第5話 私と競輪⑤

そんな時、突然ドアが開きました。

驚いてそちらを見ると、そこには一人の女性が立っていました。

年齢は30歳前後といったところでしょうか?

背が高く体格の良い女性で、精悍な顔つきをしていました。

その人は私の顔を見ると一瞬驚きの表情を見せましたが、すぐに笑顔を浮かべて話しかけてきました。

「はじめまして、こんにちは」

私は戸惑いながらも挨拶をすると、彼女も返してくれました。

どうやら、彼女は彼女の知り合いのようでした。

「ちょっとあなた、大丈夫なの!?」

そう言いながら、慌てた様子で部屋の中に入ってくる彼女に対して、

美香さんは苦笑しながら応えました。

そうすると、今度は私の方に向かって話し掛けてきました。

「ごめんなさいね、驚かせてしまって……でも、この人は大丈夫だから安心して頂戴」

そう言って微笑みかけてくる彼女につられて、私も微笑み返しました。

それから少しして、彼女は帰っていきました。

帰り際に一言だけ言い残して行きましたが、その内容とは一体どういうことなのでしょうか?

気になった私は、後で調べてみることにしました。

そしてその夜、競輪場に向かう途中で再び彼女と出会うことになりました。

先日会ったばかりなのにどうしたんだろうと思っていると、彼女は言いました。

「今日も頑張ろうね!」

「はい、もちろんです! 頑張りましょう!」

と元気に答えていると、急に真剣な表情になり、こう切り出してきました。

「……あのね、実はあなたに話があるんだけど、いいかな?」

いつになく真剣な様子にただならぬ雰囲気を感じ取り、私は頷きました。

そうすると、彼女が話し始めました。

その話の内容は、私を驚愕させるには十分すぎるものでした。

何と、あの女性は私たちの共通の友人であるということが発覚し、

しかも彼女は私のファンだったのだそうです。

その事実を知った瞬間、私は嬉しさのあまり叫び出しそうになりましたが、

必死に堪えて平静を装うことに成功しました。

その後、色々とお話していると、いつの間にか競輪場に着いていました。

そして、いざレースが始まると、またしても例の二名の男性達が、

こちらに向かって手を振ってきました。

今度は無視しようかと思ったのですが、彼女が手を振り返したのを見てしまったので、

しかたなく私も振り返してあげることにしました。

そうすると、彼等は大喜びで飛び跳ねていたので思わず笑ってしまいましたが、

同時に少しだけ嫉妬してしまいました。

というのも、その時の彼女の顔が、明らかに嬉しそうな表情をしていたからです。

やはり二人はそういう関係なのかなと思いましたが、

私は敢えて気づかないふりをすることに決めました。

なぜなら、その方が面白いからです。

それに、たとえそうだとしても、今はこうして二人で競輪場に

通っているわけですから問題ないですし、何よりも、私には他にやるべきことが

あったのでそれどころではなかったのです。

それは何かと言いますと、レースが終わった後、

選手控室に戻る途中にある自動販売機の前を通ることでした。

もちろん、買うものは決まっています。

コーヒー牛乳です。

それも普通のコーヒー牛乳ではなく、特濃ミルク味というものを飲むことに決めていました。

何故なら、それが美味しいことを知っているからです。

実際に飲んだことはないのですが、噂によると相当濃いらしいので今から楽しみで仕方がありません。

そんなわけで、今日も張り切ってレースに臨むことになりました。

そしてスタート地点に立った私は、大きく深呼吸をしてからハンドルを握りました。

いよいよ始まりです。

ピストルの音が鳴り響きます。

それに合わせて一斉に走り出します。

まずは先頭集団に加わりたいと考えていましたが、やはりそう簡単にはいきませんでした。

後ろから迫ってきた選手たちに追い抜かれてしまうこともありましたが、それでも諦めるわけにはいきません。

最後の最後まで全力で走り抜けたいと思います。

第二コーナーを曲がり終え、直線に差し掛かったところで一気に加速しました。

ここで勝負をかけるしかありません。

そう思い立ち、全力を出し切ることを決意した次の瞬間でした。

不意に視界が真っ暗になったかと思うと、全身に強い衝撃を感じたのです。

何が起きたのか理解する暇もなく意識が遠のいていく中で最後に見た光景は、

真っ暗な空に浮かぶ星々の光だけでした。

気がつくとそこは病院の中でした。

ベッドの上で寝かされているようですが、身動きが取れません。

手足の自由を奪われていることに気づいた私は、必死になって抵抗しようと試みますが、

ビクともしません。

そうするとそこへ誰かがやってくる足音が聞こえてきました。

恐怖で身が竦んでしまいます。

そして、ゆっくりと扉が開き、現れたのは意外な人物でした。

その人物とはなんと美香さんだったのです。

彼女は私を見るなりホッとしたような表情を見せると、駆け寄ってきて言いました。

「よかった、気が付いたんだね」

その声に安堵している様子がうかがえました。

そこでようやく、自分が今どういう状況にあるのか理解できました。

どうやら、落車してしまったようです。

おそらく転倒した際に頭を強く打ったのでしょう、記憶が曖昧な部分があるようでした。

そんな中、一つだけ覚えていることがあったので尋ねてみることにしました。

「……すみません、ここはどこですか?」

そうすると、彼女からは思いがけない答えが返ってきました。

それを聞いて愕然とする私に、さらに追い討ちをかけるように続けます。

「……ここは病院だよ、覚えてない?

君はレースで事故を起こして、ここに運ばれたんだよ」

そう説明する彼女の顔は、どこか悲しげな雰囲気を纏っていました。

しかし、私にはその理由が全く分かりませんでした。

(なぜそんな顔をするのだろう?)

そう思いながらも黙っていると、やがて決心したように口を開きました。

「……ねえ、聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな?」

と言った後、少し間を置いてから再び話し始めた。

その言葉に衝撃を受けた私は呆然として黙り込んでしまいました。

そうすると彼女は、そのまま続けてこう言いました。

その言葉を聞いた途端、頭が真っ白になりました。

まさかそんなことになっているなんて夢にも思わなかったからです。

(じゃあ、今までのは全て噓だったの? いや、そんなことはありえない!)

頭の中で自問自答を繰り返しましたが、結局答えは見つかりませんでしたが、

それでも何とか平静を装って応えることにしました。

「わかりました、聞きましょう」

と言うと、彼女は安堵した表情を浮かべました。

その様子を見て、私は複雑な気持ちになりましたが、

それと同時に期待のようなものを抱き始めていました。

(もし彼女が私のことを好きだったとしたら、どうするべきかな?

うーん、悩むなぁ……まあ、とにかく話を聞かないことには始まらないよね)

そう結論付けた私は、覚悟を決めると、静かに耳を傾けることにした。

彼女から信じられない言葉が飛び出したのです。

その驚きの発言に私は耳を疑いました。

そして、何度も聞き返すものの結果は同じでしたので、ようやく信じることにしたのです。

しかし、どうしても腑に落ちない点があったので、その点について尋ねてみることにしました。

そうすると、彼女は少し困ったような表情を浮かべた後で言いました。

その内容というのは、次のようなものでした。

実は、彼女の正体は、この競輪場で働く従業員であり、

普段は裏方として働いていたのだが、ある日を境に場内に出るようになったということだった。

そして、偶然にも私と出会って恋に落ちてしまったのだというのです。

それを聞いた時、私は困惑しながらも彼女に尋ねました。

「それで、これからどうするつもりなんですか?」

そうすると、返ってきた言葉は驚くべきものでした。

どうやら、彼女は私が競輪場に通い続けることを希望しているのだそうです。

そして、そのためには何が必要なのかを一生懸命に考えてくれたようなのです。

そこまでしてもらった以上、期待に応えないわけにはいきません。

私は決意を固めて宣言することにしました。

彼女の目をまっすぐに見つめながら、こう宣言します。

「これからも、今までと同じように通い続けます!」

と言い切った私に対して、彼女は満面の笑みを浮かべると、大きく頷いてくれました。

それを見た私も嬉しくなって自然と笑みが溢れてしまいます。

それからしばらくの間、二人で笑い合っていたのですが、

ふとあることを思いついて提案してみることにしました。

それは、今後は恋人同士として付き合っていこうというものだったのですが、

彼女も快く承諾してくれたため、こうして私達は付き合うことになったのです。

その日以来、私は以前にも増して競輪場に通うようになりました。

理由は言うまでもなく、彼女と一緒に過ごす時間を増やしたかったからです。

彼女はとても献身的にサポートしてくれましたし、おかげで毎日が充実していました。

そして、今日もレースが終わったあとに会いに行くと、いつものように笑顔で出迎えてくれるのでした。

そんな彼女に向かってお礼を言うと、照れ臭そうに俯いてしまう姿が可愛くて仕方ありません。

それから私たちは他愛もない話をして過ごしました。

話題は主にお互いのことや、競輪場での出来事などです。

その中でも特に盛り上がったのはやはり恋愛関係の話でしたが、

それは二人だけの秘密ということで内緒にしています。

その代わりと言ってはなんですが、お互いの名前を呼び合うことになりましたので、

もう他人行儀な感じではありません。

そんなやり取りを繰り返しているうちに時間が過ぎていき、

夕方になって解散することになった時には寂しく感じてしまいましたが、

明日また会えると思うと頑張れるような気がしてきます。

だから明日も頑張ろうと心に誓うのでした。

次の日、私はいつもより早めに競輪場に到着しました。

まだ早朝なので誰も居ないと思っていましたが、既に何人か来ていました。

その中には見覚えのある顔がありましたので、挨拶をすることにしました。

その人は女性の方で、何度か顔を合わせたことがあったからです。

名前は確か、鈴木さんだったかと思います。

挨拶を交わした後、軽く世間話をしている内にあっという間に時間が過ぎてしまい、

いつの間にか始業時間が近づいていたので急いで着替えに向かいました。

そうすると、そこには美香さんが居てびっくりさせられました。

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