12.感情に任せた行動

 一晩を過ごした岩場を離れて、シュメルヴィは無言のまま、ピオニーにまたがって先を目指した。レクサルはその後に続く。

 砂漠には、何もない。時折、遠くに岩やオアシスのようなものが見えるが、よくはわからない。この砂の大地は、どこまでも続いているように見えた。シュメルヴィは、彼方を見据える――本当に、この先に『村』があるのだろうか。そもそも『街』では、外の砂漠には大したものはないと教わったが。

 それでも、進むしかないのだ。このもやもやを、どうにかするために。

 けれども、いまは落ち着いていた。それは何故かと言うと。

 ――レクサルが、ついに黙ったのだ。朝から先を目指して進んでいるが、朝食の時のやり取り以降、いままで一言も話していない。

 やっと、わかってくれたのかな、とシュメルヴィは思った。やがて先に昼休憩の予定地である岩場が見えてきて、二人はそこでピオニーから降り休憩したが、そこでもレクサルは一言も喋らなかった。ピオニーの調子を見て、食事を摂って、それから少し休んで。シュメルヴィが何となく、そろそろ行こうかと立ち上がれば、レクサルも立ち上がって。

 そうしてまた、二人は砂漠を進んだ。夕方までに、二日目の夜を過ごす予定のオアシスにたどり着かなくてはいけない。

 ――このまま、レクサルが黙ってくれているといい。

 そう、シュメルヴィは願った。そう、『村』に着くまでに。もう、もやもやしたくないから。苦しみたくないから。

 けれども。

 ――わかって、くれたんだよね。

 つと、シュメルヴィが振り返れば、ピオニーに乗ったレクサルは俯いていた。

 言い過ぎたのではないだろうか――急に、そう思えてきてしまったのだ。

 すると、途端に申し訳なくなってきてしまって。

 先程までの疑心や怒りは、どこにいってしまったのだろうか。それは自分でもわからないくらいだった。

 ――謝ろう。

 先を見据えて、シュメルヴィは決める。

 親友――確かにレクサルは決められた親友なのかもしれない。

 それでも、一緒にいて安心する存在なのだ。一緒にいたい存在なのだ。それなのに、こんな状態にしてしまって。

 悪いことを、してしまったな、と、思った。

 そうしてシュメルヴィは、ついに。

「レクサル」

 長く続いた沈黙を破った。すると、レクサルが顔を上げた。

 ……けれどもその顔は、やはりあの気味の悪い笑みを浮かべていて。

 それでも、シュメルヴィは。

 ……しかし、シュメルヴィが口を開く前に、レクサルが口を開いた。

「あっ、やっと話してくれたね、シュメルヴィ。もう大丈夫? 話さないのは、終わり?」

 ――レクサルは、何もわかっていなかった。

 それはまるで、命令されたから、新たに決まりを設けられていたからそうしていたと言うように。

 愕然としてシュメルヴィは言葉を失った。謝ろうと思ったことも忘れてしまって。

 レクサルは続ける。

「シュメルヴィ、僕は何かお話がしたいよ。親友らしくないよ」

 その考え方を、シュメルヴィはもう理解できなかった。

 ――裏切られたような気分だった。

 ――信じていたかったのだ。

 視界が、わずかに歪む。

「――もういい」

 そうして吐いた声は、上擦っていた。けれどもシュメルヴィは、気にせず手綱を強く握れば、ピオニーをより速く走らせる。レクサルとの距離を、開く。

「待ってよシュメルヴィ、速いよ」

 レクサルがそう言うものの、シュメルヴィは速度を落とさない。

「ついてこないで! もう、僕一人で行くから……帰って! 一緒に行きたくない!」

 大きな声で、怒鳴る。半ば悲鳴のような、声。

「もうレクサルなんて――大っ嫌い! 何が親友だよ!」

 そしてシュメルヴィは、ピオニーにより速く走れと命令する。ピオニーはくるくる鳴いて嫌がったものの、まっすぐに、風のように走らせる。蹴った砂が舞う。

 とにかく、一人になりたかった。 

 胸中にあったもやもやが、身体の至る所を縛っているようだった。

 ただただ、苦しい。

 ――そのことばかりを考えていたから、シュメルヴィは、何故ピオニーが走るのを嫌がったのか、なんて、考える余裕がなかった。

「シュメルヴィ」

 レクサルは名前を呼びながら追ってくる。ついてこないでほしいと言っているのに。どうしてわかってくれないのだろう……本当に、ひどい奴だ――。

 その時だった。大地が揺れたのは。

 シュメルヴィを乗せたピオニーが驚き、何の命令も出していないのに更に速度を上げて走り出す。シュメルヴィは振り落とされそうになって、とっさにピオニーの首に抱きつく。

 一体何が起きたというのだろうか。辺りの砂が、揺れに流れる。砂丘も崩れる。

 と、シュメルヴィが今し方通って来た背後。そこの砂が、まるで底が抜けてしまったかのように、地中へと流れ始めた。

 巨大な蟻地獄が姿を現れた。砂の流れる先、黒々とした穴を見れば、黄色に光る双眸が見えた。

 ――ダークムーだ。

 砂漠の地中に潜む怪物。巣穴の頭上に獲物が来れば、砂を流して巣穴に引き摺り込み、何でも食べてしまうという、恐ろしい怪物――。

 どうしてピオニーが嫌がったのか、やっとシュメルヴィは気がついた。ピオニーは、ダークムーの気配を感じ取れ、それ故に巣穴やその頭上を避ける――けれども無理矢理走らされたから、嫌がったのだ。

 しかし幸い、シュメルヴィはダークムーの巣からもう離れていた。揺れたものの、足元の砂は流れてはいない。

 けれども。

 ――聞きなれた声の悲鳴が上がった。それから、切羽詰まったくるくるという鳴き声。

 追って来ていたレクサルと、レクサルを乗せたピオニーが砂に流されるのを、シュメルヴィは見た。

「――レクサル!」

 とっさにシュメルヴィはピオニーから降りた。ダークムーの巣に駆けよれば、そのすり鉢状に流れる砂の上、レクサルを乗せたピオニーが必死に這い上がろうとしていた。だが、ピオニーは倒れると、そのままずるずると、底へ流されていく。それでも何とかもがき、抜け出そうとしている。

 背に乗ったレクサルは、ピオニーの首に抱きついていた。こんな状況でも、あの笑みを浮かべたまま。死が迫っているというのに。

 すぐさまシュメルヴィは荷物の中からロープを取り出した。端の一方を、自身のピオニーの鞍に結びつける。そしてもう一方は、

「――レクサル! これを!」

 どんどん底に流されていくレクサルに投げた。

 レクサルはロープをしっかり掴んだ。それを確認して、シュメルヴィは、

「引き上げるから、しっかり捕まってて!」

「――ちょっと待って!」

 ――その時のレクサルの声に、シュメルヴィは耳を疑った。

 それほどに……大きな声だった。

 見れば、レクサルはロープをピオニーの鞍に結びつけようとしていた。だがピオニーは暴れもがき、なかなか上手くいかない。もう、ダークムーの黄色の双眸は、すぐそこまで近づいてきているというのに――。

「レクサル!」

 シュメルヴィは、喉が切れてしまいそうなほどの叫び声を上げた。

 ――レクサルを失いたくなかった。

 と、レクサルのピオニーが大きく鳴いて暴れた。途端にレクサルはついに投げ出される。けれどもロープは掴んだまま。流れる砂の上で、ぶら下がるかのようにその場に留まる。

「しっかり掴まってて!」

 シュメルヴィはロープを引っ張った。続いてシュメルヴィのピオニーも、つられるようにしてロープを引っ張る。砂に流されていたレクサルの身体が徐々に引き上げられていく。

 そうして、なんとかレクサルをダークムーの巣穴から引き上げられた。

「レクサル……! レクサル……!」

 やっと巣穴の縁まで上がって来たレクサルを、シュメルヴィは抱きしめた。だが、レクサルはすぐに巣穴を見て。

 ……巣穴では、取り残されたピオニーが、底の穴に落ちていっていた。その暗闇に沈み込むように、ピオニーの身体は見えなくなっていく。ダークムーの黄色の双眸は、獲物を睨んでいる。

 ピオニーはくるくる悲鳴を上げ続けていた。それは、穴の黒色に姿が見えなくなっても、少しの間続いていた。

 やがて――大きな悲鳴が穴底から聞こえてきた。耳を塞ぎたくなるような、声。

 それ以降、もうくるくるという悲鳴は聞こえてこなかった。砂の流れも、止まる。

 シュメルヴィはレクサルを抱きしめたまま、その穴底を見つめていた。レクサルも、その顔の笑みを消して、砂の下に潜むダークムーを見下ろしていた。

 ピオニーは、鱗の一枚も残さず、消えてしまった――食べられ、死んでしまった。

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