第5話「学生寮」

 結人が住まう私立開祈学園・学生寮は学校から歩いて10分ぐらいの離れた場所にある。夜交市の外部からの移住者たちをターゲットにした開発計画の一環で建てられた4階建ての学生寮は、遠方から通う生徒にとってはまさに天の助けではあるが、学生寮の管理人の都合上、その門限午後20時までと学生の身分に厳しいものがあった。


 かつては門限が厳しいという声が上がったものの、卒業を控えた生徒が門限超えたばかりか違法薬物に手を出し、挙句の果てには売人となって一般人に売りつけていたという一大事件が起きたことがきっかけで学生寮の入寮基準が厳格化され、門限を一度でも破った場合は内申点に大きな影響を与えるようになった。

 この厳格化された学生寮のルールに窮屈さを感じた当時の入寮者だった生徒の7割以上が学生寮を出て行き、遠方でも自宅からの通学を選ぶ生徒まで出たという。


 余談ではあるが、その原因を作った本人は当時の入寮していた生徒たちの恨みを大いに買った。

学校の生徒向けの掲示板を通して大衆が見るSNSに個人が特定されるような、断片的な情報を書き込んだりされたことで少年院から出た時には社会復帰すらままならなくなったのだとか。


 そんな厳しいルールのある学生寮に結人が身を寄せているのは住む家がないのもあるが、単純に面倒くさいからという理由もある。この場合の面倒くさいは叔父の解斗に借りをなるべく作らないためでもあった。


「あ、葛城君。君宛てに荷物が届いているけど。これなんだい?」


 学生寮1階にある管理人室の前で、管理人の中年男性、田所たどころのぼるが言った。


 苦労という言葉が染みついた雰囲気と偏屈そうな表情、それでいて体つきは60代を超えた中年男性とは思えないほどにしっかりとしているし、腰も背筋も伸びている。刈り込んだ髪の毛と、どことなく威圧感があるが怒らせなければ基本的に好人物であると結人も認めてはいる。


「あ、昇さんは中身知らなくていいですよ。普通の人には良い代物じゃありませんので」

「いや……。普通の人には良い代物じゃないと言われたら中身が気になるだろう。俺は管理人としてその中身を把握しておかなければならん。やましいことがないのなら、中身を―――――」


 管理人としての立場、そして過去にあった薬物による学校への社会的評価の体かなど、当時のことをよく知る田所は結人宛てに贈られた荷物……厳重に梱包された段ボールにカッターナイフを入れて開けようとした。


「昇さん」

「!」


 しかし、カッターナイフを持つ手が、結人の声によって止まる。


 いつもの抑揚のある年頃の少年らしい声色とは全く違う、凄みのある威圧感と殺気が込められた声。


 田所はかつて警備会社で働き、県大会出場経験のある空手の有段者として腕っぷしにも自身があったし、血気盛んな若者相手であっても負けない自信があった。自分より大きな相手との試合でも迫力と威圧感に腰が引けそうになっても気合だけで押し切り、何とか勝利を収めたこともあった。


 だが、これは違う。


 自分の過去の経験が藻屑と化するほどの、自分より40歳下の少年から、明らかに年齢に相応しくない、空気が凍り付くような威圧感に額に汗が浮かんだ。


「聞こえています? 聞こえていますね。一度しか言わないので、よく聞いてくださいよ。―――――開けたらそれにくびり殺すぞ触るな

「……わ、わかった」


 短くも耳にまとわりつくような、心臓を見えない糸で縛り上げられて止められるような言霊。恐ろしげな彼の声に言われるがまま同意し、結人宛ての荷物を受け渡す。


 渡された段ボールは重さがあり、鍛えている田所であっても持ち上げる時に踏ん張る必要があったぐらい。それを結人は軽々と、まるで小物を手に取るように片手で受け取る。


「どうも。貴方はなるべく長生きしてくれることを祈るよ」

「……おう」


 そう言って、結人は一礼して自室へと戻って行く。そんな彼を冷や汗が止まらないまま、田所は見送った。


 そして、彼のことについて探るような真似をすることは金輪際しないと心に誓うのだった。






 ◇◆◇






 学生寮の中は日々、ここに住まう生徒と管理人である田所氏による管理が行き届いているためか清潔に保たれており、質素ながら清潔感のある空間になっている。


 そんな学生寮に住まう結人の自室は寮の5階の最奥。どこか物々しい雰囲気のある廊下の奥はな事情を抱える結人に対して唯一割り当てられた部屋だった。


 その部屋はかつてこの学生寮に入寮していた卒業生曰く「どういうわけか夜中の2時ぐらいになると虫が這いまわる声が聞こえる」という一種の怪談のような噂話がある、ゴシップ好きな人が聞けばオカルト案件、現実主義者リアリストが聞けば事故物件と騒ぎそうな部屋だった。


 噂という制御不能な話が出回る学生寮は過去の事件も相まって入寮者が減る中、その噂は結人にとって非常に都合が良かった。


 なにしろ事前にその部屋には、虫によく似た怪異が集まる瘴気溜まりになっていた。つまりは本当の意味での事故物件のようになっていた。


「よう、今日も気分はどうだ? 惨めな獲物さん?」

「ギ……、ギギ……」

「ヒ……、ヒギィ……」


 物理的な鍵を開けた先で結人を出迎えたのは、赤い糸で作られた蜘蛛の巣に張り付けにされていた、虫の姿をした3匹の怪異たちだった。

 それぞれ、蝶、飛蝗バッタ、カナブンの姿によく似ている。虫の脚になっている所が人体によく似ていたり、顔に当たる部分が微妙にヒトの顔にも似ている、常人であれば生理的嫌悪感などを始めとしたモノに襲われ、卒倒することもあるだろう。


 だが、彼らの表情……いや、よくわかりにくいが彼らは結人に対して明確に「恐怖」と「畏怖」を覚えていた。


 怪異は霊脈の乱れによって生じる汚染された魔素エーテルと人間の集合無意識に生じる負の感情・想念・怨念を依代にして生まれる。そこから転じて可視化される霊体となれば人間を襲い、その身に渦巻く欲望を満たすために殺し、時には食らい、時にはなぶりものにする。


 虫の怪異は人々が有する「虫というものに対する生理的嫌悪」を基本として受肉する。そしてその基本オリジナルとなった虫の生態と、誕生した際に生まれ持って生じた欲望で人々を襲う。


 だが、この3匹は「餌場」として利用していた部屋に入って来た結人を獲物として狡猾に狙ったが、逆に罠に嵌められてしまい、こうして文字通り蜘蛛の素に引っかかった哀れな獲物と化した。

 彼らはその身に蓄えた魔力を、結人が一時的に補給して充填するためのサーバーとして利用される。死のうにも部屋に渦巻く「瘴気だまり」の特性から何もしなくても回復され、また魔力を結人に奪われるを繰り返す。


「明日、ちょっと戦の用意をしないといけなくなったんだ。今日もたっぷり蓄えただろ? たっぷり搾らせてもらう」


 そう言うと、結人は3匹の引っかかった蜘蛛の巣に対して右手をかざす。


 すると、蜘蛛の巣を構成する赤い糸が更に赤黒く光り始め、身動きの取れない3匹の身体を蝕み始める。


「■■■■■……!!」


 耳障りな悲鳴に似た鳴き声を上げ、じわじわと内側から魔力を奪われ、それが人魂のように漏れる。漏れた人魂は結人の右手に吸い寄せられ、彼の体内に吸収されていく。


 魔術師の肉体に貯蔵できる魔力量は個人によって異なる。そしてこの場合、貯蔵する魔力と使用する魔力とで別に分けることも出来る。


 結人の場合、一度に使用することが出来る魔力はそこまで多くはない。逆に貯蔵しておける魔力量は非常に多く、燃費が良いため長時間に及ぶ戦闘を行うことが出来る。かつて異世界オクネアにいた時に戦った相手とも、あらゆる策略を尽くし合い殺し合った時は28時間超えて戦ったことがあったぐらいだ。


「これぐらいでいいか。あ、お前らの声、耳障りだからちょっと黙っててくれ」


 そう言って、結人は無慈悲に手のひらから糸の束を出し、3匹をまとめてくるんで繭のようにしてしまった。中からは呻き声のような声が聞こえて

 くるが、それすらも耳障りに感じた少年によって縛る糸を絞られ、声すら出せなくなる。


 結人は環菜のほか、草薙機関の魔術師たちに無断で、なおかつ趣味で怪異を狩り続けている。


 それこそ、人生には刺激が必要だと言わんばかりに。


 そしてこの異常な状況が外部に漏れることはないし、仮に管理人に露見するようなことがあったとしても、その時はその時。どうなるかなんて、それこそ常人には考えもつかないし、その結末は理解しがたきものとなる。


「さて、本命のこちらっと……」


 段ボール箱の中を確かめるために、梱包を腕力でこじ開ける。


 だが、段ボール箱の中身はもう一つ厳重にロックされた、黒い漆塗りの箱がすっぽりと収まっており、箱の表面には何かの魔除けの札のようなものがびっしりと貼られていた。


「……へぇ。こりゃ大層なものが出来上がったと見た」


 あからさまに不気味に見えるそれを、結人は笑みを浮かべながら手に取って段ボール箱から引きずり出した。

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