第39話 過去
激しく波打つ心臓と荒々しい息遣い。最初に感じたのは達成感ではなく、これでやっと解放されるという喜び。
『お前の価値など、魔鉱石のわずかな欠片にも満たない』
死してなお耳鳴りのように延々と聞こえ続ける声。眼下で血まみれになって倒れている男。震えている私の手。
ああ、これでやっと終わる。いや、終わりじゃない、始まりなんだ。部屋のなかも窓の外も真っ暗だったが、私には目に映るすべてのものが光り輝いて見えた。
もちろん、それは呪縛から解き放たれたことだけが理由ではない。私は手に入れたのだ。私を栄光へと導いてくれる素晴らしい存在を。
あれから気が遠くなるほどの時間が経った。今となっては、誰もが私に羨望の眼差しを向ける。何もかも思い通りだ。
ふかふかのソファとベッドで思い思いの時間をすごし、美味なものも毎日食べられる。誰もが私を神のように崇め、必死になって気に入られようとする。
とても滑稽なことに思えるが、私にはそれだけの価値があり、それだけのことをする権限があるのだ。
『いつか化けの皮が剝がれるぞ』
突然、どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! 私は神のような存在になったんだ! 今までもこれからも、私は絶対的な存在なんだ!
私は、私は――!
視界に飛びこんできたのは、見慣れたいつもの天井だった。天帝、サイネリア・ルル・バジリスタはベッドから半身を起こし、一つ息を吐くと忌々しげに髪をかきあげた。
うっとうしい夢。今さらあんな夢を見るなんて。
視線を落としたサイネリアは、そっと自身の腹部に手で触れた。眉間には深いシワが刻まれたままだ。昼間、ステラとネメシアから報告を受けてからというもの、サイネリアはずっとイライラしている。
まさか、リエッティ村の住人に生き残りがいたとは。その生き残りがテロリストを率いて、復讐のために私の命を狙っているらしい。
まあ、そこに関してはそれほど問題ではない。これまでも、多方面から恨みを買って命を狙われることはあった。問題は、魔鉱石の件だ。
もし、本当にテロリストが魔鉱石を保有しているのなら、それはいったいどこから? バジリスタではもうあらかた採掘し尽くしている。
いや、待って。リエッティ村のヤツらは、私の秘密を知っていた。それに、ネメシアはたしかこう言っていた。テロリストの小娘は、三年かかってリエッティ村の真実を突き止めたと。
もし……、もしアシュリーとかいう小娘が、情報を求めてハイエルフの里へ足を運んでいたとしたら? そして、そこから魔鉱石を供給しているとしたら? いや――
さすがにそれはない。そもそも、ハイエルフの里は見つけるだけでも容易でないうえに、結界まで張っている。エルフの娘が訪ねてきたところで、里に入れるとは思えない。
サイネリアはベッドのうえで小さく首を振った。
「いずれにしても……私を脅かすつもりなら容赦はしないわ」
やわらかな月の光がさしこむ部屋のなかに、サイネリアの冷たい声が響いた。
――笑顔を取り戻せたのは、間違いなくあの子のおかげだった。
「アシュリー様~! こっちなのです!」
「ち、ちょっと待って、デージー……は、速すぎ……」
肩で息をする私に、デージーはにぱっと太陽のような明るい笑顔を向けた。その屈託のない笑顔を見ただけで、動くのを拒否していた足が羽根のように軽くなった気がした。
リエッティ村に何があったのかを知るため、あちこちを周って情報収集をし始めてすでに一年が経っていた。最初の半年ほどは、とにかく辛くて、悲しくて、寂しくて、悔しくて、わけがわからなくて。
今思うと、本当に抜け殻のような日々を送っていた気がする。デージーはそんな私から離れることなく、常にそばにい続けてくれた。
「あ! アシュリー様! やっぱりこっちで合っていたのです! 宿を見つけたのです!」
バジリスタの隣国、フェルナンド王国。獣人の王が治める国だ。私とデージーは、フェルナンド王国の小さな街に立ち寄っていた。
少し先を行っていたデージーがこちらを振り返り、パタパタと駆けてくる。そして私の腕に自分の腕を絡めると、歩調を合わせるようにゆっくりと歩きだした。
「ありがとね、デージー。それにしても、私やっぱ体力ないわー……」
「えへへ。デージーは体力だけには自信があるのです!」
反対側の腕で力こぶを作って見せるデージーに、思わず頬が緩んだ。こんなに美少女で性格もよくて、しかも体力もめちゃくちゃあるとか無敵すぎる。
「アシュリー様! 今日もいっぱい歩いたので、夜は私が背中と腰をお揉みするのです!」
「い、いいよデージー。あなたも少しは疲れてるでしょ?」
「ぜんっぜんなのです!」
えー……ウソでしょ? かなり歩いた、ていうか、デージーはずっとぴょんぴょん跳ねながら歩いてたのに、あれで疲れてないとか。
「はぁ……やっぱり私も体鍛えなきゃな……」
「どうしてなのです?」
「だって、こんなんじゃ戦えないし。頭には多少自信があるけど、体力とか戦闘はからっきしだからさ」
自分で言ってて情けなくなった。
「問題ないのです! アシュリー様の敵は、ぜーんぶデージーが倒すのです!」
鼻息を荒くするデージーが愛らしくて、思わず「ふふっ」と笑みがこぼれた。こんなふうに笑えるようになったのも、全部この子のおかげだ。
豪語するだけであって、実際デージーは強かった。これまでの旅の道中、人間の盗賊やガラの悪い獣人、オークなどに何度か襲撃を受けたが、それらのほとんどをデージーが一人で倒してしまった。
小柄で可憐な見た目だが、戦闘種族と言われるオーガ族なだけあって、戦闘の強さは際立っている。
「デージー、本当に強いもんね。私、何度も助けられてる。本当は、私がデージーを守らなきゃいけないのにね」
「そんなことないのです! 私はアシュリー様に命を救ってもらったのです! だから、そんなこと言わないでほしいのです!」
「うん……ありがとね」
目頭が熱くなり、胸の奥底からはこみ上げるものがあった。デージーの優しさからくる言葉が嬉しくて、胸にしみて、自然と視界がぼやけた。
「アシュリー様のことは、デージーが絶対にお守りするのです! だから、安心してほしいのです! って、どうしたのですか、アシュリー様?」
泣きそうになっている顔を見られたくなくて、私は斜め上を向いたまま歩いていた。そんな私を不思議に思ったのか、デージーが心配そうに声をかけてくる。
ごめんね。そしてありがとう、デージー。あなたと出会えたことが、私は本当に幸せよ。私は絡めている腕をほどくと、デージーのしなやかな手をそっと握った。デージーの心と同じように、その手はとても、とてもあたたかかった。
――遠くで呼ぶ声が聞こえる。
「……シュリー……アシュリー!」
ソファに体を埋めていたアシュリーの肩がビクンと跳ね、ハッとしたような顔をした。
「どうしたん、アシュリー? さっきから呼んでんのに」
「あ、ごめん……ちょっと、ぼーっとしちゃってた」
首を傾げるダリアの隣では、ジュリアも怪訝そうな表情を浮かべている。同席しているストックやガーベラも、何やら心配そうな目をアシュリーへ向けていた。
「団長、お疲れなんじゃないですか?」
ストックの言葉に同意するようにガーベラが頷く。
「ん……大丈夫。ごめんね、会議中にぼーっとしちゃって」
そう口にしたアシュリーは、目を閉じると大きく息を吸いこみ、そしてゆっくりと吐いた。
「……よし。じゃあ、今後の動きについて伝えるね。多分、これが最後の大仕事になるわ」
ダリアにジュリア、ストック、ガーベラが同時に力強く頷いた。
「ネメシアたちは、すでに私たちが首都に潜伏しているとわかってる。
「たしかに、最近は昼間でも物々しいですからね」
ストックがアゴに手をやり顔をしかめる。
「うん。だから、もうもたもたはしていられない。一気に勝負をかけるわ」
「具体的に、どうやる? アシュリー」
ダリアからの疑問に「うん」と返事したアシュリーは、真剣なまなざしで静かに口を開いた。
「最後の作戦……それはね」
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