後部座席で隠れて (高校一年生男子 @部活顧問の車の中 (その1))

 すっかり日が暮れて、心もとない照明がところどころを照らす山間の高速道路を車は走っている。


 隣の席で紗季がコートに包まって寒そうにしている。

 熱があるのだ。

 風邪をひいたらしい。


 俺は太ももの上に置いていたコートを紗季の膝に掛けた。


「しっかし、3四歩の垂らしが絶妙だったな」


 ハンドルを握る顧問の立花先生の口調が熱い。

 余程、俺が近畿大会のベスト4に残ったことが嬉しかったようだ。

 将棋部始まって以来の快挙だということで、自分のことのように喜んでくれている。

 紗季いわく、「他部や他校の顧問に自慢できるから、自分のことなんだよ」と。

 将棋部はこれまでずっと鳴かず飛ばずで、部員も少ないから毎年廃部の危機に瀕していたらしい。

 今年も俺が入って来なかったら部員が四人になってしまって部費が削減されるところだったとのこと。

 五月末の判定時期に五人いないと部費が半額になる。

 さらに二年連続で五人いないと部として認められず、部費はゼロ、部室は召し上げという憂き目に晒される。


 そして、我が高校は県大会でも常に初戦、二回戦で負ける常敗校。

 試合の日はいつも午後まで残れず肩身の狭い思いで会場を後にするのが恒例だった。


 それが今年は違う。


 近畿大会ベスト4。

 これは県内生徒の中でトップの成績だ。

 いつも下から見上げていた他校の顧問を急に見下ろす立場に上がって、立花先生はご満悦らしい。


「これで、少しは人気出るんですか?」


 俺はブレザーのネクタイを緩めながら訊いた。


 この大会で頑張れば、我が校の評判が上がって来年は新入部員がたくさん来る。

 未来の将棋部のためにも頑張ってくれ。

 今朝、立花先生は語気強くそう言って俺の肩に重荷を乗せてきたのだ。


「ああ。間違いない。来年は賑やかになるぞぉ」


 立花先生は声高に笑った。

 こんなご機嫌な顧問を初めて見た。「なぁ、紗季」


 うるさい。


 紗季は隣に座る俺が聞こえるか聞こえないかぐらいの声で文句を言って、コートを引き上げ、顔をすっぽり覆った。


「立花さん、体調悪そうです」


 居たたまれなくなって、俺が弁明する。


「高岡。ややこしいから、紗季のことは紗季な」


 立花先生は少し機嫌悪そうにハンドル指で叩いた。「紗季は自分からついて来たんだ。自己責任ってことだ。大人しく寝てるしかない。……次のサービスエリアで何か温かい飲み物でも買うか。高岡も腹も減っただろ?」


「僕はお腹は大丈夫です」

「あれだけ頭使ったんだし、エネルギー補充した方がいいぞ。育ち盛りだから、どれだけ食べても満腹にならないだろ。表彰式でちょっと遅くなったし、しっかり食べて帰ってもらわないと、親御さんに申し訳ない」


 確かに腹は減ってきたが、それよりも紗季のことが気になる。

 体調が悪いのに放っておいて、自分だけ食事にありつくことが気が引ける。


 やがて、車はサービスエリアへのランプウェイに進入した。

 夕食時だからか駐車場はかなり混雑している。

 フードコートも一杯だろう。

 でも、トイレに行っておきたい。


「立花さん。何か買ってこようか?」


 降りる前に声を掛けてみた。


 コートの中の紗季は無言だが、頭が左右に振られたのが見えた。

 何も要らないということのようだ。


「すまんな。ばい菌連れてきちまった。しっかり手洗いうがいしてくれ」


 建物に向かって歩きながら、立花先生が俺に謝る。「将棋部の宝にうつしたら大きな損失だって分かってないんだ、あいつは。体調悪いの隠して、何でついて来たんだか」


 俺は何と答えて良いか分からず、苦笑いを返した。


 トイレを済ませ、建物の中に入ると案の定フードコートは満席で、ごみごみしている。

 それに車に紗季を待たせていると思うと落ち着かない。


「コンビニで何か買います。そんなにお腹空いていませんし」


 隣の小さな建物に入っているセブンイレブンを指差してそう言うと、立花先生は不本意そうだったが、混雑するフードコートの様子を見て「仕方ないな」と折れてくれた。


 コンビニで適当にパンと飲み物を調達する。

 紗季のために体調が悪くても口にできそうなゼリー飲料も購入した。


 コンビニを出たところで立花先生のポケットから着信音が聞こえてきた。


 スマホを見た立花先生がうへっと顔をしかめる。


「教頭からだ。何だろ。悪いけど。先に車に戻っててくれ」


 立花先生はポケットから取り出した煙草をくわえつつスマホを耳に当てながら、コンビニ横の喫煙スペースに向かった。


 俺は小走りに車に戻る。


「おーい、紗季。起きてるか?」

「うん。あいつは?」


 紗季はコートから目だけを出して運転席の方を見た。

 風邪のせいでその声は朝から鼻にかかっていて辛そうだ。



(その2へ続く)

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