悪夢として眠ってくれ
村人たちによる作業の手が止まった広場では、湊がそこに居るからこその光景が広がっていた。
「ねえねえ湊様! それで、その冒険者はどうなったんだ!?」
「気になる! 主人公を陥れたほどですし、きっと凄まじい罰を受けることになるのでは!?」
湊の周りには子供たちが、そんな湊たちを見つめるように大人たちが微笑ましく見守っている。
「まあ落ち着けって。それでその冒険者がどうなったかだが……もちろん罰が待っていた。裏切られたことで傷付いた主人公は、己の内に眠る力を覚醒させるんだ」
「おぉ!」
「凄い!」
湊の話に子供たちは大盛り上がりだ。
どうしてこのようになったかと言うと、歩き回ることに疲れて退屈していた子供たちに対し、湊がそれならと前世で人気だった漫画の読み聞かせをしたのである。
内容としては所謂主人公が覚醒するざまぁものなのだが、これがかなりウケたらしく続きを早くと催促されるほどだった。
「湊様は物語を作る才能もあるのか?」
「書物としては色んな物語があるだろうが……これは新鮮だな」
そんな言葉が聞こえ、湊は才能なんかないと苦笑する。
あくまで覚えている内容をそのまま喋っているだけで、湊の認識では他人のふんどしを借りている感覚だし、こうして実際に異世界の人が喜んでいるならそれを書いた作者の人はとても喜ぶんじゃないかとも思う。
「それで……?」
更に続きを話そうとしたその時だ――ミアから通信が届き、湊はライフォンを手に立ち上がった。
「ちょっとごめんな」
そう言って子供たちの元から離れ、タナトスの傍に移動して通話に出るのだったが……実を言えば、この時点で少々嫌な予感というか……何かが起きたんだろうなと何故か思えたのは嫌な直感だ。
「もしもし、どうした?」
『あ、もしもし湊さん! いきなりごめんね? 今大丈夫だった?』
「あぁ、大丈夫だ」
まるで元の世界を彷彿とさせるやり取りに、湊はクスッと微笑む。
ただ次に伝えられた内容は湊によって予想外のことであり、嫌な予感が当たったことをこれでもかと思い知らせるものだった。
『その……落ち着いて聞いてほしいの。これは湊さんにも伝えた方が良いかと思ってね――たった今、入った連絡があって。なんでか分からないけれど、王都にフェンリルが出現したって』
「……はっ?」
ポカンと湊は口を開けたが、それだけ予想外だったからだ。
ただちゃんと聞こえていたので聞き返そうとはせず、一体どういうことだと瞬時に頭の中で思考する。
(フェンリルだって……? フェンリルってレイドボスだろ? なんでそれがストーリーで出て……いや、こうして事態が発生した以上ゲームは違ったなんて言葉は意味がねえ)
湊はこう続けた。
「そのタイミングで連絡を寄こしたってことは、俺にとってもミアにとっても予想外だし……何より、このタイミングでフェンリルが出てきたら今の王国では対処が出来ない……ってことだよな?」
『その通りだよ。王国には実力者が揃ってるけど、クーデターの影響で疲労も溜まってるだろうし……まあ貴族たちもクーデターどころじゃないとは思うけど、確かなのは現在の指揮官が持つ戦力じゃ絶対にフェンリルを狩ることは出来ないってこと』
そうだ……ミアを通して指揮官の戦力はある程度把握している。
指揮官と共に居たレイとアーシア……そして王国で良くしてくれている騎士団くらいなものだろう。
「ガチャもないもんな」
『ないねぇ。それで湊さん、どうしよっか』
「やるしかなくないだろ……なあミア、ちょい考えがあるんだが」
『何々?』
「この時点でフェンリルは正直反則に近い。指揮官からしても、他の人たちからしても悪夢みたいなもんだ。だからそれを本当に何が何だか分からない悪夢にしちまおう――誰の目にも留まらない長射程からタナトスの一発で終わらせる」
少なくない混乱は予想されるが、何故現れたか分からないのであればどうして消えたのかも分からないままに事態を収束させる……後はこれをどう受け止め、どう判断するかは王国に任せるというのが湊の考えだ。
『あははっ! 良いんじゃないかな? でも、私もタナトスの力を頼って連絡した部分はあるんだよ。私が好きに介入出来ればソロで狩れるのはもちろんだけど、それが出来ないからねぇ』
「あ、やっぱやれるんだソロ狩り」
『当たり前じゃん! 湊さんが育て上げた私だよ?』
「ははっ、そっか」
冗談……ではなさそうなので、こうして考えると能力そのものも引き継がれているのかなと今更ながら湊は思ったが、それはまた聞くことに。
「じゃあサクッと行ってくる」
『……お守りとして私を連れて行かない?』
「……来たいだけじゃない?」
『要らぬ、行くぞ主よ』
『ちょ、ちょっと!?』
どうやらタナトスは湊と二人で行きたいようだ。
湊は悪いと言って通話を切り、タナトスの首へと跨る……すると出掛けることを知った村人たちが一斉に集まり、気を付けてくださいと口々に言われ、湊とタナトスは頷いた。
「悪くないなこういうのも」
『そうだな――さて、行こうか』
こうして、湊はタナトスと共に移動を開始した。
本来ではあり得ない予想外を滅するために。
▼▽
王都の城下町はクーデターの影響によりボロボロで、至る所で負傷者の姿が見える。
今回のクーデターは、指揮官と彼に協力する騎士団の手によって迅速に処理されていき、凄腕の傭兵たちを貴族は雇っていたがそちらも戦術で撃破していき……順調に制圧が進んでいくと思われていた。
「あ、あぁ……」
「なんだよあれ……なんであんなもんが……」
貴族、そして貴族に雇われていた傭兵が腰を抜かしている。
彼らの視線の先では大きな三つ首の番犬がゆっくりと、ゆっくりとこちら側に歩いてきている。
奴の名はフェンリル……本来であれば、このような場所に出現するはずがない神秘に包まれた魔獣だ。
『グルルルルルゥッ!』
餌を欲するかのように、鎖で縛られた口からは涎が溢れている。
スンスンと匂いを嗅ぎながら近付いてくるその様は、王国の人間たちが上手い餌だと言わんばかりのもの。
あんな存在が暴れてしまったら王都は跡形もなくなってしまう……それが分かるからこそ、争っていた全ての者がこの状況をどうにかしなければと考えを巡らせる。
「指揮官! 我らはどうすれば良い!?」
「……少し待ってくれ」
「何でもいいから指示をくれ! 悔しいが、我らにはアレをどうにかする策も力もない……頼む……どうか我らを導いてくれ……!」
無茶を言うなと、指揮官はそんな言葉を飲み込んだ。
ありとあらゆる状況に対応するべく、自慢の頭を働かせて何通りもの作戦は考えていた……だがそれは全て相手が人だから通用するもであり、あのような神秘に属する巨獣相手の作戦ではない。
そもそも……この地にフェンリルが現れるなど、そんな子供でさえ想像しない妄想のレベルを考慮などしているわけがないのだから。
(どうする……? どうすれば良い……あの化け物をどんな手段を用いれば殺すことが出来る?)
指揮官が思考する中でも、フェンリルは真っ直ぐにこちらへ向かってきている。
ゆっくり歩いているから良かったものの、もしも全速力で向かってきていたら今頃全てが終わっていた……それさえも指揮官の背筋を寒くさせるには十分だった。
「お、おい! あいつ、走ろうとしているぞ!?」
「っ!?」
身を屈めてすぐ……フェンリルは駆け出した。
終わったと、誰かが諦めを口にした……だが、そんな悪夢は突然として醒めることになる。
一瞬……本当に一瞬だ。
空の向こうで何かが光ったかと思えば、それは一筋の閃光となってフェンリルに向かい……そして貫いた。
フェンリルは何が起きたのか分からないように目を見開き、呻き声の一つすら上げずに倒れ……そして粒子となって消えていく。
「なん……だ?」
何が起きたのか分からない……だが、指揮官は見た。
空の向こうに薄く揺らめく影を……まるでドラゴンのような、大きな黒い影を。
「お疲れ様タナちゃん」
『なに、あれしき造作もないことだ。しかし……フェンリルと言えど一撃とはつまらん』
「そう言うなって。それだけタナちゃんが強いってことだよ」
『ふふん、もっと褒めてくれても良いのだぞ?』
「つうかあれでフェンリルなんだもんな。ケルベロスじゃなくて」
どこかでそんな会話がされたとかどうとか。
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