしまったからだ。雨量が不足し水不足が叫ばれても、雨乞いは見たことがない。雨乞いをしたところで成功率は極めて低く、そんなものをあてにするくらいなら既に蓄えられている水を節約しながら使ったほうがいい。雨が少ない事態について、ある程度の予防措置が取られているのだ。

 でも雨乞いにも一応の科学的な根拠が与えられてはいる。でもそんなものよりも、如何ともしがたい事象に対して何かしなくちゃいられないという、死にたくないという気持ちが祈りに向かわせたのだろう。

 現代の我々は、科学の力で予防措置が取られている。でもそれが枯渇したらどうなるのだろうか。もはや雨乞いという手段は封じられてしまっている。科学の力で雨を降らせるか。

 諦めてあっさり死んだりして。いや、人間はそれほど潔くないなあ。

 降らなければ困るが、降りすぎても困る。

 昔読んだ、魔法が人為のパワーソースになっている物語の中で、大賢者様が現れて、世界は繊細で絶妙な均衡によって成り立っている。だから無闇に魔法を使ってはいけない。やたらに魔法を使うとその均衡が崩れる。

 あたしは安直なので、森林伐採による砂漠化のメタファーだと考えている。やたらと木を伐ったらいかんのだ。

 人間がやりすぎたおかげで人間がひどい目に遭うというのは、同じ人間がやらかしたことだけに腹は立つ。が、さりとて均衡によって成り立っている世界が人間に優しいかと言うと、そこそこやり過ぎをやらないと生き延びられない程度には過酷なんじゃないかという気がする。

 悲しみや怒りと隣接しているだけに言い辛いや。

 もうちょっと手応えのある話にしたいなあ。観念とか象徴で救われるのは、所詮その程度の話だろ。

 雨、というところに戻そうか。

 あたしたちは雨が嫌いなようである。ようである、と表現したのは、個人的には嫌いではない時があるからだ。寒暖に不快がなければ、濡れるのに差し支えがなければ、雨を眺めているのは嫌いではない。

 雨音を聞いていると、気分が落ち着く。ぱらぱらと不規則な、それでいてどこかしら一定のリズムを刻んでいるような打音は、睡眠導入には最適じゃないですか。

 あたしの場合は更に、台風警報が出ているような暴風雨の音でもすやすやと眠ってしまう、命を粗末にしがちな平和ボケである。

 ボケられる程度には安全な住処で過ごすことが出来るのも、人類の進歩の証だ。家賃がどうのと愚痴りあたしのバイト代からいくらか徴収する母親の顔と声は憂鬱だが、寝起きに心配がないのは大事なことだったのだ。

 それであっても場合によっては命の保証すらままならない。大人はいろいろと勉強して大人になってるんだから、安全だろうなあというところに安全だろうなあという建て方をしてるものだと思うのだが、流されましたとか押し潰されましたとかと悲しい話を毎年聞く。

 抗えるものと抗えきれないもの、最初から抗う気がなくて体裁だけ取り繕ったらやっぱり抗えなかったもの、とパターンはいろいろだ。

 やっぱりなあ、自然現象なんてものを相手にするとなかなか収束しない。

「退屈じゃろ」

「いや、おもろいよ典の話。でも、どうなるのやら」

「申し訳ない」

 あたしたちがひとときの形態を雨と呼ぶ水は、地球の上で循環する。水の話をするなら永遠に循環するべきだけど、なかなかそうもいかない。

 未知は雨女である。それが不幸かどうであるかは、場合による可能性がある。雨が降らなくて困る地域や時代にいたら、彼女は自分の存在に不安を覚えただろうか。

 雨はあたしたちがかろうじて生き延びていく上で欠かせないものなのだ。

 そうなんだよ、未知。

 それはわかっているのだろうけど、今生きている彼女の力は、ひとの命を奪った。未知の中ではそうなっている以上、他人がそれを崩すのは容易ではない。

 彼女は命を奪った。あたしの言葉であたしの中に、未知の現実を取り込んでみると衝撃が倍化することに気づく。こんな重たいものを背負って生きるのは辛い。でも、未知を助けようと思ったら、未知のありのまま、未知が思う未知を受け止めなければならない。

 あたしの感情は不安定になりつつあった。午後からの大気は不安定に云々という天気予報さながら。

 未知の力は沢山のひとを救う力があった。いや、そもそもがひとを生かす力なのだ。それが、そのときは。

 あたしは無意識にそんな言葉を口にしている。口にして、未知の辛さがわかって、泣いていた。

 涙で歪む向こう側に、泣いている未知がいる。

 そりゃ、辛いよねえ。

 洪水や雪崩、津波はあたしたちが暮らしている社会では、災害と呼ばれる。災いをもたらす。難儀を背負わせる。

 それだけか。

 大量に移動する土砂や水分は、それだけ養分を含んでいる。生物は住みやすいところに偏りがちで、吸収する養分も決まってくるから、特定の養分ばかり減っていく。地表に大幅な変化をもたらす自然現象は、それを撹拌して減った養分を回復させる。

 救いになるかどうかはわからないが、幸、不幸、幸運、不運と、人知を超えた自然現象は相容れない。

 だから、だから

「災害に遭ったひとたちを不幸だと言うなら、人類は不幸なのが当たり前なのだ。悲しむのは仕方ない。未知が悲しむのは、可愛そうだけど仕方ない。人間は、悲しいものを前提に、たまたま生きているのだから」

濁流のような涙。泣いてばかりも良くないけど、泣かなければ進めないときだってあるよ。

「ありがとう、典」

「では、あてにならない処方を」

「はい」

「どうせ降られますが、諦めて、ちょいちょいお買い物に出掛けるようにしてみてください。あ、ほんとに気が進まなかったら控えても大丈夫」

「はあ」

どうせ降られる、は、あーしの日常だ。でも、なんとなく億劫で籠りがちだったのもほんとだ。典に言われなかったら、本格的に籠城生活に入っていたかも知れない。 籠城ねえ。自分で自分を水攻めにしているようなもんか。

 出掛けようとすればやはり雨。傘をさして玄関を出るが、二十分も歩けば靴下はぐしゃぐしゃだ。不快極まりない。

 あーしだって濡れた靴下は気持ち悪いよ。

 しかも雨の日の、休日のショッピングモールなど不快になりに行くようなものだ。ひとが発する熱気や体臭がむむっと圧力をかけてくる。

 買い物に行けと言われて来てみたが、さほど欲しいものがあったわけでもない。ぶらぶらしてなんか喰って帰るかね。

 気分転換にはなったし。

 雨の多い季節ということもあるのか、店先にタオルが並んでいて、数人のお客さんが足を止めている。

 形こそどれも四角ばっかりだけど、大きさも色も柄も様々だ。あーしのうちには母親の趣味なのか、白っぽいものばかりだから目新しい。

 目新しいと言えば、見た目でわかるふっくら加減だ。見るからに柔らかそうで、思わず寝っ転がりたくなるようなふかふかの布団を連想する。うちのはもうちょっとぺたんとしてるけど、考えてみればここ数年、うちでは新しいタオルなんか見てないな。

 やや汗ばんだ体に、肉厚の、よく乾いて清潔なタオルはとても魅力的である。そういえば、タオルに顔を埋めてストレス解消というのを聞いたことがあったっけ。そのときは感覚的にわからなかったが、今はとても惹きつけられている。

 単色の、柔らかい色合いのバスタオルをふたつ購入。思えばバスタオルなんか買うの、人生で初だ。大きめの紙袋に入れてくれたのだけど、紙袋はぱんぱんだ。

 お腹も空いたのでフードコートへ。

 注文して席に着いて、紙袋を開いて両手の上にタオルを広げる。まずは洗濯してからと行きたいけど、もう我慢できない。内側になっている面を外に出して、顔を埋める。

 うわあ。ふっかふかで、もっふもふだあ。

 乾いて清潔なタオルは、まとわりつく何事をも吸い込んでしまう。湿気も、汗も、もやもやとした気持ちも。

 目を閉じたまま埋まっていると、どこか深い深いところをただよっているような気分になる。耳を塞いでいるわけではないのに、物音は距離を隔てたところから聞こえてくる。

 うすくうすく目を開くと、形のない世界に光だけがある。闇から抜け出て、曖昧な光の中を漂流する。

 意識が、遠くなる。

 耳だけで捉えて構築する外界は、混濁した意識と相まって形も時間もぐちゃぐちゃである。ラーメンの洪水。牛丼の山が大噴火。ピザの地割れに飲み込まれる人々。

 ああ、あーしのせいで亡くなったひとたち。ごめんね。

 いや、仕方ないじゃないですか。

 でもさ。

 雨が降らなければもっと悲惨ですよ。ね。

 首筋にちりちりとした刺激があって、その痛みに覚醒する。自分がおかしなことになっていないか確認しつつ、恐る恐るタオルを剥がして、うつつに意識を馴染ませていく。

 刺激の原因は、強い日差しだった。いつの間にか降ろされていたブラインドの隙間から、あーしを貫いている。目をしぱしぱさせながら見上げると、あの重い重い雨雲が嘘のような青空。

 どこまでも青空。

 外出して青空を見るなんて、いつぶりだろうか。ハンバーガーとポテトをお茶で流し込む。早く外に出て、青空を満喫したかった。

 畳み直したタオルは、いくらか湿っぽく、重くなったように感じられる。いくらか貯水してくれたということか。でもまあ、きっと降るときは降るだろう。何人もが悲しい思いをしたとしても、あーしはそれを見届ける。

 と、言い切れるほどあーしは強くない。典に、ちゅ、てしてもらって励ましてもらわなくては。

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