第3話 私と競輪③

合図とともに一斉に飛び出した私たちは、誘導員の後ろにしっかりと着いているのです。

そのまま一周目を誘導員先頭に皆、同じペースを保ったまま走っているのです。

三周目に入るところで誘導員がはずれると最初の動きが出てきました。

まず最初に動いたのは私の後ろにいる選手です。

どうやら捲りを仕掛けるつもりのようで、徐々に速度を上げていきます。

それに合わせるかのように私もペダルを踏む力を強めていきました。

しかし、そう簡単にはいかないようです。

というのも、私の背後にぴったりとくっついてきている選手がいたからです。

このままでは抜き去られてしまうかもしれませんでしたが、ここで焦ってしまってはいけないと考えました。

冷静に状況を見極めることに専念します。

そうすると、ちょうど良いタイミングで前方から風が来たのです。

それに乗じて一気に加速していきます。

後ろを見ると、まだついてきていますが、差は少し広がっているようでした。

このまま逃げ切ってしまおうと思っていたのですが、後ろから追い上げてくる気配を

感じたので急ブレーキをかけて減速しました。

そしてすかさず再加速すると、さらに距離を離していくことができました。

これでもう大丈夫だと思った矢先のことでしたが、今度は前方に障害が現れてしまいました。

しかもかなり大きなものです。

これでは避けることができませんので、仕方なく突っ込むことに決めました。

覚悟を決めた瞬間、目の前が真っ白になりました。

どうやらコースアウトしてしまったようなのです。

(どうしよう……失格になっちゃうのかな?)

不安でいっぱいになっていると、不意に誰かに抱きしめられたような気がしました。

驚いて顔を上げるとそこには見慣れた顔がありました。

それは紛れもなく彼女だったのです。

彼女は微笑みながら言いました。

「大丈夫、落ち着いて」

そう言われたことで冷静になった私は、再び前を向くと全力で漕ぎ始めました。

最初はふらついていましたが、次第に感覚が戻ってきて上手く走れるようになりました。

そうして無事にゴールまで辿り着くことができたのです。

その後、係員によって確認が行われましたが特に問題はなく、無事完走することができました。

ほっと一息ついた後で周りを見渡すと、他の選手達も続々とゴールしていました。

その中に彼女の姿もありました。

目が合った瞬間、お互いに笑顔になり、ハイタッチを交わします。

こうして私たちのレースは終わったのでした。

その夜、自宅に帰った私は今日の出来事を振り返りながら余韻に浸っていました。

(それにしても凄かったなぁ……まさかあんなことになるなんて思わなかったよ)

そう思いながらぼんやりと天井を見つめているうちにだんだんと眠くなってきたようで、

いつの間にか眠ってしまいました。

翌日、目が覚めた時には既にお昼近くになっており、慌てて支度をして競輪場へ向かったのですが、

途中で偶然彼女に会うことができました。

「あ、おはようございます!」

と言って駆け寄ってくる彼女に挨拶を返すと、そのまま並んで歩き出しました。

道中、昨日のことについて話しているうちにあっという間に到着してしまったので、

急いで更衣室に向かい着替えを済ませてからゲートへ向かいました。

昨日と同じく奇数列の2番に入り、出走の時を待ちます。

しばらくしてアナウンスが流れ始めると、周りの空気が変わったような気がして緊張が高まりますが、

それを振り払うようにして深呼吸を繰り返していました。

そして、いよいよスタートの合図が出されました。

勢いよく飛び出すと、まずは様子見のためにゆっくりと走り出します。

その後はコーナーに差し掛かるまで一定のペースで走り続けていたのですが、

突然背後から迫ってきたかと思うと、一瞬で抜き去って行ってしまったのです。

何が起こったのか理解できずにいると、次の瞬間には目の前に壁が現れていて止まれなくなってしまい、

激突してしまいました。

(痛いっ!)

あまりの痛みに悶絶していると、誰かが近寄ってきて手を差し伸べてくれたので、

その手を掴んで立ち上がりました。

その後、何とか落ち着くことができた私は、改めて状況を確認しようと辺りを見回してみたのですが、

どこにも彼女の姿はありませんでした。

不思議に思っていると、突然場内放送が鳴り響き、その内容を聞いた瞬間、驚きのあまり言葉を失ってしまいました。

なんと、今回のレースで最下位になってしまったため、明日のレースに出場できなくなったというのです。

それを聞いてショックを受けている私に、彼女は申し訳なさそうに謝ってくれましたが、

私自身は特に気にしていませんでした。

それよりも、明日以降のレースに向けて気持ちを切り替えようと考えていたくらいですから。

むしろ感謝したいくらいでした。

彼女が頑張ってくれたおかげで私が勝てたのですから、逆にお礼を言いたい気分でしたんです。

だから、気にしないでいいよって伝えたら、ホッとした表情を浮かべてくれました。

それから二人で帰り支度を始めたのですが、ふと気になったことがあったので聞いてみることにしました。

「そういえば、どうしてあんなに速く走ることができたの?」

そう聞くと彼女は照れ臭そうに笑いながら答えてくれました。

実は練習中にこっそり抜け出して一人で秘密の特訓をしていたらしいのです。

その成果が出たということなのでしょうが、正直言って羨ましいと思いました。

だって、それだけ努力しているということですから尊敬できます。

私も頑張らなきゃって思ったんです。

それで彼女にお願いしてみたんですけど、快く引き受けてくれましたよ。

本当に優しい子です。

そんなやり取りをしている内に別れの時間が来てしまったので、その日はそこでお別れすることにしました。

また明日会えると思うと楽しみになってきます。

今日はぐっすり眠れそうです。

次の日、いつものように競輪場へ向かう途中、交差点で信号待ちしていると、

隣にいたおじさんに話しかけられました。

なんでも最近始めたばかりだそうで、いろいろと教えて欲しいとのことだったんですが、

私もそこまで詳しいわけではないのであまりお役に立てなかったと思います。

それでも熱心に話を聞いてくれていたので悪い人ではないのだろうと思い、

少しだけお話しした後、その場は別れることになりました。

その後も何人かの方と話したりしながら歩いているうちに目的地に到着したので中に入って受付を済ませた後、

ロッカールームへと向かうことにしたのです。

中に入ると既に何名かの方がいらっしゃいましたが、皆さん常連さんばかりなので

顔見知りの方もちらほらいらっしゃったので軽く挨拶をしながら自分の場所を確保していると、不意に肩を叩かれました。

振り返るとそこには見覚えのある顔があったのですが、それが誰なのか理解するまでに少し時間がかかってしまいました。

何故ならそこにいたのはあの有名な選手だったからです。

それも女の子ですよ?

信じられますか?

名前は確か、えっと、すみません、忘れちゃいました。

とにかく凄い方なんです。

そんな方がこんな所に何の用だろうと思っていると、彼女は私の耳元で囁きました。

その声を聞いた瞬間、背筋がゾクッとする感覚に襲われてしまい思わず変な声が出てしまった私を見て、

ニヤリと笑みを浮かべる彼女でしたが、すぐに真剣な表情に戻るとこう言いました。

どうやら今日のレースで一緒に走ることになったみたいです。

それを聞いた途端、一気に緊張感が増してきましたが、同時にワクワク感も湧き上がってきてきました。

一体どんな走りをするんだろうとか、仲良くなれるかななどと考えているうちに自然と笑みが溢れてきてしまいます。

そうするとそれを見た彼女もまた微笑んでくれるのでした。

そして準備を終えた私達はコースへと向かいました。

いよいよ始まるんだと思ったら胸が高鳴ります。

やがてスタート地点に着くと係員の指示に従って位置につき、合図を待ちます。

その間に隣のレーンにいる彼女を横目で見ると、静かに目を閉じて集中している様子が窺えました。

その姿はとても美しく見惚れてしまうほどでしたが、それと同時に恐怖心のようなものを感じていました。

もし負けたらどうしようという気持ちでいっぱいになっていたのです。

でも、今更悩んだところでどうにもならないことは分かっていますから覚悟を決めるしかありません。

とうとうその時はやって来ました。

私は、大きく息を吸い込むとゆっくりと息を吐き出しました。

そして、ハンドルを握る手に力を込めるとその時が来るのを待っていました。

第1レースが始まりました。

一斉に飛び出した選手たちは横一線となって最初のカーブを曲がっていきます。

ここで遅れを取るわけにはいきませんから、気合を入れてペダルを踏み込みます。

グンッと加速して先頭集団の中に入り込もうと試みましたが、そう簡単にはいかずなかなか前に出ることができません。

焦りを感じつつも必死に食らいつこうと頑張りました。

しかし、やはり簡単にいくはずもなく結局そのまま最後の直線を迎えてしまいました。

ここから巻き返すことができるのか、不安になりながらも懸命に足を動かし続けました。

ぞうすると少しずつですが順位を上げることができています。

このままいけば勝てるかもしれないと思った矢先のことでした。

突然、横から飛び出してきた選手が視界に入ったかと思うとあっという間に追い抜かれてしまったのです。

何が起こったのか分からず呆然としていた私は、そのままゴールラインを通過していました。

どうやら負けてしまったようです。

悔しい気持ちが込み上げてくると同時に涙が溢れ出してきそうになった時でした。

後ろからポンっと優しく肩を叩く感触があったので振り返ってみると、そこに立っていたのは彼女の姿でした。

驚いて言葉を失っている私に彼女は言いました。

「大丈夫、次はきっと勝てるよ」

と励ましの言葉をかけてくれたことで元気を取り戻すことができました。

確かにその通りだと思いましたし、何より彼女の存在が大きかったと思います。

そんなこともあってすっかり意気消沈してしまった私を元気づけるためなのか、彼女はあるものを差し出してくれました。

それは一枚のメモ用紙でした。

何だろうと思って見てみると、そこには電話番号らしき数字の羅列がありました。

それを見ているうちに何となく察しがついたので尋ねてみることにしました。

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