おままごと (保育園男児(4歳) @保育園近くの公園 (その1))

「あ!パパー!」


 青いスモックを着た園児の集団の中から飛び出してきた悠馬が駆け足で近づいてくる。

 そのままの勢いで俺の足に抱きついた。

 息子が想像の斜め上を行く可愛さで、緊張で張り詰めていた俺の心が一気に弛緩する。

 思わずしゃがみ込んで「悠馬ぁ!」と抱きしめてしまう。


 悠馬のにおい。

 太陽をしっかり浴びた干し草のようなにおい。

 柔らかくてサラサラの髪が肌に気持ち良い。


 正直、がっかりされると思っていた。

 悠馬はママが大好きだ。

 どこに行くにも妻の手を握っている。

 手を離さないといけないから妻がトイレに行くのも嫌がるぐらいだ。

 俺の手は気が向いた時だけ。

 だから、今日、保育園のお迎えに行くと決まったときには、悠馬の塩対応に心が折れるのを覚悟していたのに。


「おかえりなさい」

「おかえりなさい」


 保母さん達が口々に挨拶をしてくれる。「今日はパパがお迎えなんですね」


「ええ。ちょっと、妻が風邪気味で」


 俺は我を忘れて息子と抱擁していたことに照れて、顔の表面が熱くなるのを感じながら返事する。

 かなり久しぶりに一人で来る保育園への緊張がまた少し戻ってくる。「帰りの用意は……」


 悠馬が「通園バッグ、取ってくる」とタッタッタとロッカーに向かった。


「ルカ。帰るぞ」


 不意に背後から襲い掛かってきた威圧的な野太い声に、俺は反射的に首をすくめた。


「あ。パパ」


 ルカちゃんらしき、可愛らしい女の子が人形を手にしてゆっくり立ち上がる。

 俺を見た途端に駆け寄ってきた悠馬とは違う、四歳とは思えない落ち着きと、淑やかさ。「ちょっと待ってて。片づけるから」


「おう」


 俺の横に並びかけてきた男性の丸太のように太い腕を見て、瞬時に目を逸らす。

 そこには猛禽類の顔のタトゥー。

 ヤバい人が来た。

 道路で会ったら絶対に目を合わさない。

 俺の人生で袖振り合うことはない世界の人だ。

 絶対に怒らせたくない。


「おかえりなさい」

「ども」


 保母さん達は少しも恐れている感じなくルカちゃんパパにも声を掛け、ルカちゃんパパも軽く会釈して応える。

 やり取りに慣れがある。

 ルカちゃんパパはけっこうお迎えに来ているのだろう。

 プロレスラーみたいなガタイの人だが、偏見はいけない。

 こう見えて、子育てに関しては俺よりも積極的なイクメンなのかもしれない。


「先生、さよぉならぁ」

「はい。悠馬君、さよなら」


 悠馬は通園バッグを手に走り寄ってきて、上靴を脱ぐ。

 下駄箱で交換した外履きのズックに足を突っ込み、俺の手を握りながら、トントンと爪先を床に打ち付ける。


「まだ明るいね。公園行こ!」


 普段、妻が迎えに来ているのは仕事帰りの六時ごろ。

 職場で、今日は風邪をひいた妻の代わりに保育園に迎えに行くと雑談をしていたら、周囲のお姉さま方に早く帰ってお迎えと食事の用意をせよと言われて、時間休を使って定時よりも二時間早く仕事を上がった。


 いつもより早く帰れる悠馬は外を指差して俺の手を引っ張る。


「分かった、分かったよ」

「ちょっと、悠馬君。上靴、持って帰る日だよ」


 振り返るとルカちゃんが悠馬の上靴を入れる手提げ袋を持っている。

 隣に立っているルカちゃんパパは紫色のサングラスで視線がどこに向いているのか良く分からない。


 そうだ。

 今日は金曜日だから上靴を持って帰ってくるよう妻に言われていたのだった。


「あ。そうだった」


 悠馬が気後れする様子もなく、ルカちゃんパパの前を横切ってルカちゃんから「ありがと」と手提げ袋を受け取る。


「ご、ごめんね。ありがとう」


 俺が軽く頭を下げると、ルカちゃんはぺこりとお辞儀を返してくれた。


 隣のルカちゃんパパは仁王立ち。

 胸板はゴリゴリに厚く、首筋も丸太のように太い。

 角刈りで襟足だけが長いマレットヘア。

 その刈上げられた側頭部に二本の細いライン。

 口ひげに顎ひげ。

 どこからどう見てもプロレスラーではないか。

 こういう外見が威圧的な人は意外に優しくて、ギャップにやられるのが定番。

 ぜひ、そうであってほしい。


「遠藤さん。ちょっと、よろしいですか?」


 年配の保母さんが声を掛けたのはルカちゃんパパだった。


「あ?何?」


 ルカちゃんパパの不機嫌そうな声。

 駄目だ。

 ルックス通り、態度も威圧的だ。


「給食代のことなんですけれど。口座変更の手続きが間に合ってなくてですね、大変申し訳ないんですが……」


 年配保母さんとルカちゃんパパとの間に不穏な空気が流れ出す。

 怖ぇ。


「パパ。公園行こ」


 再び悠馬が俺の手を取って引っ張る。


「そうだな。ちょっとだけだぞ」


 俺は保育園の中央に向かって「ありがとうございました」と声を掛け、玄関の扉を押す。


「パパ。ルカも公園行きたい」

「んあ?ああ、先、行っとけ」

「オッケー。悠馬君、行こ」


 ルカちゃんが俺と悠馬の間にスルスルと入ってきて、悠馬の手を握る。

 そして、二人で外へ駆け出した。


 マジ?

 悠馬、ルカちゃんと遊ぶの?


 俺は公園の滑り台の横でルカちゃんパパと二人で並んで我が子を見つめる状況を想像して身震いした。

 恐る恐るついて行くと、悠馬が俺を呼ぶ。



(その2へ続く)

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