第10話 天才

「ア、アシュ――」


「アシュリーさまああああああ!!」


涙で顔をぐしゃぐしゃにしたデージーに勢いよく抱きつかれ、思わず後方へ倒れそうになるアシュリー。


「デ、デージー!? どうしてここにいるの?」


「あうう……デージーは、デージーはアシュリー様をお迎えに来ただけなのです~……悪いオーガと関係なんてないのです……」


えぐえぐと泣きながら言葉を紡ぐデージーをぎゅっと抱きしめたアシュリーは、前方へ視線を向けた。サッと視線を巡らせ、瞬時に何があったのかを理解する。


おそらく、素行の悪いエルフたちはデージーがオーガというだけで因縁をつけた。そこをネメシアに咎められ、トラブルになった挙句一名は殴り倒された、といったところか。


肩を震わせながら泣き止まぬデージーの頭を優しく撫でたアシュリーは、バツが悪そうな顔をしている二名のエルフをキッと睨みつけた。


「……あなたたち、この子……デージーに何か用かしら? デージーは私と一緒に暮らしている、家族のような存在なのだけど」


アシュリーの背後に立っていたダリアとジュリアが「初耳なんだけど」と言わんばかりの表情を浮かべ顔を見合わせる。野次馬たちのあいだにもにわかにざわめきが広がった。


「な……オーガと一緒に暮らしているだと? アシュリー、お前それは本当なのか?」


「本当よ。てゆーか、それのいったい何が問題なのよ」


忌々しげな表情を浮かべるエルフの男へ、アシュリーは虫けらを見るような目を向ける。


「て、天帝陛下はオーガに襲撃されたんだぞ!?」


「それとデージーにいったい何の関係があるのよ。たまたま天帝陛下を襲ったテロリストがオーガだからといって、あなたはこの国に住まうすべてのオーガを敵視せよと言うつもり?」


「ぐ……ぐぐ……!」


と、そのとき。アシュリーのそばへやってきたネメシアが、彼女の耳に顔を近づけると何かを囁いた。


「……それ、本当? ネメシア」


「ああ」


ネメシアから何やら耳打ちされたアシュリーは、先ほどまでとは比にならぬほど冷たい視線をエルフたちに突き刺した。


「あなたたち。デージーを連れ去って輪姦まわすつもりだったそうね」


「い、いや、それは……」


途端に口ごもり始めるエルフに、野次馬たちも呆れ始める。


「あなたたちのような腐れ外道が同胞だなんて、考えただけで反吐が出るわ。エルフの恥さらしよ」


「な、何だと!?」


辛辣すぎる言葉を投げかけられ、一名のエルフが激高した。今にもアシュリーへ飛びかかりそうな姿勢をとるが、すぐそばにネメシアがいるため迂闊なことはできない。


「明らかに自分たちより弱そうな女の子に因縁をつけ、性欲のはけ口にしようだなんて考える腐った奴は、エルフの恥さらしって言ってんのよ」


デージーを泣かされたうえに、そのような下卑た目で彼女が見られていたことを知り、アシュリーの怒りは頂点に達した。野次馬たちからも、「あいつらが悪いよねー」「さいてー」といった声があがり始める。


「ぐぐ……! てめぇ、アシュリー……天才だの何だの言われてずいぶん調子にのってるみたいだが、知ってんだぜ? 頭脳明晰な天才なのに魔法の才能はからっきしだってなぁ」


鬼の首をとったかのように、ニヤニヤとした表情を浮かべるエルフに、アシュリーは冷たい視線を注ぎ続ける。


「だから何? 私が魔法を使えないからといって、あなたたちに負けるとでも?」


「けっ……強がり言いやがって。戦闘なら間違いなく俺らが――」


ニヤついていたエルフがハッとしたように口をつぐむ。アシュリーの背後にいる双子のエルフ、ダリアとジュリアを視界に捉えた男たちの顔色が明らかに変わった。


「お、おい……あいつらって……」


「シャーデー家の……」


ダリア・シャーデーとジュリア・シャーデー。彼女たちもアシュリーとは違う意味で有名な存在である。


幼少期より戦闘の英才教育を受けてきた二人は、国内で開催される武闘大会で幾度となく上位入賞を果たした逸材だ。二人とも学業の成績こそ悪いが、魔法に関しては学園屈指の実力者でもある。


さらに、ドワーフのネメシアもいつでも殴りかかれる態勢をとっている。


「ふん……お強い仲間がいるから安心ってか? 天才様よ。所詮お前は、そいつらがいなけりゃ戦うこともできねぇ臆病者じゃ――」


「モカラ、ハギ、カラミンサ」


エルフの言葉を遮り、アシュリーがぼそりと呟く。途端に、エルフたちの顔が驚愕に染まった。


「な、なぜ俺たち全員の名前を……?」


学園の有名人であるアシュリーのことは誰もが知っていておかしくはない。一方、自分たちのような一介の生徒の名前をなぜアシュリーが知っているのか、エルフたちは訝しがった。


「モカラ、あなたが言ったんじゃない。私のことを天才、頭脳明晰と。私は、この学園に通う全生徒の顔と名前を記憶しているわ」


驚いたのはモカラたちだけではない。野次馬や、ひいてはダリア、ジュリアたちも驚愕の表情を浮かべる。アシュリーが天才であることは誰もが知る事実だが、そのような話は初耳だった。


「バ、バカな……そんなこと、あるわけ……」


「記憶しているのはそれだけではないわ。あなたたちが住んでいる場所、両親の名前、職業まですべて私の頭のなかに入っている。このようなときのために備えてね」


「は……で、でたらめだ……!」


顔を強張らせたモカラが、体をわずかに震わせながら吐き捨てる。ハギと、地面に尻もちをついているカラミンサも信じられないといった表情を浮かべていた。


「ええと、モカラ。あなたの父親はたしか行政庁の管理職だったわね。息子が幼女を攫って手籠めにしようとしていたなんて知ったら、どう思うかしら。行政庁の上層部へこの事実を伝えてもいいんだけど?」


モカラの顔からサーっと色が引いていく。ガタガタと全身を震わせ始め、そのまま地面へ膝から崩れ落ちた。


「ハギ、あなたは幼いころに父親が亡くなり、女手ひとつで育てられた。今回の件、お母様が知ったらさぞかしショックを受けるでしょうね」


アシュリーの言葉を聞き、口をパクパクさせながらよろめくハギ。


「カラミンサ。あなたの父親はバジリスタ城に仕えているのだとか。素晴らしく栄誉なことね。でも、公衆の面前で差別的な発言をし、幼女を攫って犯そうとした者の父親を天帝陛下は許しておくかしら? あなたもろとも、父親も処分されちゃうかもね」


「そ、そそ……そんな……」


尻もちをついたままガタガタと震え始めるカラミンサ。恐怖と絶望のあまり失禁し、股間の周りと地面がまたたく間に湿り始める。


横柄なエルフたちがやりこめられたのを見て、野次馬たちも溜飲を大いに下げた。が、それよりも野次馬たちは、学園始まって以来の天才と呼ばれるアシュリーの頭脳に驚きを隠せないでいた。


しばし呆けていたモカラたちだが、ハッと我にかえると三名そろってアシュリーの前にひれ伏し、地面に額を擦りつけた。


「す、すまない! 勘弁してくれ……!」


事の重大さを悟ったのか、モカラが必死に許しを乞う。先ほどまでの威勢の良さが嘘のようである。


「……勘弁してくれ?」


「い、いえ……勘弁してください……」


「……あなたたち、謝る相手を間違えているんじゃないの?」


いまだ怒りが冷めないアシュリーの口から吐かれる冷たい言葉に、モカラたちはハッとしてすぐさまデージーの前にひれ伏した。


「さ、先ほどはすみませんでした!」


「俺たちがすべて悪いです! 勘弁してください!」


「お願いします、許してください!」


いきなり土下座して謝り始めたモカラたちを見て、デージーの顔に戸惑いの表情が浮かぶ。おろおろとしながら、アシュリーの顔を見上げるデージー。


「あなたが決めていいのよ、デージー。あなたがこいつらを許さないというのなら、こいつらにはそれなりの罰を受けてもらう。どうする?」


「デ、デージーは、別にもういいのです……大丈夫なのです……」


「……そう」


微かに笑みを浮かべたアシュリーが、デージーの頭をそっと優しく撫でる。


「あなたたち、命拾いしたわね。これに懲りたら、自分たちの素行を見直しなさい」


パッと顔を上げた三名のエルフは、瞳に涙を浮かべて再度「ありがとうございます!」と感謝の言葉を口にした。


「……勘違いしないで。デージーは許しても私はあなたたちの行いを許していないわ。いつか自分たちの行動で反省の意を示しなさい」


「は、はい!!」

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